世界というコンテクストでのアイデンティティー
先週、金、土、そして日曜日まで連日で取材が入ったために,仕事が大幅に遅れてしまっている。
特に少しは休養をとりたかった日曜日の取材が、朝から夜7時過ぎまでの長丁場−−すっかりペースを乱した状態で週明けを迎えることになった。いずれの取材も有意義ではあり、この場を借りてぜひ共有したいが、この仕事の遅れでは、それもいつ実現するかわからない。
毎日、1本くらいづつ気分転換のつもりで書いていくかな...
ただ、その前に、「知デリ」について書こう。
週末の取材の中では一番おもしろかったのが、大阪大学コミュニケーションデザインセンター(CSCD)の社学連携「知デリ」だった。
なぜ、今、触れたいかというと、実はその第2回目が今週金曜日に大阪心斎橋のApple Storeで開催される(3月16日(金)19:00-20:30)。
ゲストはOpenSkyなどの作品やガンダム展への出品、そして今年10周年を迎えるPost Petの生みの親としてもあまりにも有名な八谷和彦さん。興味のある人は、今からカレンダーにマークをつけておいて欲しい。
本当は、今、この時間を使って一番、書きたいのは、第1回目の「知デリ」の内容だけれど、それをやっちゃうと他の書きたい内容を書くチャンスを永遠に失ってしまいそう。
そこで、まずは2月9日(かなり前だな)に開催された「大型美術館はどこへ向かうのか?:サバイバルへの新たな戦略」について書きたいことを忘れないうちに書いておきたい。
もっとも、イベントの詳細なレポートは18日発売のMACPOWERにも書いたし、さまざまなブログでも書かれている:
technoratiサーチ
ここでは個人的に一番、気になった話題を取り上げたい。
それは美術館の国際化が進む中でのアイデンティティーの問題だ。
パリのポンピドー・センターはベルギーやドイツ、スイスの国境に近い都市、メスに分館をつくっている。
ニューヨークのMoMAや、ロンドンのテート・ギャラリーも国際的集客力を持つ美術館だ。
グッゲンハイムのように、ややフランチャイズに近い形で海外展開をする美術館も出てきている。
後半のパネルディスカッションで、森美術館館長の南條史生さんから、こんな質問が出た。
「美術館がどんどん海外に進出していく中で、美術館のアイデンティティーとはいったいなんなのだろう?」
これについて美術界に詳しい人の間では,南條館長の首を絞める質問という意見もよく聞く。
美術館の価値とはどういうコレクションであって、コレクションを持たない森美術館にはそもそもアイデンティティーがない、という意見だ。
でも、私はこの意見に必ずしも同意できない。
パネルディスカッションの中でも、コレクションを眠らさないために他の美術館に貸し出したり、その他の形でコラボレーションをすることで、コレクションを還流させることが大事という議論があった。となれば、コレクションは重要な資金源にはなるかもしれないが、必ずしもアイデンティティーの一部になるとは限らない。
そもそも現代美術系の美術館においては、ジャンルが多様にありすぎて、コレクションをすること自体が難しい側面もある(デジタルアート、インタラクションアートなどとなればなおさらだ)。
要するにコレクションを持たない、企画展中心の美術館でも、「こんな企画を考えつくのはあそこしかない」というアイデンティティーを築ければ、それこそが強みに思えてしまう。
そういう意味では、美術館のアイデンティティーはキュレーターとその企画の承認プロセスに組み込まれたDNAなのかもしれない。
ところで、この質問は美術館の話しだけに止めておくのはもったいない質問だ。
例えばこのブログは、世界においてどういうアイデンティティーを保っているのか。
私自身はどうなのか?
世の中、IT系のジャーナリストもいっぱいるし、留学経験のある日本人も無尽蔵にいる。
3カ国語、4カ国語話す人間もたくさんいるし、そんなことはアイデンティティーになり得ない。
Macやサーチエンジンに詳しい人もたくさんいる。
自分は世界の中で、どういう価値を持っているのか。
世の中のフラット化はますます加速しており、歯止めになりそうなものは見当たらない。
そういうコンテクストの中で、自分は世の中にどういうユニーク・バリューを提供できるのか。
知識は差別化の要因にならない。
大事なのは刺激に、自分が持つバックグラウンドを掛合わせて、どういうアウトプットが出せるかだと思う。
前にスティーブン・ホーキング博士の講演を聴いた。
「これまで生命体の進化はDNAの交換によって時間をかけて行われていた。
だが、人類は言葉を生み出したことによって、情報の交換による進化を可能にした。」という。
となれば、外部の情報と、内部の情報をかけあわせて、どういう種を生み出せるかが、自分のアイデンティティーなんじゃないか。
だとすれば、どんな話題にもついていける幅の広いネットを持ち、どんなことにも敏感に反応できる感性を磨きたい。
自分には、新しい種を生み出す、どういう素養があるのか。
今後、じっくり煮詰めていきたいテーマだ。
特に少しは休養をとりたかった日曜日の取材が、朝から夜7時過ぎまでの長丁場−−すっかりペースを乱した状態で週明けを迎えることになった。いずれの取材も有意義ではあり、この場を借りてぜひ共有したいが、この仕事の遅れでは、それもいつ実現するかわからない。
毎日、1本くらいづつ気分転換のつもりで書いていくかな...
ただ、その前に、「知デリ」について書こう。
週末の取材の中では一番おもしろかったのが、大阪大学コミュニケーションデザインセンター(CSCD)の社学連携「知デリ」だった。
なぜ、今、触れたいかというと、実はその第2回目が今週金曜日に大阪心斎橋のApple Storeで開催される(3月16日(金)19:00-20:30)。
ゲストはOpenSkyなどの作品やガンダム展への出品、そして今年10周年を迎えるPost Petの生みの親としてもあまりにも有名な八谷和彦さん。興味のある人は、今からカレンダーにマークをつけておいて欲しい。
本当は、今、この時間を使って一番、書きたいのは、第1回目の「知デリ」の内容だけれど、それをやっちゃうと他の書きたい内容を書くチャンスを永遠に失ってしまいそう。
そこで、まずは2月9日(かなり前だな)に開催された「大型美術館はどこへ向かうのか?:サバイバルへの新たな戦略」について書きたいことを忘れないうちに書いておきたい。
もっとも、イベントの詳細なレポートは18日発売のMACPOWERにも書いたし、さまざまなブログでも書かれている:
technoratiサーチ
ここでは個人的に一番、気になった話題を取り上げたい。
それは美術館の国際化が進む中でのアイデンティティーの問題だ。
パリのポンピドー・センターはベルギーやドイツ、スイスの国境に近い都市、メスに分館をつくっている。
ニューヨークのMoMAや、ロンドンのテート・ギャラリーも国際的集客力を持つ美術館だ。
グッゲンハイムのように、ややフランチャイズに近い形で海外展開をする美術館も出てきている。
後半のパネルディスカッションで、森美術館館長の南條史生さんから、こんな質問が出た。
「美術館がどんどん海外に進出していく中で、美術館のアイデンティティーとはいったいなんなのだろう?」
これについて美術界に詳しい人の間では,南條館長の首を絞める質問という意見もよく聞く。
美術館の価値とはどういうコレクションであって、コレクションを持たない森美術館にはそもそもアイデンティティーがない、という意見だ。
でも、私はこの意見に必ずしも同意できない。
パネルディスカッションの中でも、コレクションを眠らさないために他の美術館に貸し出したり、その他の形でコラボレーションをすることで、コレクションを還流させることが大事という議論があった。となれば、コレクションは重要な資金源にはなるかもしれないが、必ずしもアイデンティティーの一部になるとは限らない。
そもそも現代美術系の美術館においては、ジャンルが多様にありすぎて、コレクションをすること自体が難しい側面もある(デジタルアート、インタラクションアートなどとなればなおさらだ)。
要するにコレクションを持たない、企画展中心の美術館でも、「こんな企画を考えつくのはあそこしかない」というアイデンティティーを築ければ、それこそが強みに思えてしまう。
そういう意味では、美術館のアイデンティティーはキュレーターとその企画の承認プロセスに組み込まれたDNAなのかもしれない。
ところで、この質問は美術館の話しだけに止めておくのはもったいない質問だ。
例えばこのブログは、世界においてどういうアイデンティティーを保っているのか。
私自身はどうなのか?
世の中、IT系のジャーナリストもいっぱいるし、留学経験のある日本人も無尽蔵にいる。
3カ国語、4カ国語話す人間もたくさんいるし、そんなことはアイデンティティーになり得ない。
Macやサーチエンジンに詳しい人もたくさんいる。
自分は世界の中で、どういう価値を持っているのか。
世の中のフラット化はますます加速しており、歯止めになりそうなものは見当たらない。
そういうコンテクストの中で、自分は世の中にどういうユニーク・バリューを提供できるのか。
知識は差別化の要因にならない。
大事なのは刺激に、自分が持つバックグラウンドを掛合わせて、どういうアウトプットが出せるかだと思う。
前にスティーブン・ホーキング博士の講演を聴いた。
「これまで生命体の進化はDNAの交換によって時間をかけて行われていた。
だが、人類は言葉を生み出したことによって、情報の交換による進化を可能にした。」という。
となれば、外部の情報と、内部の情報をかけあわせて、どういう種を生み出せるかが、自分のアイデンティティーなんじゃないか。
だとすれば、どんな話題にもついていける幅の広いネットを持ち、どんなことにも敏感に反応できる感性を磨きたい。
自分には、新しい種を生み出す、どういう素養があるのか。
今後、じっくり煮詰めていきたいテーマだ。