人とアンドロイドの創発は、どんな未来を斬り開くのか

オルタ3の指揮で演奏する国立音大の学生オーケストラ


東大 × 国立音大:人とアンドロイドによる創発の研究


「人間の指揮者に近づけようとはまったく考えていない。だからこそ、ここから新しい指揮芸術が生まれてくるかも知れない」
ー国立音楽大学の客員教授、板倉康明氏

東京大学と国立音楽大学は「オーケストラを用いたヒューマンアンドロイドによる演奏表現の共同研究」を始める。その発表会でのことばだ。

 池上高志教授(東大)と石黒浩教授(阪大)による、自発運動プログラムを組み込んだアンドロイド、「オルタ」。
 池上教授と作曲家の渋谷慶一郎氏は、2018年、日本科学未来館で、このオルタが歌を歌いながら指揮をするアンドロイド・オペラ「Scary Beauty」を披露した(公演は話題となり、オーストラリアのアデレードでも行われ、今月末にはドバイでも行われる)。

 「普通、歌手が指揮をすることはしない。このことからも、この研究が、クラシックの指揮者をトレースすることからハズレている研究だとわかる。」と渋谷氏。

 研究では、人とアンドロイドと言う異質なものが、異質性を保ったまま創発的に生み出す音楽を模索する。
 具体的に両者には、どのような差異があるのか?
 
コンサートマスターを務めた学生の北原さんが、鋭い指摘をしていた。
 「(人間の指揮者だと)盛り上がると、(テンポが)ちょっと速くなったりするけれど、オルタくんは正確。ヒトと機械の両方の良さ、悪さを知ることができた。」という。
これは機械が良い、人間が良い、という話ではなく、両者の性質の違いだ。
彼女は 「音楽的に盛り上がってきて、速くしたいなと思った時には人間の指揮者の方が良い」とも付け加えている。

「オルタ3」は、奏者50人くらいの表情を見分けられる目も備えており、今後は、実際に表情に合わせてテンポを変えることも研究のひとつとして検討しているのだとか。

 冒頭の板倉先生が、ヒトとアンドロイドの創発に関する別のエピソードを紹介してくれた。学生たちは、この発表会に向け3日間、練習をしていた。1日が終わる頃には疲れ果てくたくたになっている学生たち。その時、突如、オルタが明るい表情を見せながら指揮をした。それに釣られるように最高の演奏が飛び出したのだ、と言う。

 アンドロイドが意図して、そう演奏させたわけではないかも知れないが、板倉氏は弦楽器科の永峰 高志氏のこんな言葉を引用して、その意味を説明する。
 「指揮者の本来の役割は拍を出すことではない。そうではなく音楽の方向性などの内面性を引き出すこと。アンサンブル(つまり演奏を周囲と合わせること)は(指揮者の側ではなく)オーケストラで出すもの。」

 そう言う意味では、この演奏は意図の生むに関わらず「オルタ」が引き出した、と言えるのではないか。

 学生の北原さんもこう言っていた。

 「面白そうと思って参加したものの、初日は(指揮が)わかりづらかったし、(オルタの)見た目も怖かったので不安があった。ただ、やっていくうちに曲にもオルタくんにも愛着が湧いてきた。みんなで(オルタの指揮を)見て集中して合わせようとしているのを強く感じた。」


左から池上高志氏、渋谷慶一郎氏、北原さん、板倉康明氏、そして国立音大の今井慎太郎准教授


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月16日 | Permalink

日本が第2のホームグラウンド「永遠のソール・ライター展」

「タイトル『永遠のソール・ライター』の『永遠』に込めた意味は色々あるけれど、その一つはここ日本がソール・ライターのもう一つのホームグラウンド、という意味です」
1月9日から渋谷 東急Bunkamuraザ・ミュージアムで始まった2度目のソール・ライター展(-3/8まで)のオープニングレセプション、ソール・ライター財団マーギット・アープ理事長の言葉だ。



投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月14日 | Permalink

私はいかにしてテクノロジーを経てデザイン、アートに傾倒していったか…

30周年の節目


今年は私がテクノロジージャーナリストとして仕事を始めてから30年の節目の年だ。
で、この30年で、どんな実績が?
記憶力が悪い上に頭は次にやりたいことでいっぱいなので、とっさに思い出せない。

 デビューは、世界でも初めてかも知れないシェアウェアを紹介する連載。
これを企画、執筆し雑誌の目玉の1つにできていたと思う。

 その後、テクノロジー企業の創業者や研究者、ビジョナリー、思想家、デザイナー、経営者など、もはや会えなくなった人も含め錚々(そうそう)たる人たちを取材し、その言葉を文字に変えてきた。
 本も1ダースほど書いた。一部は台湾や韓国でも翻訳出版された。一通りの新聞、テレビ局に出演したし、英米仏韓西(+カタルーニャ)の雑誌、Web媒体やテレビ、ラジオにも出演した(人によってはこっちの方が実績だと思うかも知れない)。
 そういえば、日本でのiPhone発売開始前夜祭イベントで孫正義さんと一緒にMCをさせてもらったりなんていうこともあった。
 でも、いずれも過去は過去だ。

 そんな私が、ここ数年はすっかりテクノロジーよりもアートやデザイン、教育方面に傾注していることはTwitterやFacebookを見ている人ならご存知の通りだ(最近「アート/デザイン関係の方だと思っていました」と言う人も増え、喜ばしく思っている)。

 これは自分の中では極自然に起きた変化だが、不思議に思っている人も少なくない。
 改めて説明を試みると、自分の中でもいろいろと面白い発見があった。

 丁寧に書くとどうしても長くなってしまうので文字数の上限を決めて説明してみたい(ちゃんと伝えるには、長大なメッセージよりも角度を変えた短いメッセージを長期間にわたって何度も出し続ける方が効果的というのは、この30年の学びのひとつだ)。


「DNA Black List Printer」 by BCL。パンデミックを引き起こすウィルスのDNAの印刷を試み続けるDIY DNAプリンター(アート作品)。BCL=Georg Tremmel x 福原志保
「2018年のフランケンシュタイン バイオアートにみる芸術と科学と社会のいま」展より


未来をつくっていたのはテクノロジーではなくデザインかも知れない


 この5年ほどの間に、ひとつ大きな発見があった。自分にとっては、歳をとってから、自分の性的趣向が他の人と違っていたことに気がついたかのような衝撃の発見だった。

 それは、自分がそもそも興味を持っていたのは「テクノロジー」ではなく「未来」の方だった、ということだ。

 この「未来」という言葉には、「人類の種としての進化」だったり、「豊かな文化」といった視点も含められている。
 それだけに、新たなテクノロジーを不毛な楽しみの道具に変える傾向が強い日本のテクノロジー業界とは、ちょっと相性の悪さを感じていた。とはいえ、十数年の間は、そんなテクノロジー業界にどっぷりと浸かり、それまでの縁をないがしろにしていた。その時点ではテクノロジー業界こそが、自分が所属している唯一のコミュニティーになってしまっていたので周りに合わせて我慢し続けてきた。
 これは実は、それなりに大きなフラストレーションになっていた。

 「テクノロジー」そのものではなく、そこから生まれてくる「新しい広がり」が好きな私にとってはアップル製コンピューターは必然の選択肢だった。
 Apple IIの時代も、Macintoshの登場後も、さらにはiPhoneでスマートフォン時代、iPadでタブレット時代がやってきても、世の中の風景までも変えるような大きなトレンドの変化、世の中に対して「意味」を持つ変化は、常にアップル製品の周辺から生まれてきたように今でも思う。

 では、アップルの製品が技術的に、そこまで先進的かと言えば必ずしもそうではない。

 もっとも分かりやすい初代iPodを例に挙げよう。

 2001年の発表当時、初代iPodに際立って新しいテクノロジーが搭載されていたかというと、答えは「No」だと思う。
 では、iPodは何が凄かったかと言うと、製品のデザインだ。ねじ穴1つなく、背面は鏡面仕上げという見た目のデザインのそれも凄かった。だが、それ以上にポケットの中にすべての曲(1000曲)を入れて持ち歩けるというコンセプトがしっかりと練られていた。また、それが絵に描いた餅にならないように1000曲をストレスなく転送できる技術を戦略的に採用したり、1000曲の中から聞きたい曲を素早く選べるホイールを搭載したり…
 あらゆる利用シーンをしっかりと検証し、議論し、その上で快適になるまでブラシアップした爪痕を随所から感じ取ることができた。

 当時、他の会社からも同じ容量5GB、つまり1000曲を入れられる音楽プレーヤーも出ていたが、1000曲も転送するのは一晩がかりだったり、曲を選ぶのが大変過ぎて使い物にならない、とりあえずスペックを満たしただけの製品ばかりだった。

 このiPodが、やがてアップル社を大躍進させ、世界規模で人々の風習を変えたことを考えると、未来をつくっていたのは「テクノロジー」の側ではなく、「デザイン」の方なのだと強く思わざるをえない。

 もともとアップル社の製品が好きだったのはデザインに惹かれていた部分もあり、ジョニー・アイブはもちろん、深澤直人さんやIDEO社のデザイナー、さらにはIBM社のデザイン部門まで、デザイン関係の取材はかなり早い時期から始めていた。その背景もあり、2005ー2006年頃からは徐々にデザイン関係の仕事を増やしていった。

 デザイン思考という言葉が日本にも広がり始める前後だった。
 企業向けなどに行っていた講演でも、デザインこそが全社を貫く横串であり、戦略の中核になるはずだと、 三洋電機の事例などを挙げながら講演していたことを今でも思い出す。

 それと並行して、実はアートへの興味も強まり始める。


2001年。9/11テロの直後に発表された初代iPod。飛行機に乗るのは危険と言われておりNYのジャーナリスト達も取材に来なかった。


アートは問いを生み出す旅


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月06日 | Permalink

ジョブズ愛用腕時計の復刻

故スティーブ・ジョブズの誕生日に合わせるようにアップル社は同社の新本社の名前「Apple Park」を発表した。
そしてその少し前、日本のSEIKOとナノ・ユニバースは1982年に発表されたロングセラーの腕時計「セイコー・シャリオ」の復刻を発表。3月から本数限定での発売となる。

もう35年も前の時計ではあるが、実は若い人たちの目にも触れている可能性が高い。
なぜならウォルター・アイザックソンによる故スティーブ・ジョブズの評伝のハードカバー版の背表紙でジョブズが身につけているのがまさにこの時計だからだ。この時計はジョブズにとってかなりお気に入りだったようでGoogleで「Steve Jobs 1983」、「Steve Jobs 1984」といったキーワードで検索をすると、かなりの確率でこの時計を身につけている写真を見つけることができる。実際にジョブズの人生におけるターニングポイントでもある1984年1月の初代Macintoshの発表会の時に身につけていたのもこの時計だ。




この一時代を感じさせる腕時計が昨年、突然、脚光を浴びた。なんとジョブズの所有していた腕時計がオークションで販売されシンプルなクオーツウォッチとしては破格の$42,500(480万円)で落札されたのだ。

今となっては誰もジョブズがどのような経緯で、この腕時計を手に入れたのかはわからない。
ただ、「セイコーシャリオ」は海外で発売されていた時計ではないので、ジョブズは何かでこの時計を知って誰かに買ってきてもらったか(そこまでする可能性は低いだろう)、さもなければ日本を訪問した時に自分で購入したのだろう。
後者の可能性は極めて高い。なぜなら、1982〜3年頃と言えば、ジョブズはMacの開発に関係して日本を頻繁に訪れていた時期だからだ。

ジョブズは当時、日本の工場のオートメーションに大きな興味を示しており、ソニーやキヤノンそしてアルプス電子などを訪れている。アルプス電子では工場見学の後、工場の人たち向けに講演を行い、「第五世代コンピューター」についての質問なども受けたという(その辺りの話はぜひ、私がまとめた追悼ムック「スティ-ブ・ジョブズは何を遺したのか パソコンを生み、進化させ、葬った男」を参照してほしい。このムックの一番最後のページでジョブズの最後の作品として紹介したキャンパスがついに完成と思うと少し感慨深い)。

いずれにせよ1982-3年と言えばジョブズが日本を訪れ、この国への愛を深めていた時期であり、ジョブズが愛していた禅にも通じる日本のシンプリズムや精巧さを感じさせる「セイコーシャリオ」と出会い、自ら購入した可能性はかなり高い。


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今回の復刻は、この1982年の時計をかなり正確に甦らしたものだ。例えば「SEIKO」の文字の下に「QUARTZ」の文字が書かれているのも、いかにも1980年代っぽい。最近の時計では「QUARTZ」なのは当たり前すぎてわざわざ刻印しないからだ。ちなみにこのブログを書きながらWIkipediaで調べていたら1980年代はじめというのは、まさにQUARTZ時計が普及し始めた頃のようで、そういう意味では「最新テクノロジー大衆化の先取り」という意味でもジョブズっぽさに通じるところがあるのかもしれない。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年02月24日 | Permalink

コミュニケーションという幻想

今年、東京都美術館で大規模な展覧会が行われるブリューゲルの「バベル」。バベルの塔の住人は神の怒りを買い、話す言葉がバラバラになり意思の疎通ができなくなってしまったという。

■文意は読み手の頭の中でつくられている

四半世紀近く物を書き、情報を発信する仕事を続けた自分がたどり着いたのは「コミュニケーション不信」だった。
少し文章長めくらいで、懇切丁寧に説明しても意図が伝わらないことが多い。
逆に誤解が生じないように簡潔に削ぎ落とした文章でも伝わらない相手には伝わらない。

ソーシャルメディア時代になり、読んだ人の感想を目にする機会が増えたことでつくづく思い知らされたのは、文章の意図と言うのは書き手以上に読み手の頭の中でつくられるという現実だ。

世の中の半分くらいの人は文章を読む時、頭の中で声に変換して読むそうだ(私もその1人だ)。


ここでは実験として、普段、そうしない人も、次の文章を頭の中で、好みの明るい性格の女優さん(友達でもいい)の声を想像して読んで見てほしい
「元気そうね」

ここで一度、スイッチを切り替えて、下のまったく同じ文章を常にどこかにシニカルな雰囲気の漂う声で読み直してほしい(誰も思い当たらない人は美川憲一さんや泉谷しげるさんあたりを想像してもらうといいかも知れない)。
「元気そうね」

 まったく同じ文字列が、読み手が明るいムードか暗いムード、頭の中でどっちの声で読んでいるかだけで、まったく印象が異なることが多い。
 このように文字によるコミュニケーション成功の鍵の半分以上は、書き手ではなく、読み手の手中にある。

 最近、文字だけでは伝わらない感情などを伝達する日本の携帯電話生まれの「絵文字」がMoMAの収蔵品になったが、何か象徴的なできごとのように感じた。

 だが、絵文字が完全な解決策ではない。
 
 よく知り信頼している相手による文章であれば自然と好意的な頭の声で読み好意的に受け止められるし、逆に疎んでいる相手、不信感を持っている相手が発した文章であれば、どこかネガティブなフィルターをかけて解釈してしまう。それが人間だと思う。

■コミュニケーションのノイズ


コミュニケーションのノイズ

 難しいのは文字によるコミュニケーションだけではない。

  声を使ったコミュニケーションにも難しさがあることを図で説明したい。

 米国の大学に通うと「Communication 101」という必須科目がある。今でも強く印象に残るのは意思伝達に潜む多くのノイズ/障害がいかに多いかの話だ。英語のWikipediaにも項目があるが「Communication Noise」には主に「心理的ノイズ」、「環境的ノイズ」、「物理的ノイズ」、「セマンティック(意味的な)ノイズ」があると言われている。

 簡単に図示をしてみても誰かの思いが相手に伝わるというのはもしかしたら奇跡なんじゃないかと思うくらいに障壁が多い。
 例え話者が非常に卓越した言語力を持っていたとしても、そもそも1つ1つの語に対して持つ印象「語感」は人によって差異があるものだし、メッセージの発信者と受信者の頭の中で同じイメージの複製が行われることは皆無といってもいいだろう。
 さて、上の図の多くは、文字によるコミュニケーションにも当てはまるものだが、私が特に致命的と思っているのが「そもそもの解釈の失敗」という部分だ。
 一卵性双生児でも、生まれた瞬間から異なる体験の蓄積が待っている。人々の価値観というものが体験の蓄積で醸成されるのだとしたら、価値観は一人一人皆、異なっているはずだ。
 そして価値観が異なれば、同じ物やアイディアに対しても、それをどのアングルから眺め、どう切り取って言語化するかの手法も異なる。
 同様にメッセージの受信者も、万が一、すべての障壁を乗り越えて「卓越した能力で言語化」したメッセージを間違いなく受信したとしても、それを解釈し、頭の中のイメージに落とし込むに当たっては、それまでの経験や知識の影響を大きく受ける。
 ずっと会話が成り立っていると思っていたのに「え!〜〜の話だったの?〜〜の話だと思っていた」というのはよくあるできごとだ。
 TwitterやFacebookなどへの書き込みに対しても、想像もしなかったアングルの脈絡のない返答がきて「この人はどういう思い、どんな認識で、この返信をしてきたのだろう」と悩むことも多い。

■Web 2.0で何が変わったのか

 それでも20世紀のマスメディアは、多くの人にその意図を伝え、新しい文化を生み出すことも少なくなかった。これら旧来型マスメディアがうまくいっていた一因は、20世紀メディアの多くが受け手が自分の価値感にあうものを吟味してチューン・イン(選択)をする特性があったからではないか。

 視聴者や読者は、情報に触れる前に、ある程度、ふるい分けが行われていた。

 例えば同じiPodのレビューでも、ファッション誌なら形や色についてしか触れなくても「技術的考察が少ない」と怒る読者もいなかった(そもそも怒るような読者はファッション誌を買っていなかったり、ファッション誌を読む間だけは頭を切り替えていた)。逆に技術雑誌のレビューに見た目や触り心地を無視していると憤慨する人も少なかった。スポーツ新聞の記事を読んで「ふざけている」と憤慨する人もいなければ、特定のイデオロギーに基づいた本を買って自分のイデオロギーと違うと怒る人もあまりいなかったはずだ。

 テレビ番組も、ラジオ番組も、雑誌も、それぞれが世界観であったり共通の価値観を持っていて、門をくぐるという通過儀礼、つまりチャンネルを合わせたり、書店で購入した後は、読者もその価値体型の中で内容に触れていた。

 おそらくこれはインターネットが広まり始めてからもしばらくは同様で、ブログが広まり始めたくらいも同様だったかも知れない。

 変わったのは、「Web 2.0」というバズワードと共に、ソーシャルメディアが普及してからだと思う。

 「Web 2.0」で、それまでの読むだけだった人たちがコメント欄であったり、ソーシャルメディアで情報を発信する側になったことも大きいが、それ以上にソーシャルメディアの普及でコンテンツがバラバラに分解されたことの方が大きいように思う。

 人々は面白いニュースをTwitterやFacebookで発見し、トップページを素通りしていきなり目当ての記事に飛び、そのままトップページや他の記事を見向くこともなくTwitterやFacebookに戻っていく時代が始まった。
 デジタル技術が音楽アルバムを曲単位の販売に分解したように、Webニュースサイトというコンテンツは解体され、その中のコンテント、つまり個別のニュースが直接アクセスの対象になった。

 ソーシャルメディアの投稿やRSSフィードから、1クリック0円とわずか数秒の移動時間で、自分とまったく異なる価値観のコンテントにも首をつっこめてしまう。
 コンテントを価値観の合わない人たちとの接触からかくまっていた、コンテンツとしての世界観や価値観の壁が崩落した。



投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年01月16日 | Permalink