Twitterのもう1つの魅力:気軽に失敗できること
最近、iPhoneに加えてTwitter関連の講演をすることが多い。
多くの講演では、これまでいくつかの書籍やWebの記事で書いてきた「時間軸・親密軸・空間軸」の話しをするのだが、時間に余裕があるときには、私が考えるTwitterのもう1つの魅力に触れている:気軽に失敗できる魅力についてだ。
日本では、まるで「失敗したが最後」とでも言わんばかりに、異常に失敗を恐れる風潮があるが、「失敗は成功の元」という言葉の通り、実は失敗の経験を積んでいる人の方が、ものの見方にも多様な視点が盛り込まれ、奥行きがあるものだ。
シリコンバレーなどでは、こうした失敗の経験が評価される文化があり、それが数多くのイノベーションを生んでいると思う。
(関連記事: ascii.jp:「失敗を恐れるな」──日本の若き才能、シリコンバレーでベンチャーを学ぶ)
2007年に参加したオライリー社のイベント、FooCampではベンチャーの経営者らがお互いの失敗を自慢し合うセッションも行われ(冒頭の動画。当時はまだSticamを使っていた)、Twitterの社員がその前身であるOdeoの失敗の理由を語る一幕もあった(なぜか音声の録音に失敗していたようだ。残念)。
もっとも、失敗にはダメージも伴う。本当の事業で失敗すると、その後のダメージ回復にはお金も時間もかかる。だが、Twitterを使えば、ことを起こす前に多様な視点での意見を簡単に集めることができる。
マーケティングリサーチのツールとしてだけの話しではない。
実はTwitterは文章表現やソーシャルスキル、そして1:多のコミュニケーションについても多くを学べる場だ。
例えば、これなら万人に通じるだろうと思ったツブヤキでも、相手によって「なるほど、そういう解釈もあったか」といった誤解の混じった反応を招くことが多々ある。
その度に「こういう解釈もあるのか」だとか「こう表現した方が誤解が少ないかも」といった具合に学ぶことができる。
万が一、Twitterで大きな失敗をして、それが不評を買っても、Twitterでは訂正のつぶやきが広まるのも速ければ、失敗が忘れられるスピードも速い。
「人の噂も七十五日」というがTwitterでは、七十五日どころか1日も経った話題は忘れ去られていることが多い。
たまに、それでもしつこく話題になっていることがあるが、それはTwitterからソーシャルブックマークなどの他サイトに話題が飛び火した時だ。
インターネットのさまざまなサービスには固有の速度感があり、人々はギアチェンジをしながら、そうしたサービスを乗り換えているが、Twitterは、まるで速度制限無しのアウトバーンの追い越しレーンのように情報が早く流れていくので、計算用紙に試し書きをするように気軽に利用することができる。
私は、この失敗のコストの低さもTwitterの魅力なら、Twitter上で誤変換や失敗が半ば当たり前として許容される文化、デジタルだからといってあまりに精密さ正確さを求めすぎない文化が生まれていることもいいことだと思っている。
かつて、日本人は勤勉で、時間にも厳密だと賞賛されてきたが、そうした性質が生み出した精密すぎる文化ーー数分の電車の遅れが、ラジオでも報道されるような日常が、逆に日々の生活に窮屈さをもたらし、ちょっとしたトラブルにも脆弱な社会をつくっている側面もある、と思っている。
それよりは、「人間は失敗して当たり前」であることを前提にした、多少の電車の遅れにもビクともしない社会の方が、住みやすいし、幸福も得やすいんじゃないかと思ったりもする。
今日なら電車やバスの時刻が多少デタラメでも、それぞれに搭載されたGPSを使って携帯電話やスマートフォンで「今の時間なら、この乗り継ぎがもっとも速い」といった計算だって可能なはずだ。逆に日常にそれくらいのランダムさがあった方が、楽しみだって多いかも知れない。
これも、講演でよく言うことなのだが、'90年代のIT革命は、人々を幸福にするどころか不幸にした側面が大きい。
21世紀のIT革命は、まず、何を置いても人間性に軸足を置いて作り出していって欲しい。