インターネットってマスメディアより、そんなに立派なんだろうか?

 昨日は帰りが遅くテレビもまったく見ていないが、日本のインターネットでは小保方さんの会見と並んで、どこかのニュース番組で「司会者がパワポ(PowerPoint)を知らなかった。」ということが、そこそこ大騒ぎになっていたのをFacebookの多数の関連投稿で知った。

 「あの司会者はパワポを知らなかったのではなく、知らない視聴者のために演技をしていた」という見方もあるらしい。

 こうした投稿へのコメントとして「パワポも知らないレベルの視聴者を相手に番組をつくっているテレビはメディアとして終わっている」といった意見もあれば、その上にのっかるように「だから、もうテレビは見ない」といった意見も見かけてフト思った。

 では「こんな話を大事(おおごと)にしているインターネットは果たしてそんなに立派なメディアなんだろうか?」と。

 実際、この話自体があまり有意義な話題には思えない…

 どうでもいいことだし、普段の自分なら、この話題ごと、いつも通りスルーをして触れることもないのだけれど、こうしたことを話題にする発想が、日本のインターネットをダメにしている、と常々思っていた。いい機会なので、ブログに書きたくなった。

 件の番組については見ていないので司会者がパワポを知っていそうだったか、知らなそうだったかについての意見はない。

 ただ、もし「視聴者を意識して、パワポを知らない演技をしていた」というのが仮に本当だとしたら、それは最善の方法かどうかは別として、マスメディアの人間として当然取るべき姿勢の1つではないかと思う。

 マスメディアは「知っている人だけわかればいい」という閉ざしたオタクのニッチメディアとは違うのだから。

 世の中、すべての人がパワポを使うとは限らない、そんなことを知らない人の方がよほど「井の中の蛙」で、ひとつの業界にあまりにも深くとじこもり過ぎだと思う。
 視点が狭過ぎだ。


平河町ライブラリ屋上

 昔は「ホームページとはインターネット上の…みたいなもので」と解説していたテレビ番組も、今日ではいきなり「LINEが」とか「Twitterが」とか「Facebookが」とこれらのサービスの説明なしに話題にしていることも多い。

 もちろん、説明たっぷりに紹介していた状態から、説明不要になるまでの期間はもうちょっと短くなってもいいかな、と思う部分はある。

 ただ、今はライフスタイルも仕事の内容も多様化が進んでおり、1人の人間が知っている範囲というものも、どんどん輪の重ならない部分の方が大きくなっている。

 多くの日本人にとっての共通項となっている「義務教育」で習う範囲と、実際に社会で出てから使う知識などの範囲の輪も重ならない部分の方がどんどん大きくなってきている。

 日本語は相変わらず日本人の共通の言語かも知れないが、昔のような共通の背景はとっくに消え去ろうとしている。

 「マス」のコミュニケーションが崩れている現在、こうした離れたクラスターに対して共通の情報を発するのがますます難しくなっている。



 そんな時代に、インターネット人が、未だに2ちゃんねるだかなんだかの時代みたいに、自分たちと輪の重なりの小さい人達をさげすんだり、口撃したり、揚げ足をとったりといった蛮行をつづけているのは、正直、日本全体にとってマイナスでしかない気がする。

 そういうことをするから、「やっぱり、インターネットは恐い」と未だに近づけずにいる人が大勢いること。そうした人達が大勢いるからこそ、マスメディアもインターネット関連の話題を冗長に説明しなければならない状況がつづいていることを認識すべき。日本のインターネットの進化を遅らせているのは、「自分はインターネットに詳しく進んでいる」と自惚れた小さなインターネット村の住人自身であることを自覚してもらうことが、日本のインターネットを先に進める上でも大事ということをぜひ自覚して欲しい

 もちろん、知らない人を見ていてもどかしい気持ちは分かるし、私も丁寧に教える辛抱強さを持っているか聞かれると「ノーコメント」という人間で、立派なことは言えない。おそらく「わからないことがあったら、とりあえず何でも検索してみましょう」と教えることくらいしかできない。でも、それでいいじゃないだろうか。

 今は多様性の時代だ。こういう時代にどういうハード、どういうソフトをつくったらいいかいついて、先のSPIDERのデザインをしている柴田文江さんが示唆深い話をしていた。
 こちらの記事のインタビューの時だ:

柴田文江デザインの美しきリモコン、地デジ版SPIDER PRO http://ism.excite.co.jp/digital/rid_E1299855458005/


なんと最終原稿では削られていたことに4年も経って今頃、気がついたが、上の記事の8ページ目で柴田さんがiPhoneのヘッドホンについて触れている。

 あの白いヘッドホンは多くの人は、ただ音楽を聞くためだけに使っている。ほとんどの人はそれで十分満足している。

 でも、もう少し知っている人は、あのヘッドホンにボリュームの上下がついていて、音量を変えられることを知っているので、その機能も使っている。知らない人は知らない人でiPhone本体で問題なく音量を調整できている。

 さらにもう少し知っている人は、あのヘッドホンにマイクがついていることを知っていて、通話をする時にわざわざヘッドホンをはずさずに、そのままヘッドホンで通話をしている。

 もの凄く詳しい人は、ボリュームボタンの真ん中にあるボタンを2回クリックすることで曲送りや早送り、曲戻しや巻き戻しもできることまで知っていて使いこなしている。

 このようにパっと見の要素が少なくシンプルなだけに、とっつきがよく もの凄く間口が広いのに、それでいてもの凄く奥が深いデザインが、この多様性時代の今は重要だと柴田さんは言っていた。

 まさにその通りだと思う。


 インターネット上の情報もそうなるのが理想だろう。

 しかし、今は間口のところの小競り合いで、新参者を追い出してばかりでもったいない。

 

もう、言葉は充分だろ。 今すぐ、行動に移そう。
ーーBob Marley

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年04月10日 | Permalink