理想からの発想 vs 問題点からの発想
nobilog returns: self-checkout cashier au japon
先日、ちょっと感動した大崎ゲートシティーのRELUCK。
ここ、なんとお客さんが自己申告清算してEdyで支払える、という画期的なシステムを導入しているのだ。
Edyをインストールしたおサイフケータイをカードリーダーに置いたら、
買ってきた商品のバーコードをを自分でスキャン。
合計金額を確認してOKボタンを押すと、清算完了。
あとは自分で商品を袋詰めにして(あるいは、もっとエコに持っている自分の鞄に入れて)
レシートを取って立ち去る。
この企画を、この日本で通した人達も、こういうサービスを受け入れている大崎ゲートシティーも
本当に先進的だしスゴいと思う。
これこそ我々が求めるべき「理想の未来」なんじゃないかと思う。
この理想的なシステムは、「セキュリティーがどうこう」とか「万引きがどうこう」とか、言い始めると、そもそも実現しない。
弾丸がまずは標的までの半分の距離を目指すという「ゼノンのパラドクス」同様で、これではいつまでも未来に向かって進化していくことができない。
時々、誰かが「え、それって危険なんじゃないの?」と思えるような冒険を誰かがしてくれないことには、人間はどんどん思考停止が広まってしまうんじゃないかと危惧しているのは私だけだろうか。
エスカレーターで事故が起きたといったら、「注意」の札を出して、それで安心。
ドアでけがした人がいたら、ドアに「注意」の札を出して、それで安心。
そうやって、せっかくのきれいな景観を「危険」だ、「ゴミを捨てるな」だ、なんだ、かんだの立て札で台無しにしてしまうのにもなんだか似している。
何か問題が起きる度に、ルールをつくって、それを禁ずるっていうのはなんか、仕方がないことのように思えるけれど、根本的ではない、その場しのぎな解決策な気がする。
最近、残念なことによく見かける「だって、ダメって書いてないじゃん」という恥ずかしい言い訳をする大人は、そういうやり方の副産物なんじゃないか。
本当はルールを最小限のセットに抑えて、常に人々に良識を問いかけるアプローチの方が正しいんじゃなんじゃないか、と思う。
もちろん、人によって良識の解釈も違うから、その部分は、なんとか解決しなければならない。
でも、wordyな解決策(言葉を増やして、「とりあえず書いたからこれで安心」的発想)は、これまたやはり思考停止の壁を増やしているだけだ。
話しがそれたけれど、このRELUCKのセルフ会計レジの企画を通してしまった人は、もしかしたら、新しい社会のしくみづくりのヒントを握っているのかもしれない。
子供たちに「こうした方がいいよ」、「ああした方がいいよ」と教えてきた理想と矛盾しない、なんか素敵な理想を実現するヒントを。
月刊アスキーあらため月刊ビジネスアスキーの創刊号で、未だにネガティブな方面での話題が耐えないGoogle Street Viewの記事を書かせてもらった。
とりあえず、プライバシー問題だ、なんだは置いておいて、普通に考えたら、誰もがあきらめちゃうようなサービスを、Googleはどうして実現していくのか、という記事だ。
その中で、Googleの方にいただいたコメントに「(Googleのサービスは)テクノロジーのオプティミズムに立脚している」という言葉が出てくるのだけれど、このRELUCKのサービスなんかも、まさにその「テクノロジーのオプティミズム」の好例なんじゃないかと思う。