インターネットってマスメディアより、そんなに立派なんだろうか?

 昨日は帰りが遅くテレビもまったく見ていないが、日本のインターネットでは小保方さんの会見と並んで、どこかのニュース番組で「司会者がパワポ(PowerPoint)を知らなかった。」ということが、そこそこ大騒ぎになっていたのをFacebookの多数の関連投稿で知った。

 「あの司会者はパワポを知らなかったのではなく、知らない視聴者のために演技をしていた」という見方もあるらしい。

 こうした投稿へのコメントとして「パワポも知らないレベルの視聴者を相手に番組をつくっているテレビはメディアとして終わっている」といった意見もあれば、その上にのっかるように「だから、もうテレビは見ない」といった意見も見かけてフト思った。

 では「こんな話を大事(おおごと)にしているインターネットは果たしてそんなに立派なメディアなんだろうか?」と。

 実際、この話自体があまり有意義な話題には思えない…

 どうでもいいことだし、普段の自分なら、この話題ごと、いつも通りスルーをして触れることもないのだけれど、こうしたことを話題にする発想が、日本のインターネットをダメにしている、と常々思っていた。いい機会なので、ブログに書きたくなった。

 件の番組については見ていないので司会者がパワポを知っていそうだったか、知らなそうだったかについての意見はない。

 ただ、もし「視聴者を意識して、パワポを知らない演技をしていた」というのが仮に本当だとしたら、それは最善の方法かどうかは別として、マスメディアの人間として当然取るべき姿勢の1つではないかと思う。

 マスメディアは「知っている人だけわかればいい」という閉ざしたオタクのニッチメディアとは違うのだから。

 世の中、すべての人がパワポを使うとは限らない、そんなことを知らない人の方がよほど「井の中の蛙」で、ひとつの業界にあまりにも深くとじこもり過ぎだと思う。
 視点が狭過ぎだ。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年04月10日 | Permalink

ビッグデータ vs クリエイティブな直感

大分のアートイベント「混浴温泉世界」に出展されたAnn Veronica Janssensの作品

22年以上、世界トップクラスの科学者やデザイナー、経営者など色々な人々を取材してきたが、この人は「頭がいい」と思う人と話をすると必ず出てくる話題が「顧客や知人との対話の中に繰り返しでてくるテーマは重要なテーマ」というもの(このテーマ自体が、私の人生の中で繰り返し出てきているのが面白い)。

 さて、私にとって2012年、繰り返し接することになったテーマがビッグデータ vs 人間の直感というものなのだが、今日、Twitterを見ていたら、New York Timesが、まさにこの話題を記事にしているのを目にした:


Sure, Big Data Is Great. But So Is Intuition.


It was the bold title of a conference this month at the Massachusetts Institute of Technology, and of a widely read article in The Harvard Business Review last October: “Big Data: The Management Revolution.”

 エリック・リースの「リーン・スタートアップ」が本になる前から、彼のプレゼンに出てくるスライドを勝手に拝借して、さまざまな企業に、今の時代は、「製品の完成」をゴールにし、そこめがけて全力を投じるのではなく、むしろ製品を出してから、そこへの反応を集め、そこから学習し、改良のイテレーション(反復)をあげていった方が、成功率の高い製品がつくれる。

 これはソフトウェアの開発だけの話ではなく、ハードにも応用できる考えで、現にアップル社もApple Storeなどを通して顧客からのフィードバックを綿密に集めている、という講演を2008年頃から何度もしてきた。
 昨年秋、Gartnerのアナリスト、David Cappucioがあげた2013年の10のトレンドの予想を見たところ、その1つに「Actionable Analytics」というのがあるが、これがまさにそうした非ソフトウェアの分野にリーンスタートアップの考えを取り入れようとうものだ。
 事業の中で取ったアクションを、個々の社員が持つスマートフォンやタブレットのようなデバイスを使って記録していけば、それがビジネスインテリジェンスにつながるデータとなる。そうしたアクションに対しての顧客らの反応を集計していけば、ビジネスをより成功率が高い方向に細かく軌道修正しつづけ、大きく道をそれない形で実践できる、という。

 ただ、こうしたアナリティカル(分析的な)ビジネスの方法は、実は「外さない」だけの「他社と横並びで良い」状態をつくりだすだけで、なんだかんだいって最後の最後は、経営トップのクリエイティブな直感が重要なのではないかと最近、思い始めている。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2013年01月03日 | Permalink

震災後56時間の間に考えていたこと

0311 Shibuya Station


JR Shibuya Station

続いて一番、支援が足りていなさそうな人

帰宅してからは3日間、家にこもり、ずっとTwitterとにらめっことなった。画面の向こう側に被災して大変な思いをする大勢のリアルな人々がいる。その仲に思いっきり自分が親しくしている人もいて、不安で大変な思いをしている様子も、数少ないつぶやきを通して確認していた。

「何かをやらなきゃいけない」

 おそらく、そういう思いにかられたのは私だけではないだろう。おそらく震災地に関する、より詳しい情報は誰かがテレビなどを見て書いているだろうし、渋谷駅を離れた後の私ならではできる、まだあまり他の人ができてない支援は何だろう。そう考えて、私が始めたのが英語での情報提供だった。JRの駅に行っても、バス停に言っても用意されている情報は英語だけだった。渋谷の交差点の辺りでは、何が起きているのか情報を得られず困っている外国人の方を大勢見かけた(この初動のために、多くの英語圏の人が私を「信頼できる情報源」として紹介してくれたが、その分、後々、英語でつぶやく人を大勢見かけ始めてからは、すっかり日本語のつぶやきばかりに戻してしまったので罪悪感を感じることになる)。

 実際のツイートは、Twilogに記録が残っているので、そちらを見てもらうといい(他の人のつぶやきの公式リツイートは表示されない):

twilog:2011年3月11日のつぶやき

 その後、Think The Earthのオフィスにお邪魔し、数時間そうしたつぶやきをしていた後、無事、電車で帰宅してからの私は数日間、家に閉じこもることになる。

 

次にニーズのハッキリした人

 タイムラインの向こう側には、真剣に困っている無数のリアルな人々がいる。交通麻痺で家に帰ることが出来ず途方に暮れる人々、家族の安否を気遣う人、今にもバッテリーの切れそうな携帯を持って瓦礫の下にうずもっている少女、食料や飲み水を探して遠い距離を歩く人々。

 タイムラインのこちら側からでも、何かができるんじゃないか。

 情報を求めている人がいれば、それを調べ教え、調べてもわからない情報は公式RTをして、誰か知っている人の反応を待った。広める必要がある情報があれば、嘘を広げないように相手をフォローしてDMでしっかりインタビューして、その上で情報をRTしたり、もっと伝わりやすいカタチに編集してつぶやいた。

 気がつくと、周りにも必死で同じことをしている人達が大勢いた。

 個人的にはどなたかが公式RTしてくれていた芸能人の加藤夏希さんのツイートが、よく目に付き、バランスのとれたつぶやき方に好感を持ったのでフォローさせてもらい、いくつか私も彼女のつぶやきを公式RTさせてもらった。熱心につぶやいていた有名人は彼女だけではないだろうが、いずれにせよそんな有名人の方も現地を真剣に心配し行動してくれると知っただけで勇気づけられる人がいるんじゃないか、という思いもあった。

 やがて、助けを求める人も、情報伝播の効率がいいフォロワー数の多い人宛に「【拡散お願いします】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。」といったつぶやきを送ってくるようになった。

 私は好きと思う情報、これはいいと思う情報が自然にRTされるのが好きで、人工的に「拡散お願いします」と頼まれることが嫌いだが(長い目でみるとTwitterをダメにしてしまう行為に思えてならないので)、そうしたつぶやきを送ってくる数人のタイムラインを見て驚いた。

例えば、つぶやきが「【拡散希望】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。」というメッセージだとすると、同じつぶやきをコピー&ペーストで延々とフォロワー数が多い人宛につぶやいている:

@masason 【拡散希望】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。

@takapon_jp 【拡散希望】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。

@kazuyo_k 【拡散希望】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。

@kohmi 【拡散希望】〜〜〜で人が孤立していて救助を必要としています。助けて下さい。

@

....

といった具合だ。そして、その合間に家族や兄弟にTwitterの使い方を教えるつぶやきがあったり、知り合いに自分の安否を教えるつぶやき。その必死さから事態の深刻さがひしひしと伝わってくる。数日後、家の外に出たときまで、東京はほとんど無事だったということを忘れ、すっかり自分も被災したかのような錯覚に陥っていた。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2011年04月03日 | Permalink

311後、考えたこと:現場判断編

光陰矢のごとし。あのビックリする大地震のショックから既に2週間が経った。
地震の瞬間、私はAR.Droneの製品担当者来日にあわせて行われたUstream番組の放送を追えて、渋谷のパルコ8階の飲食店にいた。
下のYouTubeが、その時撮った映像だ。
「揺れ始めた」と思ってからiPhoneで動画を撮り始め、そこからエレベーターホールに避難誘導されるまで3分半以上。「そろそろ収まるかな?」と思い続けるほどに揺れが大きくなる、実に長く感じた3分半だった。


震災からの14日間、いろいろなことを考えていた。
書きたいことが結構、たくさんあって、1つの記事にまとめると長くなるので、ブログに「311」というカテゴリーをつくって、小分けして書いていこうと思う。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2011年03月25日 | Permalink