Rights to Your Contents
久々にSNS関係の記事を書いたこともあり、昨日、仕事の合間に手を休めてSNSのことを考えていた。
最近、日々のコミュニケーションの主体を、電子メールからインスタントメッセージングやSNSのメール/日記機能に移行しつつあることは、これまでにも述べてきた通りだ。
nobilog2のエントリーの最後に「mixiから来た方は...」と書いてあるのを読んでお気づきの通り、ここに書いた記事の一部はmixiの日記にも掲載している。さらにmixiの日記には、友達だからこそあかせるような話も書いている。
でも、もしなんらかの都合でmixiが使えなくなってしまったら、それまで書き貯めてきた日記というコンテンツや、メールの記録、そしてそれに寄せられたコメントはどうなってしまうのだろう。
実は前に一時的にメールがメンテナンスで使えなくなっていたときにも、これは感じた。
これはmixiだけの問題ではない、他のSNSもそうだし、各社のBlogサービスだってそうだ。
あなたがSNSやBlogの記事/日記容量を使い果たしたらどうなるのだろう?古い記事のバックアップは可能なのだろうか?
アーキテクチャーがある程度オープンになっているBlogや、公開されたAPIを持っているBlogなら、例えば「ecto」などの記事エディターを使って、バックアップができる。
しかし、完全にクローズドなアーキテクチャーのサービスでは、手作業で大事なメール/日記を1つ1つコピーして保管しておくしかない。
そんなことを考えながら、RSSを読んでいた頃、宮川さんが「bulknews.net」でこんな記事を書いていた:
「Your Data is your data」
サイバーエージェントが「melma!blog」のサービスを中止するそうで、やはり宮川さんも記事のバックアップのことを心配している。
サービスを中止したblogは「melma!blog」が初めてではない。サービス停止をするSNSも登場し始めている。
blogやSNSは、数年前の電子メールアドレスと同じだ。
以前はメールアドレスが変わってしまうのが、いやで同じプロバイダーを使い続ける人がいたが。
今はblogにある程度の読者がつくと、あるいはSNSである程度の友達ができると、そのサービスにしばられてしまう。
ナンバーポータビリティーと一緒で、サービス事業者にとってみれば、下手に記事のバックアップや書き出しを可能にすると、それだけ顧客を失うことにもなりかねない。だから、用意しない、という魂胆は見えなくもない。
でも、ユーザーのことを考えたら、プラットフォーム非依存なバックアップ手段とかは用意して欲しいと思わずにはいられない。
CGM(Consumer Generated Media)という言葉が注目されている。大手のメディアがつくりだすコンテンツと同じか、それ以上に、実は自分の友達や、見ず知らずのコンシューマーがつくった情報の方がおもしろいということがわかってきた。
SNSやBlogもこうしたCGMのおもしろさの上に立脚したサービス。CGMのおもしろさを売りにして、トラフィックを得ているサービスだ。ならば、そうしたコンテンツを提供している著作者の便宜ももう少しはかってくれていいと思う。
もっとも、単にバックアップの手段を用意すればいいのかというと、そうでもないような気がする。
Flickrはいいサービスだし、よくできていると思うが、もし、なんらかの理由で突然、サービスを停止するようなことがあっても、もはや私はFlickrにアップロードしたすべてのデーターをあわててバックアップすることはできないだろう。数があまりに多く、1枚1枚の容量も大きいので、今のFlickrのスピードでも苛立つことが多い。もし、サービスをやめるようなことがあって、皆が一斉にバックアップを開始しようとしたら、とてもちゃんとバックアップすることは無理だろう(もしかしたら、Flickrにアップロードしたデーター容量が650MBを超える度にCD-Rに焼いて送ってきてくれるサービスがあったらいいかも)。
もっとも、コンシューマーが自分のコンテンツをバックアップする権利があるか、ないかなんて実は小さな問題なのかもしれない。
マイミクシーの日記では、ある団体がコンシューマーが自分でつくった音楽コンテンツを発信することに対してまで横槍を入れてきているという記事があった。自分のコンテンツをなくす前に取り戻す権利も重要だけれど、それ以上に、そもそも自由に発信させてもらう自由の方こそが先に取り組むべき問題なのかも...
最近、日々のコミュニケーションの主体を、電子メールからインスタントメッセージングやSNSのメール/日記機能に移行しつつあることは、これまでにも述べてきた通りだ。
nobilog2のエントリーの最後に「mixiから来た方は...」と書いてあるのを読んでお気づきの通り、ここに書いた記事の一部はmixiの日記にも掲載している。さらにmixiの日記には、友達だからこそあかせるような話も書いている。
でも、もしなんらかの都合でmixiが使えなくなってしまったら、それまで書き貯めてきた日記というコンテンツや、メールの記録、そしてそれに寄せられたコメントはどうなってしまうのだろう。
実は前に一時的にメールがメンテナンスで使えなくなっていたときにも、これは感じた。
これはmixiだけの問題ではない、他のSNSもそうだし、各社のBlogサービスだってそうだ。
あなたがSNSやBlogの記事/日記容量を使い果たしたらどうなるのだろう?古い記事のバックアップは可能なのだろうか?
アーキテクチャーがある程度オープンになっているBlogや、公開されたAPIを持っているBlogなら、例えば「ecto」などの記事エディターを使って、バックアップができる。
しかし、完全にクローズドなアーキテクチャーのサービスでは、手作業で大事なメール/日記を1つ1つコピーして保管しておくしかない。
そんなことを考えながら、RSSを読んでいた頃、宮川さんが「bulknews.net」でこんな記事を書いていた:
「Your Data is your data」
サイバーエージェントが「melma!blog」のサービスを中止するそうで、やはり宮川さんも記事のバックアップのことを心配している。
サービスを中止したblogは「melma!blog」が初めてではない。サービス停止をするSNSも登場し始めている。
blogやSNSは、数年前の電子メールアドレスと同じだ。
以前はメールアドレスが変わってしまうのが、いやで同じプロバイダーを使い続ける人がいたが。
今はblogにある程度の読者がつくと、あるいはSNSである程度の友達ができると、そのサービスにしばられてしまう。
ナンバーポータビリティーと一緒で、サービス事業者にとってみれば、下手に記事のバックアップや書き出しを可能にすると、それだけ顧客を失うことにもなりかねない。だから、用意しない、という魂胆は見えなくもない。
でも、ユーザーのことを考えたら、プラットフォーム非依存なバックアップ手段とかは用意して欲しいと思わずにはいられない。
CGM(Consumer Generated Media)という言葉が注目されている。大手のメディアがつくりだすコンテンツと同じか、それ以上に、実は自分の友達や、見ず知らずのコンシューマーがつくった情報の方がおもしろいということがわかってきた。
SNSやBlogもこうしたCGMのおもしろさの上に立脚したサービス。CGMのおもしろさを売りにして、トラフィックを得ているサービスだ。ならば、そうしたコンテンツを提供している著作者の便宜ももう少しはかってくれていいと思う。
もっとも、単にバックアップの手段を用意すればいいのかというと、そうでもないような気がする。
Flickrはいいサービスだし、よくできていると思うが、もし、なんらかの理由で突然、サービスを停止するようなことがあっても、もはや私はFlickrにアップロードしたすべてのデーターをあわててバックアップすることはできないだろう。数があまりに多く、1枚1枚の容量も大きいので、今のFlickrのスピードでも苛立つことが多い。もし、サービスをやめるようなことがあって、皆が一斉にバックアップを開始しようとしたら、とてもちゃんとバックアップすることは無理だろう(もしかしたら、Flickrにアップロードしたデーター容量が650MBを超える度にCD-Rに焼いて送ってきてくれるサービスがあったらいいかも)。
もっとも、コンシューマーが自分のコンテンツをバックアップする権利があるか、ないかなんて実は小さな問題なのかもしれない。
マイミクシーの日記では、ある団体がコンシューマーが自分でつくった音楽コンテンツを発信することに対してまで横槍を入れてきているという記事があった。自分のコンテンツをなくす前に取り戻す権利も重要だけれど、それ以上に、そもそも自由に発信させてもらう自由の方こそが先に取り組むべき問題なのかも...