原口大臣ツイッター報道に感じた違和感
【コメントが表示されません】
すみません。新ブログのテストが不自由分で、皆さんにいただいたコメントが表示できていないようです。実は管理者登録している私の画面には表示されるのですが、他の方の画面には表示されないことがさきほどわかりました。早急に対処します。
先日、チリ地震の影響による津波が日本を襲った日曜日、原口総務大臣がTwitterで逐次情報を発信していた。
@kharaguchi 岩手県久慈港 3時9分 90cm 福島県小名浜港 3時9分 50cm
@kharaguchi テレビの映像などを見てご自身で避難しないでいいだろうと判断するのは止めてください。
といった具合だ。1つ書くのに30秒ほどかかるかかからないかの短信のメッセージだが、災害センターで、ただ伝わってくる情報をボーっと見聞きしているだけではいたたまれなく、Twitterの伝播力を使って即時伝えようとしたのだろう、という思いで見ていた。
私の方が原口大臣よりもフォロワーが多いということもあるので、これらの情報が、より多くの人に届くようにと、いくつかのつぶやきはRetweet(私のTwitterを購読している人向けの再配信)をさせていただいた。
この件に関して、今日、いくつかの新聞が記事を書いていたが、その内容を見てビックリした。
読売新聞は「原口総務相釈明…ツイッターで津波情報流してた」という見出しで記事を掲載していた。アメリカではAT&T社の電話回線が落ちたときにTwitterを使ってサポートを行った例もある(Cnet:AT&T uses Twitter during service outage)。
災害時に役立つ人を早く大勢の人に伝えたい。
この人間なら誰でも自然にやるであろう行為の何がイケナイのか。
日本は、不思議で複雑な国。どんな「当たり前」に見えることに対しても、「見栄」や「建前」や「大人の事情」という奴が直感では理解しがたい複雑な「常識」をつくっていることが多い。
一体何が悪いのか?そう疑問に思いながら記事を読んでみたところ「なりすましの危険がある」Twitterで、こうした情報を流したことが悪いことで、原口氏はそのことについて釈明した、ということだった。確かに原口氏のTwitterアカウントは、Twitter社の認証も受けておらず、Twitter社の認証を受けているバラク・オバマ大統領のTwitterアカウントが、実はオバマ氏以外によって書かれていた、ということはある(おそらく鳩山由紀夫総理もそうだろう)。
とはいえ、果たしてそこがツッコミどころなのか。
それよりはむしろ、原口大臣のTwitterアカウントが本物であることを確認したり(記事はこの部分の仕事はしていた)、これからテレビやラジオへのアクセスがない状況(テレビやラジオが他の地方のニュースを流している状況)でも参照できるTwitterというサービスがあるとTwitterのサービスを教えてあげてこそ、人々の役に立つのではないか、という気もちょっとする。
いずれにしても、この記事の見出しはないんじゃないかと思ってつぶやいたところ、かなり、大勢の人が賛同し、一瞬にして私のTwitter画面は、読売新聞の見出しに対する批判であふれかえった(最初はTwitterの反応は、こうまでも一方的なのかと驚くくらいに、同意の意見ばかりだったが、どうやら、あまりに大勢の人が同意しているところに、飛び込むのが多少怖かったのか、反対意見の人は、見つからないように反対意見を述べているケースも多かったようだ。その中には「なるほど」と思わせるものも多く、申し訳ないと思いつつも、RTさせてもらった)。
ここで面白いのが、同じタイミングで記事を掲載していた朝日新聞は、同じ記事に対しても
「自ら津波ツイッター速報、原口総務相「正確な情報優先」」
と言う見出しで、記事の中身も新しいメディアを使って率先して情報を発信する大臣が、横並びで情報発信をする既存メディアに双方向型の情報発信を指南するような内容になっている。
同じニュースでも書く人が変われば、ここまで印象が変わるのか、という好例であり、これこそ、まさにGoogle社のサービス、Google Newsが開発された、そもそもの理由であることを思い出した(元々は湾岸戦争中に、米メディアの偏った報道に危機感を感じた開発者が、同じニュースをさまざまな媒体で読み比べられるように開発した。Cnet: ついに明かされるGoogle Newsの秘密 )。
なんだかんだいっても、新聞のニュースも書いているのは「人」であり、「人」が関わる以上、客観的な報道などというものはありえない。事実の羅列だけの小さな記事にしたって、その記事を載せるか、載せないかに主観が入る。
ならば、いっそ新聞の記事も匿名にせずに、記名で書けば、もしかしたら「ああ、Twitter嫌いなのかな。あの人らしいや」といった具合に読み手の心理も働くんじゃないかと思うが、Twitterで@Snakehole教えてもらったところによると、日本の新聞で記名を採用しているのは毎日新聞だけだそうだ。
日本では、何か問題があると、何か必要以上に揚げ足取りをされ、責め立てられることが多く、名前を出して堂々と意見を述べると、それによって攻撃をされることすらある。
名前を隠して批判をする人間は、何でも無責任に言いたい放題、逃げ放題だが、堂々と意見を言う人間は、敬意を払われるどころか、「好きで名前をさらしているのだから、責められて当たり前」くらいに言われる。
だが、そんなことでは世の中は先に進めない。例えば小さなイベントにしたってそうだ。
ボランティアで「誰かこれ協力してくれる人いませんか?」というと、それまではふんぞりかえって参加していた人が、突然、みんな下を向いて視線をそらし始めたりすることがある。せっかくの会が、なんだか急にしらけてしまう。そんなことばかりが続くと、いずれイベントそのものもなりたたなくなってしまうのに、小さな協力をして、会を持続させようという意識がなかなか芽生えず、あくまでも自分は上げ膳据え膳が当たり前の傍観者、という印象を抱くことがままある。ヒドイ場合は、自分は手を挙げないで逃げておいた癖に、ボランティアに協力してくれた人のやり方については、しっかりと難癖を付ける、なんていうこともある。
堂々と手をあげること、名乗りをあげると、なんだかそんな社会ができあがっている。
このブログでは、以前にも匿名 vs 実名の議論をし、匿名側の言い分もわかったつもりだが、それでもやっぱり、例えば新聞などの大手メディアにいる人間くらいには、そうした卑怯な文化を広げないためにも、堂々と名乗りをあげる習慣を広めていって欲しい。
それで、名前を出した人を攻撃するような輩がいたら、それを会社や周りのコミュニティーで守ってあげる。そうしてこそ、勇気ある報道もできるだろうし、人類としての前進もあるんじゃなかろうか。
脱線したが、読売の原口大臣についての報道の件には、まだまだつづきがある。
Twitterで、この記事に対する猛烈な反発がわき起こると、問題の記事の題名はいつの間にか、修正されていた。
タイトルが「原口総務相弁明…ツイッターで津波情報流してた」に書き変わり、「ツイッターの利用を優先させる考えを示したことは、今後、論議を呼ぶ可能性がある。」といったことが書き加えられていた。
(いや、実はその後も、読売新聞は記事のタイトルをいじりまくっていた。こちらのブログが詳しい: kamikura.com Blog:原口大臣Twitterで情報を流し新聞社に弁明させられる )
記事の書き換えを責めるつもりはない。私もよくやることだ。
後から読んだ人に不快感を与える可能性があると思ったときには、私もタイトルも変えれば、本文も書き換える。
記事を掲載した直後から書き換えまくって、まだ見ている人が少なそうなら、(記事が読みにくくなるから)どう訂正したかも、いちいち弁明しないし、読売新聞の今回の一件と同様に記事の更新日時もそのままで、少なくともそのことについて私が読売新聞にどうこういう資格はない。
ただ、自分を正当化するように「ツイッターの利用を優先させる考えを示したことは、今後、論議を呼ぶ可能性がある。」を書き加えた点については、ちょっとガッカリした思いもある。
Twitterで、アンチ読売の声をあげていた多くの人が、新聞社は記者クラブなどの既得権益が侵されること、中抜きされるのを恐れているためTwitterなどの新テクノロジーに反感を持っている、という声が多かったが、読売の記事に追記された内容をみて、本当にそうなのかな、と思ったからだ。
それからしばらくして、もう1度、記事を読み直して、もしかしたら理解が足りないのではないか、という思いもしてきた。
Twitterの部分に「ツイッター(簡易投稿サイト)」と書かれている。
「簡易投稿サイト」、なんとも怪しげな響きだ。趣味の人が集まって、思い思いのことを、安易に投稿しているような響きすらある。もしかしたら、読売では「Twitter」を「簡易投稿サイト」という怪しい響きで紹介することにしたため、Twitterをよくしらない記者が、一大事に、そんなあやしげなサービスを利用していた、と心配になったのかも知れない。
アメリカのニュースでは、今やWebページも、ブログも、Twitterも、説明無しに、そのままサービス名で登場することが多いが、日本では、うちの番組は、幅広い層が見ていてITに弱い人も多い、「これって他のものに例えると何か」などと聞かれることがある。
でも、前例のないものを、他の何かに例えるのは、かえって混乱を招く気もする。
視聴者が、多少なりとも知性を持っていると考えるなら、どういったサービスで、どういった効果があるかを説明した方が、本質が伝わりやすい、と思うのだが、なかなかそういう議論にはならない。
もし、新聞社の方に、Twitterなどの新しいIT系のサービスを恐れている人がいるのだとしたら、ぜひ、この機会に、もう1度、見直して欲しい。
残念なことに、既存のマスメディアの中には、「IT苦手」を堂々どころか、自慢げに語る人すらいるが、そんなことは何一つ自慢にもならない。
自分がITが苦手だからといって、自分の子供にもITを避けるように勧めるのだろうか。もちろん、ネットには残念な側面、子供達には触れさせたくない側面もあるのは、私も同意するが、一方で、そうやって日本の子供達のIT離れが進む中で、発展途上国の子供達には100ドルPCなどの安価なパソコンが配られ、最先端の教育が施される、たとしたら十年後、二十年後の日本はどうなってしまうのだろう。
どんなにITが苦手な人でも、今さらインターネットがなくなるとは、考えていないだろうし、これがうまく使えば便利でもありえることくらいは理解しているだろう。
で、あれば、インターネットを、どうすれば老若男女幅広く楽しめるメディアに変えられるかを問題提起し、例えばTwitterのような政治などにも活用されているメディアのうまい活用方法を啓蒙し、技術革新の抵抗勢力になるのではなく、自らの媒体そのものも、今の時代やニーズにあわせて変革するくらいの気概を持って欲しいと思うのは、私だけだろうか。