先週の金曜日から風邪でダウン、週末は一切、起き上がれず、今もまだ微熱が残る状態ながら、
今日1日に伺った素晴らしい話しの数々に、ついつい病人であることを忘れさせられ、
終電近くまで、日本のIT業界の将来やら、中国系エンジニアの台頭、グローバル市場といった話しでもりあがってしまいました。
今日、行なわれたイベントというのはSam古川こと、古川 享PM主催の「第一回 未踏ソフトウェア創造事業オフ会」というイベントです。
開催と同時に、古川さんが「
古川 享ブログ」も顔負けの情報量で、日本のパソコン業界の黎明から、記憶に残るプロダクト、アスキーの思い出やビル・ゲイツとの思い出などを熱く語った上で、日本のソフト事業に期待することや、自らが学んだ教訓についても熱弁してくださいました。
アスキーを去り、マイクロソフトに移籍したときの苦々しい思い出についても、赤裸裸かつ正直に話してくださり、心を打つものがありました。マイクロソフトに行くと決心したからには、公開前のアスキーの株をすべて返済したところ、アスキーの側も、一緒に旅立つ社員選びについてフェアな姿勢で応じてくれた、という話ですーーだから、若い方々にも「相手には常にフェアな態度で臨め」というお話でした。
個人的にもう1つおもしろかったのは、古川さんがテープという形でBSDのソースコードをもらい、その日本語化を手がけたという話。その後、これがSONYのワークステーション「NEWS」に使われたことまでは聞いたことがありましたが、よく考えたら、現在のMac OS X "Leopard"にも、もしかしたら、この時代の痕跡が残っているかもしれません。そう考えると、ちょっとおもしろいですよね。
古川さんと言えば、現在、月刊asciiで、
Life is beautifulの中島聡さんと、2号にわたるぶっちゃけ対談をして大きな話題となっていますが、この中島さんについても、「私のであった天才プログラマ」の1人として、詳しく話してくれました(ビル・ゲイツとの大げんかなど)。
ちなみに、私は、以前、中島さんの、
こちらのブログ記事を読んでT林編集者に「絶対におもしろいから、声をかけて欲しい」と勧め、その結果、「bossa mac」の
こちらの記事が誕生しました。それ以後も、中島さんの記事はいくつも拝見しているのですが、おそらく一度もちゃんと挨拶していません。ぜひ、今度、ご本人に紹介してください(といっても、今はSVですね)>古川さん
ちなみに、CANDYには、私も衝撃を受けました。実家を探せば、晴海で行なわれていたビジネスショーでもらった、初期のCANDYのカタログがあるかもしれません。