「蔦屋家電」は新しい販売スタイルを確立できるか?


今日、二子玉川駅直結のライズショッピングセンターに「蔦屋家電」がオープンした。「生活提案業」を標榜するTSUTAYAによる新業態ストアだ。

 家電製品の購入場所といえば、いつの間にか「家電量販店」が幅を利かせてしまった今日この頃。質よりも価格と取り扱い製品の量、在庫の量で勝負をし、色気のない蛍光灯の下で各社の類似製品が横並びに陳列され、その上にドギツイ赤や青の文字で「安売り!!」や「ポイント還元!!」といった札が貼られた展示、隙間無くビッチリと商品が詰め込まれた棚では色気のある家電製品は生き残ることができない。
 結果、日本の家電メーカーでは、そうした場所でも売れる商品を手がけるようになり、家電を搭載機能と価格だけで評価する人が増えてきた。
 これが「量販店」流だとしたら「蔦屋家電」が作ろうとしているのは「質販店」の文化だと感じた。


 例えば調理関係のイベントが行われる2階のイベントスペースの目の前の通路には、国内外の調理関係の本が並べられている。そこから通路の反対側に渡ると、右側にはクラフトビールのセレクションが充実した「GOOD MEAL SHOP二子玉川店」。ここのビールを買ってイベントに参加することも可能だそうだ。一方、左側には調理家電のコーナーがあり、「茶プレッソ」のマシンの周りには、一瞬、「これワイン?」と間違えるような八女のボトル入り茶などが売られている。
 二子玉川の蔦屋家電は、代官山Tサイトと同じ2フロア構成で、床面積は代官山3棟をひとまわり上回るサイズ。2階にはきれいに円弧を描いた全長100mの広々とした通路があり、そこを歩いて行くと、最初はインテリア街にいたと思ったら、いつの間にか食の街に変わっていたり、美容と健康の街、安眠やリラックス、お掃除の街へと景色が変わっていく。
 そしてそれぞれの街には、それに関連する家電と本そして装飾のオブジェが飾られていて、実は街と街の境目もつなぎめがどこなのかわからないようにうまくつなげられている。
 この店のデザインで、TSUTAYAがこだわったことの1つが「シームレス」なのだそうだ。
 気になっていた美容家電を見ている時に、気になる美容本を見つけて、そこから美容食の魅力に気づいて、食べ物を買って帰る、みたいなセレンディピティがいっぱい起きそうなデザインになっている。
 冒頭で家電量販店の展示の仕方の問題を指摘したが、それ以外にもう1つある。これは量販店だけでなく、雑誌媒体などのメディアもそうなのだが、日本のお店やメディアは、何か商品を陳列する時に必ず「〜〜〜系」と言ったレッテルを貼りたがる。
 私もまだ雑誌でレビュー記事を書いていた時は「いや、これは、これまでにないジャンルの新製品で、下手にそのレッテルを貼ってしまうと、新たに提案しようとしているスタイルに読者が気づかない。製品利用イメージを固定化してしまうのでよくないんじゃないか」と言っても、やはり、メディアはどうしても昔からの慣習で「伝わりやすさ」優先でレッテルを貼りたがる。実際には「イノベーション」の本来の意味は「新結合」、イノベーティブな商品というのは、本来、どこにもカテゴライズされないのが当たり前、であるにも関わらずだ。
 しかし、「蔦屋家電」の「シームレス」な売り方なら、こうした商品が自然に「居場所」を見つけることができる。
 実は、これまでのレッテル展示のせいで、世の中に存在を知られにくかった商品も結構あると思う。例えば「ロボット掃除機があるなら、ロボット芝刈り機もあればいいのに」と思っていたことがあるが、蔦屋家電では普通にグリーン(観葉植物のコーナーの近くに)飾られていた。
 音楽CDからiPhoneに直接音楽を取り込めればいいのに、と思っていたこともあるが、そうした商品も既にあって、1階のスマートフォン関連のコーナーと音楽コーナーの間くらいに展示されていた(ちなみにIOデーター製の製品だが、それとは別に蔦屋家電オリジナル商品として、しっかりとかっこいい見た目の「 T Air」という商品が6月から発売されるようだ)。
 もちろん、買うものが既に決まっていてそれを探す、というのであれば従来の「家電量販店」の方が見つけやすだろうし、さらにいえばAmazonなどのECサイトの方が見つけやすいだろう。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2015年05月03日 | Permalink

CMの裏の空気が楽しい「大空気展」、日曜日まで

大空気展。入り口にはカンヌ国際広告祭フィルム部門金賞が飾られている。


月曜日、福岡は天神で開催されている「大空気展」を観てきた。

江口カン氏率いる福岡を拠点としたクリエイティブ集団「KOO-KI(空気株式会社)」のこれまでの集大成と言える展覧会で、福岡の天神、IMS(イムズ)の8階にある三菱地所アルティアムで日曜日(2014/4/20=明日!)まで開催されている。

まだ、見に行っていない人で、今、福岡にいる人は急いで見に行こう。
この記事なら移動の電車やタクシーの中でスマホでも読める。

 KOO-KIが手掛けたCMと言えば、一番有名なのは「LOVE DISTANCE」。
 シリアスな青春ものかと思えば、「え!?こういうオチ?」と驚かされるCMで、カンヌ国際広告祭フィルム部門金賞に輝いたことでも有名。




大空気展、展示会場

 「大空気展」では、これ以外にもKOO-KIが、これまでに手掛けてきた200本近いCMやゲームのタイトル画面、福岡Yahoo!ドームの巨大スクリーンに映し出される映像が一番奥のスクリーンで流され続けている(全部見ると4時間を超えるらしい)。
話題になった「おしい!広島県」や「Nike Cosplay」、makitaの「草刈りだ!」などに加え、実は結構、海外のCMも手掛けていることに驚かされた。
ただ、権利などの関係で東京五輪招致の映像が見せられなかったのは残念!

さて、奥の大スクリーンではこうした映像をずっと映し続けているが、その手前左右の壁には話題になったCMの製作過程につくられた絵コンテなどが飾られている。


 クライアントへのプレゼンのメモから、ボツ案、マインドマップのようなものまで内容はさまざまだが、これは言うなればCMの製作過程の裏側にあるソースコード。

 テレビCMは時間当たり、もっともクリエイティブにコストをかけた日常であり、下手なドラマや映画よりも印象に残るものも多い。

 そうした、これまで当たり前に触れてきた映像の裏にこんな議論の跡があったんだ、こんなやりとりや試行錯誤があったんだ、「これも狙いだったんだ」、こんなところまでこだわっていたんだ、と知ることでその映像に対する愛着や思い入れがまた変わってくる。

 見ていて非常に面白かったのが、絵コンテといっても実にさまざまなタイプのものがあること。
 KOO-KIには何人もの監督がいるが、人によっていわゆる映画監督などが描くような、決まったフォーマットの紙に絵コンテを描いているケースもあれば、ただの落書きを絵コンテに発展させたようなもの、絵が全然なくってひたすら日本についてのデーターが並べられ、それらのFACTをどんなアニメーション効果でつなぐかが記された経産省向けの動画など。
 課題へのさまざまなアプローチの仕方を見比べる楽しさもあって楽しかった。

 これだけでもボリュームたっぷり感があるが、この滅多には見れないCMの舞台裏をさらに楽しめるように、KOO-KIではiPad連携を実現。

 なんと、壁に貼られた絵コンテに専用アプリが起動したiPadをかざすと、なんと絵コンテの上にメニュー画面が表示され、できあがったCM映像を再生することが出来るのだ。
 実はこの展示用アプリも物凄く秀逸だ。今だと決まった画像であれば、(QRコードの印のような)マーカーなどを使わないでも、カメラに写っているモノを瞬時に画像認識してこんな連動もできるんだ、と驚かされる。


LOVE DISTANCEの絵コンテを通して映像をみているところ

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投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年04月19日 | Permalink

深刻さが増すインターネットの重大な欠陥

インターネットで広く使われてる基礎技術に重大な欠陥が見つかりました。

長らく安全だろうと信じられ、さまざまなサービスをつくるのに広く使われていたOpenSSLという基礎技術が、「実は安全ではなかった」とが発覚したのです。

まだ、その方法で何か大きな被害などが報告されているわけではありませんが、数日前から欧米では大きな問題となりテレビや新聞でも報じられています。

これにより、画面上では「・」に置き換え表示されて他の人にわからないように思えるパスワードも含め、インターネット上の多くのやりとりが、傍受できる可能性が出てきました。

もちろん、既に解決策を見つけて対処をしているWebサイトも多数あります。

ちなみに米国ではmashableというブログが、この問題によってパスワードが漏洩する可能性があったWebサービスの一覧を公開しています:

The Heartbleed Hit List: The Passwords You Need to Change Right Now
http://mashable.com/2014/04/09/heartbleed-bug-websites-affected/


こうしたところでパスワードを盗まれると、今すぐには被害がでなくても、後でドロボウがパスワードをずっと知っていることを隠しておいて、あるとき、突然、乗っ取りをしたり、モノを買ったりと悪用する可能性もないとは言えません。



また、特定のサービスが安全かを確認するWebサイトも登場しています:
Heartbleed Server Test
http://filippo.io/Heartbleed/

上のサイトは @heima さんに教えてもらいました。

山下計画の山下哲也さんによれば、楽天やAmazonなどは概ね大丈夫ですが、いくつか日本の銀行系サイトで問題が大きそうなところがあるようです。

悪用するハッカー達はこんな情報、とっくに知って、行動を起こしているのに、こうした情報を報道しないことで、知らない人達が危険な場所を危険なまま歩くような状態が続いています。

日本のマスメディアでも、そろそろこの問題を本格的に取り上げ報じるべきタイミングだと思います。


なお、ツイッターで色々な方と情報交換したところ慌ててパスワードを変更しようとすると、そのタイミングでパスワードを盗まれる可能性もあるので、該当サイトには対策が施されるまでアクセスしないでおいて、対策が施されたらすぐにパスワードを変えた方が良さそうですね。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年04月10日 | Permalink

インターネットってマスメディアより、そんなに立派なんだろうか?

 昨日は帰りが遅くテレビもまったく見ていないが、日本のインターネットでは小保方さんの会見と並んで、どこかのニュース番組で「司会者がパワポ(PowerPoint)を知らなかった。」ということが、そこそこ大騒ぎになっていたのをFacebookの多数の関連投稿で知った。

 「あの司会者はパワポを知らなかったのではなく、知らない視聴者のために演技をしていた」という見方もあるらしい。

 こうした投稿へのコメントとして「パワポも知らないレベルの視聴者を相手に番組をつくっているテレビはメディアとして終わっている」といった意見もあれば、その上にのっかるように「だから、もうテレビは見ない」といった意見も見かけてフト思った。

 では「こんな話を大事(おおごと)にしているインターネットは果たしてそんなに立派なメディアなんだろうか?」と。

 実際、この話自体があまり有意義な話題には思えない…

 どうでもいいことだし、普段の自分なら、この話題ごと、いつも通りスルーをして触れることもないのだけれど、こうしたことを話題にする発想が、日本のインターネットをダメにしている、と常々思っていた。いい機会なので、ブログに書きたくなった。

 件の番組については見ていないので司会者がパワポを知っていそうだったか、知らなそうだったかについての意見はない。

 ただ、もし「視聴者を意識して、パワポを知らない演技をしていた」というのが仮に本当だとしたら、それは最善の方法かどうかは別として、マスメディアの人間として当然取るべき姿勢の1つではないかと思う。

 マスメディアは「知っている人だけわかればいい」という閉ざしたオタクのニッチメディアとは違うのだから。

 世の中、すべての人がパワポを使うとは限らない、そんなことを知らない人の方がよほど「井の中の蛙」で、ひとつの業界にあまりにも深くとじこもり過ぎだと思う。
 視点が狭過ぎだ。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年04月10日 | Permalink

便利はいい、でも豊かになったのか?

academy hillsから送られてきた書類。
返送用の封筒の「梅」の花を見ていて、ふと気がついた。
「切手って82円だっけ?」
どうやら4月から消費税増税でそうなるらしい。

つまり、「返送が月をまたいでも大丈夫ですよ」という言葉のない気遣いの現れなのだ。
そして、返送する相手の心をちょっとなごます梅の花。
「おもてなし」は何もホテルとレストランの専売特許ではない。
日常のあらゆるところに自然と出てくるものであり、それを感じとって愛でるのが日本人の粋だ。
そして、最近ではそれを愛でる日本人のハートを持った人は、日本だけではなく世界中に誕生し、
日本を訪れては、我々が当たり前と見過ごしている小さなこと1つ1つにいたく感動している。

このことをFacebookに投稿したら、こんな返事があった。
「質量とサイズなどで切手料金シールが自動的に出力される機械が総務に」あって、それが使われているというのだ。

20世紀を通し我々は「便利さ」を「豊かさ」の象徴と、はきちがえた信仰をつづけてこうした世界をつくってきた。

先日、英語ブログでも触れた横浜美術館の展覧会「魅惑のニッポン木版画」展の最初の展示室を覗くと、江戸時代の人々が、最新技術を彩り豊かで味わいのある生活を生み出すために活用していたかを伺い知ることが出来る。

これに対し、今は技術が文化と逆の方向を向いていると感じることが多い。
常にそうだったわけではない。

アップル社は1984年に発表したMacintoshで、DTPという技術を世に広める。
これは今日のほとんどの出版物で使われている技術であり、
ある意味、アップルは今日のグーテンベルグとも言える。

スティーブ・ジョブズも、いくつかのインタビューで、そうしたことができたのは、自分が大学でカリグラフィーなど技術以外のことにも関心を示したことが影響していると答えている。

だが、一方でこのDTPが欧文の出版物から豊かな文字表現を奪った側面もある。

きれいな装飾の絵本などで使われていたスウォッシュ文字やカーニング、リガチャーと言った活版印刷時代に築かれた豊かな文字表現の文化がDTP化によって出版物から消え去ったのだ。


Image by Nikolai Sirotkin

 しかし、アップルやアドビ、マイクロソフトといった会社はその状態を放っておかなかった。

スティーブ・ジョブズの不在時代も、これらの会社のエンジニアらが技術によって豊かさが失わされるなんていうナンセンスを起こしてはいけない」と必死で頑張り、今日では多くのフォントに、こうした活版印刷時代の文字表現をする技術が、かなり盛り込まれるようになった。

 翻って、これは日本だけではないかも知れないが、技術の他の領域では、便利さと効率ばかりを宣伝して、それによって失われる「豊かさ」を忘れさせ、「便利だけれど粗末」、「便利だけれどみすぼらしい」をはびこらせてしまっているものも多いのではないかと危惧している。
 しかも、多くの日本人は、一度、「便利」におかされると、粗末を当たり前のこととして身体で受け入れてしまい、そこを基準に発想をしてしまうような気がしてならない。

 技術には、それまで一部の人しか享受できなかった「豊かさ」をインスタント化して、より大勢に広げる側面がある。それは、それでいいことだ。
 問題はその後だ。
 同じコストで、かつての豊かさを取り戻す、あるいはそれを超える努力をする人がいれば、これまで我々が築いてきた文化は前進する。逆に、インスタントな状態に安住してしまうと、文化はむしろ後退してしまう。
 文化を前進させつつ、それを大勢に広げて行くことは技術者だけではできない。
 そうした文化の良さを深く知る人がいて、その人の主導の元、技術者に対して「この品質でないと認められない」といったせめぎ合いをして初めて本当に豊かで優れたものが誕生する。

 それなのに、最近の我々が住む世界は、この議論が少々欠けているような気がしてならない。
(いや、クリエイターと呼ばれている人達の世界では欠けてないように聞こえるが、大きな影響力を蓄えてきた技術の側の人達の世界では、ほぼ皆無なので、この2つの別世界がつながれば問題は解決するのかも知れない)。


 もう1つ課題がある。
 この文化の「根っこ」を失ったインスタントがはこびる社会で育った次世代に、どうやって本来の日本の美を伝え、教えていくのか。
 冒頭でも紹介したような「日本の美徳」が意味のないものとは、私にはとても思えない。
 ならば、子供たちにそうした「美徳」をどうやって伝えていくのか。おそらく日々の積み重ねこそが大事だとは思うが、豊かな感性を育めるはずの時間を受験勉強と塾に奪われ、家では疲れ果てるかゲームかスマホに没頭しているこの時代、日常で刺激のない積み重ねで本当に価値を継承できるのか。これも重要な問題の1つだと思う。

 書くだけ書いたが、私自身が筆無精で、気遣いはしても、それを実行に移せない人間なので自分への反省を込めながら問題提起させてもらった。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2014年03月27日 | Permalink