以前からあった機能を「特別」にするiPhoneマジック
歯医者での待ち時間、Twitter経由で知り合ったplanetofgoriさんのブログに
「iPhoneは宣伝の仕方が巧みである」というおもしろい記事がある。
記事の中で、planetofgoriさんは、
・最新のiPhone 3GSの電子コンパスは、日本の携帯ではとっくの昔に搭載している
ことなどに触れており、iPhoneは宣伝の仕方がうまいと書かれている。
実際にiPhone 3GSが電子コンパスを搭載するはるか前に、京セラのau携帯は電子コンパスを内蔵して、EZNaviwalk(Navitimeの中でも最高峰のau専用版)との素晴らしいインテグレーションを果たしていた。
さらにiPhone 3GがGPSを搭載するはるか前から、日本の携帯電話ではGPSの搭載が当たり前になっていた。
ちなみにアップルは、何もしないでもiPhoneが話題になることに任せてか、
iPhoneの宣伝にはそれほどお金をかけていない。
わずかに放送されているCMの中でも、コンパス機能は無視されてしまった機能の1つだ。
私がメーカーの人向けに講演をする時、私と同年代の中間管理職の人からは冷たい視線を浴びる。
「ガラパゴス、ガラパゴスって言わないでください。」
「講演にあったiPhoneの〜〜機能と、〜〜機能と〜〜機能は、我々がとっくの昔、'xx年代にやっていた」
と言われたこともある。
私は30分以上の時間がある講演では「大事なのは仕様ではなく、人々の暮らしぶりにどんな変化をもたらすかのことだ」と言っている。
ゆるめの講演では、ブルース・リーの写真を出して「Do not think. Feeeeel.(考えるんじゃない、感じるんだ!)」と話しているのだが、
彼らには和製携帯の敵、「iPhone」の話しが出たとたんに、耳をふさいでしまうのだろうか。
そんな細かな話しは聞いていなくなってしまっているのかも知れない。
あるいは、私が早口すぎて、聞き逃しているのかも知れない。
もしかしたら、文字情報にすれば、少しは伝わりやすくなるのかも知れないと思って、新たにブログにまとめようと思った。
■「ただ搭載した機能」と「人々が使う機能」は別物
まず訴えたいのは、「◯△機能を搭載している」ということと「〜〜の◯△機能が楽しい」というのは、まったくの別物、ということだーーこれはモノヅクリに関わっている人、たとえメーカーのハードエンジニアにしても、ソフトエンジニアにしても、最終的にGOサインを出す人にしても共通の認識として持ってほしい。
例えば小学校の学芸会で「クルミ割り人形」をやったとしよう。子供たちも1ヶ月一生懸命練習して、たまにつっかえたり、横から先生が出てきて、次の台詞の出だしを言ってあげないと、止まることはあるけれど、一応、最後まで無事に終了する。
観客たちにもストーリーの内容は伝わるし、文字情報としての台詞もちゃんと伝達されている。
しかし、だからといってキエフ・バレエ団のクルミ割り人形を1万2000円払って見に行っていた人が、同じ学芸会のクルミ割り人形に1万2000円を払ってまで見てくる、ということにはならない。
ただ搭載していることと、一般の人々を本当に楽しませることとは、まったく別のことだ。
日本の携帯電話には、本当に数えきれないほど多くの機能が搭載されているが、あなたはそのうち、一体、何割くらいを本当に使っているだろうか(これは実際に携帯電話をつくっているメーカーの人たち、規格を押し付けている、といわれているキャリアの人たちにも聞きたいくらいの質問だ。)。
10以上の機能を使っている、という人がいるだろうか。
使わない機能をたくさん詰め込んでも、それはただの無駄だ。
無駄に端末コストをあげて、アプリ開発者からビジネスチャンスを奪っているだけに過ぎない。
iPhoneのアプローチは、最初から搭載している機能は最小限。その代わり余計な機能をつくらない分、1つ1つの機能をしっかりとブラシュアップして、人々が喜んで使いたくなるレベルにする、というアプローチをとっている。
その結果、これはまだAppStoreが出てくる前の統計だが、8割の人が10以上の機能を使っているという結果を出している。
■「Web 2.0 in Your Pocketの革命」も使いやすさ、から生まれた
中でも顕著なのが、私が言うところの「Web 2.0 in Your Pocket」の革命を引き起こしたWebブラウザのSafariだろう。
iPhoneが登場する以前から、日本の携帯電話にもiモード(的なケータイサイト)だけでなく、パソコン用のWebページも見れた方が便利と「フルブラウザ」なるものが搭載された(呼び方が「PCサイトビューアー」だったり、「PCサイトブラウザ」だったりと、キャリア単位で名前まで囲みをしようとするところは非常に日本的)。
最初の頃は、ブログディナーで「これでiモードのビジネスモデルは崩れる」、「携帯新時代突入だ!」などと騒いでいたが、実際には「使いにくさ」の壁があまりにも高く、せっかく、機能が搭載され、その後、定額で使えるようになっても、そんな革命は起きなかった。
しかし、ブラウザをただ搭載しただけでなく、それを人々が初めてまともに使おうと思うレベルにまで昇華させたiPhoneが登場したことで、本当のモバイルインターネット革命がやってきた。
これは、これまでの講演や日経BP ITproの連載でも使わせてもらったスライドで、日本のiPhone 3Gが発売される前、初代iPhoneの発売から8ヶ月後のグラフだが、スマートフォンとしての出荷シェアではiPhoneは28%で2位に甘んじているものの、実際にWebブラウジングに使われているWebサーバー側から見たシェアを調べるとiPhone(とiPod touch)が圧倒的で70%のシェアを占めているのが、わかる。
やはり、Webブラウザにしても、「ただ搭載する」ということは、目的の半分しか達成していないことを意味しているようだ。
(参考:iPhoneショック2:第1章 相次ぐ主要WebサービスのiPhone対応,IT業界の主戦場はIT Phoneへ)
ちなみに、モバイルWebブラウザの利用シェアに関する統計は、最近のWWDC 09でも紹介された。そちらの最新の統計によると、iPhone/iPodタッチの利用シェアは65%、2位はAndroidで9%(iPhoneの6分の1ほど出荷していないことを考えると、そこそこ検討していると言えそうだ)となる。
電子製品に搭載された機能は、ただ搭載の有無だけではなく、
人々が本当に使おうと思う品質を達成しているか否かで評価されるべきだ。
そして、そうした評価をしようとすると、残念ながら、今の日本の携帯電話のレベルは非常に悲しいレベルになってしまっていると言わざるを得ない。
似たような例はいくらでも出せる。
リアルな絵を描くのが得意だからといって、ただリアルさを追求しているだけの画家では売れない。
どんどん写真と区別がつかなくなるからだ。
写真ではない絵画ならではの工夫がなければ誰も才能を認めてくれない。
講演者の肩書きがどんなに立派でも、ただ棒読みで原稿を読むだけの講演では人々の心は動かない。
聴衆が誰であるかを考え、その人たちが共感できる事例や旬な話題を用意し、
聞く側のモチベーションを高く維持することも講演者の仕事のうちのはずだ。
優れたお母さんたちは、幼児の健康を気遣って、
離乳食に、ただ、お医者さんに勧められた食材を入れるだけでなく、
子供たちが、それをいやがらずに食べるにはどうしたらいいかを考えて、
混ぜてみたり、隠してみたり、細かく砕いてみたり、と工夫をしている。
だが、日本の製造業では、こういった価値観が軽視されがちなのが残念だ。
工業デザインの世界やアートの世界では、今、日本人の作家の評価は驚くほど高いのに、
製造業の経営者たちには、そうした価値が伝わっていないのだろうか。
■楽しさはサードパーティーのソフトにも伝播している
もう1つ、私がよく出すストーリーを書こう。