モノヅクリに必要なのはラジオ的視点
2つ前のエントリーのコメント欄、書いていたら、寝付けなくなってしまったので、
先週書きかけだったエントリーを仕上げました(ただ、時間に余裕がある方は2つ前のコメント欄も読んでみてください。何か、おもしろいものが浮かび上がりつつある気がしています)。
私が、まだMACPOWERという月刊誌で「ニュースの横顔」というコラムを書いていた頃からの抱いていた「思い」の1つ、それは、日本でソフトウェアエンジニアも含め、モノヅクリをしている人々に、そのやり方をもう1度見直して欲しい、ということ。
「こんな機能をつけたら売れるんじゃないか?」
「お、いいね。じゃあ、それやってみよう」
という作り方では、稀に一発屋になれることはあっても、本質的にすごい製品にはならない。
たくさんある製品の中で目立つことも必要ならば、1度、製品が成功した後、その世界観を押し広げていけるような戦略というか、製品そのものが含有する「広さ」みたいなものも必要だ。
いつも、メーカーさんなどの社内や経営者の方向けに行う講演では、スティーブ・ジョブズの言葉を引用して、製品化する前のディスカッションの重要性を解いたり、IDEOのやり方を紹介してラピッド・プロトタイピングとフィードバックを反映した改良のサイクルを1回でも多く回すことの重要性を説いている。
しかし、今回、話題にしたいのは、その部分の話しではない。
もっとBASICな部分で、「機能の実装というのは、ファーストステップでしかない」という話し。
エンジニア中心のモノヅクリだと、「こんな凄い技術を持っている」からと、その技術にUIやガワだけをかぶせて、「はい、これが製品です」というモノヅクリが行われてしまうことがある。
しかし、消費者が「これはすごい」、「これは心地よい」と思えるレベルに達して、初めてシリアスなモノヅクリだと言える。
このことをどう説明したらいいのか、よく思い悩んでいたのだけれど、先週の水曜日、お腹をひどく壊して、丸1日ベッドから出られなかったときに思いついた。
ラジオなどの音声番組や、学校の授業を思い浮かべればいいのだ。
最近だと、ラジオをあまり聞かない人もいるだろうから、まずは学校の授業を例としてあげよう。
まったく同じ文科省(古い世代は文部省)のカリキュラムに沿った授業で、まったく同じ教科書を使っていても、授業内容って先生によっておもしろくもなれば、つまらなくもなってしまう。
それは声の質だったり、話すテンポだったり、授業の構成だったり、あるいは先生の人柄そのものだったり。
工夫もなくただ教科書に書かれていることを通りいっぺんにやるだけの先生や教科書棒読みの先生の授業では、思わず話しを聞いているだけで眠くなってしまう生徒もいるかもしれない。
一方で、なんだか生徒と親しげで、無駄話ばかりしているように見える先生の授業では、みんなが授業に集中して、無駄話も多いのに、時間内でカリキュラム以上に勉強も進んでしまう(しかも、身にもついている)なんていうこともあるんじゃないだろうか。
まったく同じ授業料を支払らい、まったく同じ時間をかけて、同じものを教えられても、こうした違いがあることは、おそらく誰もが共通の経験として味わってきたところだろう。
モノヅクリにしても、「ある機能を付けた」ということは、授業で○ページから○ページまで教えた、ということと等しくて、それによってその内容が本当に生徒の身に付いたか、というのとはまったくの別問題だ。
本当は教員というものは、生徒達の関心をひきつけるプロフェッショナルであり、生徒達の興味を惹き出すプロフェッショナルじゃなきゃならないんじゃないかと思う。
でも、その一方で、授業以外にも細かい用事に追われる今日の教育のシステムや、そうした余計な用事を増やすモンスターペアレンツが問題になっていることも事実で、一概に教員だけを責めるわけにはいかないかもしれない(ただ、子供の授業参観にいって、先生が「平行四辺形とはなんですか?」と聞くと、「平行四辺形とは、二辺が...」と生徒達が教科書に書かれた文言の丸暗記を復唱している姿を見て、これは本当に21世紀で、日本は本当にhighly educated countryなのかと疑問を思った。あの教育をつづけていたのでは、日本からクリエイティブな人材を生み出すのは、なかなか大変そうだ)。
さて、教員は公立でも私立でも、当たり外れがあるし、だからといって簡単に変えられるというものではない(モンスターペアレンツの場合はどうかはわからないけれど)。
でも、ラジオのDJは、そうはいかない。気に入らなければ、リスナーはすぐに他の局に変えてしまうからだ。
1年間、毎週InterFMの番組に出演していたことがあったが、DJのK.C.がいつも言っていたのは、ラジオで大事なのは、流れるように話すこと。そして、リスナー達にいかに心地よい気分をもたせるかということ。いうなれば声によるおもてなしだ(私はその域に遠く達していない)。
ソフトウェアの世界では「心地よいインターフェース」という言葉をよく聞く。
それを目指すのはいいことだが、残念なのは、多くの場合、
それが、他の心地よいインターフェースの要素を真似しただけのものであることが多いこと。
直感的操作=加速度センサーとタッチ操作のことで、心地よい操作=フリックによる慣性付きスクロールみたいな感じで、決めつけられてしまっている部分がある。
でも、まったく同じ授業の構成でも声の質だけでも、印象が違ってくるし、やはり大事なのは「最後に全体的に見て、どうまとまっているか」の部分で、これがちゃんと貫けていないと、どんなに最初のコンセプトはよくてもダメだと思う。
Designed by Apple in Californiaのアップルでは、iPodやiPhoneの製品担当者が、カリフォルニアに籠っているわけではなく、さあ、新製品の出荷だ、というときには、台湾や中国の現地工場にちゃんと足を運んで、自分たちの臨む質にしあがっているか、ちゃんとその目で確認している(まあ、これは日本のメーカーも同じだとは思うが、製造の責任者ではなく、製品の誕生時からのコンセプトも理解している責任者が、ちゃんと初志が貫かれているかを確認するのも大事なことなんじゃないか)。
日本の例えば携帯電話づくりでは、キャリアの方にスペックを決める人がいて、それを見てメーカーの側でスペックを決める人がいて、ハードのどこそこの担当、ソフトのどこそこの担当、UIは外注、と細かく分業し過ぎちゃって、そもそもの製品としてのコンセプトも十分練られず、全員が妥協できる落としどころに過ぎなかったり、だからこそ、何を基準にしてチューンしていったらいいのかが見えてこなかったり、とそんなことが多いんじゃないだろうか。
こういうやり方をもう1度、見直して、もっとストレートに製品のコンセプトを磨いて、そのコンセプトをベースに何千というストーリーが描き出せるほどまでに、コンセプトを磨き上げている責任者がいて、その人が、その製品の世界観なり、名前なり、体なり、質感なり、値段なりに見合った最高の「心地よさ」を実現できるように、最後の製造工程まで監督して、っていう形にもっていかないとまずいんじゃないかと思う。
ちなみに、先週、病床にいた私に、このラジオのメタファーを思い起こさせたのは、実はラジオではなく、この2年間、思い立ったときに愛聴しているRapid ItalianとRapid Frenchだというオーディオブックだった。上の写真は、まさに昨年、ミラノ行きの飛行機でRapid Italianを聞いていたときのもの。
これ、英語が母国語の人向けのイタリア語とフランス語の教材なんだけれど、本当に感動するくらいにできがすごい。
私はどちらも、いきなりVolume 1はすっ飛ばして、Volume 2から買ってしまっているので、いきなり0から始める方には、難しいかもしれないが(でも、構成的にぜんぜん追いつけると思う)、本当によくできている。
なんかクラブ音楽ノリだったり、レゲエだったりと、チャプターごとに、違う調子の曲が流れていて、それをBGMに、英国なまりの人と、イタリア語/フランス語のネイティブの女性が、掛け合い形式で教えるんだけれど、うまくBGMにあわせて、リピートするところを非常にうまくリピートしていたり、たまに最高のタイミングでエコーがかかったり。
ついでながら、このちょっと色男風の男性の声とか、例えば外食にまつわる会話のレッスンのチャプターでは、最後にフェードアウト気味に、男性が「Would you like to go out dinner then?」みちあな感じで誘っているのが、わざと聞こえたり、女性の人が「大変、いい発音」と褒めると、男性が「それはおそらく先生がいいから」とさらっとキザなセリフを返してみたり、と、そういったやりとりそのものにも、なんとなくセクシーなノリがあり、しかも、それが本当にいったいどうやっているのか、見事なまでにBGMの音楽と一体化している。
もう、ただただ凄いとしかいいようがない奇跡のようなコンテンツだ。
もっとも、私が持っているItalianとFrench以外がどうかはわからない。
この2言語だと、ちょっとイタリア語なまり/フランス語なまりの女性の英語とかも、
なんかいい感じでセクシーなんだけれど、ちょっとサンプルで聞いた限り日本語は、そんな感じはしなかったし、やはり、「奇跡」のレベルは、この2言語だけなのかも。
ここまで相手を楽しませ、引き込ませる世界観をつくる意気込みで、モノヅクリができたら、強いと思うなぁ。
P.S.今日、発表のアップル社新製品で、個人的に一番、悩ましいのはTime Machine。容量が増えたら買ったんだけれど。でも、デュアルバンド無線LANはちょっと欲しい。あの画面サイズとキーボードサイズが妙にアンバランスな新iMacも惹かれます。
Rapid Italian: Volume 2
Rapid French: Volume 2
先週書きかけだったエントリーを仕上げました(ただ、時間に余裕がある方は2つ前のコメント欄も読んでみてください。何か、おもしろいものが浮かび上がりつつある気がしています)。
私が、まだMACPOWERという月刊誌で「ニュースの横顔」というコラムを書いていた頃からの抱いていた「思い」の1つ、それは、日本でソフトウェアエンジニアも含め、モノヅクリをしている人々に、そのやり方をもう1度見直して欲しい、ということ。
「こんな機能をつけたら売れるんじゃないか?」
「お、いいね。じゃあ、それやってみよう」
という作り方では、稀に一発屋になれることはあっても、本質的にすごい製品にはならない。
たくさんある製品の中で目立つことも必要ならば、1度、製品が成功した後、その世界観を押し広げていけるような戦略というか、製品そのものが含有する「広さ」みたいなものも必要だ。
いつも、メーカーさんなどの社内や経営者の方向けに行う講演では、スティーブ・ジョブズの言葉を引用して、製品化する前のディスカッションの重要性を解いたり、IDEOのやり方を紹介してラピッド・プロトタイピングとフィードバックを反映した改良のサイクルを1回でも多く回すことの重要性を説いている。
しかし、今回、話題にしたいのは、その部分の話しではない。
もっとBASICな部分で、「機能の実装というのは、ファーストステップでしかない」という話し。
エンジニア中心のモノヅクリだと、「こんな凄い技術を持っている」からと、その技術にUIやガワだけをかぶせて、「はい、これが製品です」というモノヅクリが行われてしまうことがある。
しかし、消費者が「これはすごい」、「これは心地よい」と思えるレベルに達して、初めてシリアスなモノヅクリだと言える。
このことをどう説明したらいいのか、よく思い悩んでいたのだけれど、先週の水曜日、お腹をひどく壊して、丸1日ベッドから出られなかったときに思いついた。
ラジオなどの音声番組や、学校の授業を思い浮かべればいいのだ。
最近だと、ラジオをあまり聞かない人もいるだろうから、まずは学校の授業を例としてあげよう。
まったく同じ文科省(古い世代は文部省)のカリキュラムに沿った授業で、まったく同じ教科書を使っていても、授業内容って先生によっておもしろくもなれば、つまらなくもなってしまう。
それは声の質だったり、話すテンポだったり、授業の構成だったり、あるいは先生の人柄そのものだったり。
工夫もなくただ教科書に書かれていることを通りいっぺんにやるだけの先生や教科書棒読みの先生の授業では、思わず話しを聞いているだけで眠くなってしまう生徒もいるかもしれない。
一方で、なんだか生徒と親しげで、無駄話ばかりしているように見える先生の授業では、みんなが授業に集中して、無駄話も多いのに、時間内でカリキュラム以上に勉強も進んでしまう(しかも、身にもついている)なんていうこともあるんじゃないだろうか。
まったく同じ授業料を支払らい、まったく同じ時間をかけて、同じものを教えられても、こうした違いがあることは、おそらく誰もが共通の経験として味わってきたところだろう。
モノヅクリにしても、「ある機能を付けた」ということは、授業で○ページから○ページまで教えた、ということと等しくて、それによってその内容が本当に生徒の身に付いたか、というのとはまったくの別問題だ。
本当は教員というものは、生徒達の関心をひきつけるプロフェッショナルであり、生徒達の興味を惹き出すプロフェッショナルじゃなきゃならないんじゃないかと思う。
でも、その一方で、授業以外にも細かい用事に追われる今日の教育のシステムや、そうした余計な用事を増やすモンスターペアレンツが問題になっていることも事実で、一概に教員だけを責めるわけにはいかないかもしれない(ただ、子供の授業参観にいって、先生が「平行四辺形とはなんですか?」と聞くと、「平行四辺形とは、二辺が...」と生徒達が教科書に書かれた文言の丸暗記を復唱している姿を見て、これは本当に21世紀で、日本は本当にhighly educated countryなのかと疑問を思った。あの教育をつづけていたのでは、日本からクリエイティブな人材を生み出すのは、なかなか大変そうだ)。
さて、教員は公立でも私立でも、当たり外れがあるし、だからといって簡単に変えられるというものではない(モンスターペアレンツの場合はどうかはわからないけれど)。
でも、ラジオのDJは、そうはいかない。気に入らなければ、リスナーはすぐに他の局に変えてしまうからだ。
1年間、毎週InterFMの番組に出演していたことがあったが、DJのK.C.がいつも言っていたのは、ラジオで大事なのは、流れるように話すこと。そして、リスナー達にいかに心地よい気分をもたせるかということ。いうなれば声によるおもてなしだ(私はその域に遠く達していない)。
ソフトウェアの世界では「心地よいインターフェース」という言葉をよく聞く。
それを目指すのはいいことだが、残念なのは、多くの場合、
それが、他の心地よいインターフェースの要素を真似しただけのものであることが多いこと。
直感的操作=加速度センサーとタッチ操作のことで、心地よい操作=フリックによる慣性付きスクロールみたいな感じで、決めつけられてしまっている部分がある。
でも、まったく同じ授業の構成でも声の質だけでも、印象が違ってくるし、やはり大事なのは「最後に全体的に見て、どうまとまっているか」の部分で、これがちゃんと貫けていないと、どんなに最初のコンセプトはよくてもダメだと思う。
Designed by Apple in Californiaのアップルでは、iPodやiPhoneの製品担当者が、カリフォルニアに籠っているわけではなく、さあ、新製品の出荷だ、というときには、台湾や中国の現地工場にちゃんと足を運んで、自分たちの臨む質にしあがっているか、ちゃんとその目で確認している(まあ、これは日本のメーカーも同じだとは思うが、製造の責任者ではなく、製品の誕生時からのコンセプトも理解している責任者が、ちゃんと初志が貫かれているかを確認するのも大事なことなんじゃないか)。
日本の例えば携帯電話づくりでは、キャリアの方にスペックを決める人がいて、それを見てメーカーの側でスペックを決める人がいて、ハードのどこそこの担当、ソフトのどこそこの担当、UIは外注、と細かく分業し過ぎちゃって、そもそもの製品としてのコンセプトも十分練られず、全員が妥協できる落としどころに過ぎなかったり、だからこそ、何を基準にしてチューンしていったらいいのかが見えてこなかったり、とそんなことが多いんじゃないだろうか。
こういうやり方をもう1度、見直して、もっとストレートに製品のコンセプトを磨いて、そのコンセプトをベースに何千というストーリーが描き出せるほどまでに、コンセプトを磨き上げている責任者がいて、その人が、その製品の世界観なり、名前なり、体なり、質感なり、値段なりに見合った最高の「心地よさ」を実現できるように、最後の製造工程まで監督して、っていう形にもっていかないとまずいんじゃないかと思う。
ちなみに、先週、病床にいた私に、このラジオのメタファーを思い起こさせたのは、実はラジオではなく、この2年間、思い立ったときに愛聴しているRapid ItalianとRapid Frenchだというオーディオブックだった。上の写真は、まさに昨年、ミラノ行きの飛行機でRapid Italianを聞いていたときのもの。
これ、英語が母国語の人向けのイタリア語とフランス語の教材なんだけれど、本当に感動するくらいにできがすごい。
私はどちらも、いきなりVolume 1はすっ飛ばして、Volume 2から買ってしまっているので、いきなり0から始める方には、難しいかもしれないが(でも、構成的にぜんぜん追いつけると思う)、本当によくできている。
なんかクラブ音楽ノリだったり、レゲエだったりと、チャプターごとに、違う調子の曲が流れていて、それをBGMに、英国なまりの人と、イタリア語/フランス語のネイティブの女性が、掛け合い形式で教えるんだけれど、うまくBGMにあわせて、リピートするところを非常にうまくリピートしていたり、たまに最高のタイミングでエコーがかかったり。
ついでながら、このちょっと色男風の男性の声とか、例えば外食にまつわる会話のレッスンのチャプターでは、最後にフェードアウト気味に、男性が「Would you like to go out dinner then?」みちあな感じで誘っているのが、わざと聞こえたり、女性の人が「大変、いい発音」と褒めると、男性が「それはおそらく先生がいいから」とさらっとキザなセリフを返してみたり、と、そういったやりとりそのものにも、なんとなくセクシーなノリがあり、しかも、それが本当にいったいどうやっているのか、見事なまでにBGMの音楽と一体化している。
もう、ただただ凄いとしかいいようがない奇跡のようなコンテンツだ。
もっとも、私が持っているItalianとFrench以外がどうかはわからない。
この2言語だと、ちょっとイタリア語なまり/フランス語なまりの女性の英語とかも、
なんかいい感じでセクシーなんだけれど、ちょっとサンプルで聞いた限り日本語は、そんな感じはしなかったし、やはり、「奇跡」のレベルは、この2言語だけなのかも。
ここまで相手を楽しませ、引き込ませる世界観をつくる意気込みで、モノヅクリができたら、強いと思うなぁ。
P.S.今日、発表のアップル社新製品で、個人的に一番、悩ましいのはTime Machine。容量が増えたら買ったんだけれど。でも、デュアルバンド無線LANはちょっと欲しい。あの画面サイズとキーボードサイズが妙にアンバランスな新iMacも惹かれます。
Rapid Italian: Volume 2
Rapid French: Volume 2