マスコミもブログも、兜の緒を締める頃合い!?
書きたいことが貯まり過ぎて何から書いたらいいものか悩むが、、やはり、これだろうか。
今、私の発言が英語圏のITニュースで大きな話題になっている。
事件の全貌は、Apple Insiderか、私の英語のブログを読んでくれるのが一番いい(コメントもおもしろいのでぜひ!):
Apple Insider: Japanese "hate" for iPhone all a big mistake
nobilog returnes: My view of how iPhone is doing in Japan by Nobi (Nobuyuki Hayashi)
かいつまんで書くと、若いライターが功を急いで、ちゃんとした取材をしたわけでもないのに、自分の使いたかったセリフを私が言ったことにしてしまったという記事ねつ造事件で、私が「P905iが凄い!日本でiPhoneを持っていると間抜けに見える」といっていたことにされていた。
外出先でたまたまTwitterのSummizerで、旬な話題を読もうと思ったら「Why Japanese hate」というキーワードが出てきて、読んでみたら自分の名前がでてきてビックリ。さらに言ってもいないことが書かれていて、2度ビックリ、というパターンだが、もっとビックリしたのがSearch.twitter.comで、上のキーワードで検索してみると、ほぼ数秒に1件単位でこの気についての書き込みが増えていくこと(今日になってもまだ増えている)。
あわてて食べた気のしない夜食をかきこんで、Twitterしながら帰宅。
中目黒を過ぎた辺りで、米MACWORLD誌などにも記事を書いている有名な(そして信頼のおける)ジャーナリストのCyrus Farivarが、記事の著者をTwitter経由で紹介してくれた(ここでは個人攻撃はさけて、著者の名前は出さないことにしたい)。
Twitterを介しての彼のパブリックな会話が始まった。
その頃には、元の記事が訂正されていて「iPhone間抜け」発言が平田大治さんのセリフになり、「P905iが凄い!」発言は、昨年、Wiredの外部ライター、Lisa Katayamaが行ったインタビューの一部を引用したものと追記されていた(さすがに「都合良く引用」とまでは書いていなかったが)。
彼にとっての不幸は、セリフを言わせた相手が、私や有名ブロガーの平田さんだったことだ。
このような勝手な引用は、日本のテレビ、雑誌やWebでも日常茶飯事で、泣き寝入りしてしまう人も多いかもしれないが、あいにく、私や平田さんは、おそらく米国Wiredの若輩ライターよりかは、人脈も持っていれば、ブログを通しての影響力も持っている(それらを持っていない人に、泣き寝入りしろ、ということではない。今の時代は、感情的にならずに頑張ってうまく反論すれば、声が世界に通じる時代だと信じている)。
私は私の英語ブログ「nobilog returns」で、そして平田さんも彼の英語ブログで反論したところ、我々の反論に対する反響もあっという間に広がっていった。
iLoungeに始まり、MacDailyNews、iPhoneAsiaといったサイトやTorleyLivesといったブログに私の見解が紹介され、極めつけはアップル社の株価も左右するApple Insiderにも丁寧な記事が掲載されるという事態に進展し、掲載サイトに対しての一大バッシングが巻き起こった。
以前、Wiredに、この記事の元になった記事を書いたLisa Katayamaも被害者の1人で、自分の書いた記事が、連絡もなく、勝手に改ざんの上引用されたと憤慨しており、担当編集者のLeanderも個人的に謝りのメールを送ってきたし、私の中では、書き手や出版社に対してのわだかまりはないつもりだ。
でも、おかげで休む間がないというのも、事実で、Slashtdotのように、訂正前の間違った記事を、引用してそのままになっている媒体も多く、そうした媒体も広がりつつあるので「何言っているんだこの野郎。iPhoneを持っていない人間のヒガミだろう。」といったメールやらコメントも未だに見かけるし、そうなると気になって、パソコンなんか閉じてしまえばいいのだけれど、ついつい気になってみてしまう(もっとも、気持ちは2日前の「あ〜〜、こっちにもこんなことが書かれている。どうしよう」から「あらら、まだ引用している人がいる。しょうがないなぁ(苦笑)」くらいに変わってきた)。
たまに、拝見している「らばQ」さんにも、私や平田さんの名前こそ出てこなかったが、背景説明なしで記事が紹介されていた(まあ、確かに説明するのが面倒くさいというのはわかるし、責めるつもりはないし、 @otsune さんがはてなブックマークのコメントで言及してくれていたのをみただけで、ちょっと満足している部分もある)。
昨日まで、平然を装いつつ、ちょっと、落ち込んでいる部分もあったが、そんな時、古川享さんにfacebook経由で心に響く言葉を頂いたのにも勇気づけられた:
Nobi-san, your qualification as a Professional Jounalist will never be changed with such a wrong quote. It is a good chance to ciculate your deep insights of the iPhone in Japan.
I had hundreds of such wrong quotes for last 30years, but the myth I learned was, not try to accuse the publisher nor poor writer, but to stick with what you belive in.
I myself and whole of the audience are at your side!
Thx, SamF
古川さんからのメッセージ
"I had hundreds of such wrong quotes for last 30 years (僕も、この30年間、デタラメの引用されまくりだったよ)"って、これはそうだろうな、と思う。
これを『有名税』という言葉で片付けてしまうのは簡単だけれど、火消しだ、事情の説明だと、そのことによって個人が受けるダメージは、ただごとではない。
"the myth I learned was, not try to accuse the publisher nor poor writer, but to stick with what you belive in. (でも、僕が学んだのは、出版社やひどいライターを責めるんじゃなくって、ただ自分が信じることを貫くべきだということ)"
これも凄く、よくわかる。古川さんも元月刊アスキーで記事を書かれていたジャーナリストであり、私も昨年まではよく雑誌などに記事を書いていた身で、せっかくの記事をドラマチックでインパクトのあるものにして、より多くの人に読んで欲しいと思う気持ちはわかるし、自分が描きたいストーリーにあわせて、相手の話している内容を、多少脚色してしまいたい、と思うことはよくあった。
英語圏だと、話した通りの引用が原則だが、日本語の記事だと、インタビュー内容は「ですます」調で、といった具合に、いずれにしてもセリフを直さなければならないようなことが多いので、「窓割れ理論(Brokwn Windows Theory)」で、ここをこう直すなら、もう1文字、という誘惑は常にある。
だから、件の記事の筆者の気持ちもわからない分けではない。
罪を憎んで人を憎まず。
彼の通ってきた道は、マスメディアに関わる人間の多くが通ってきた道で、たまたまそれが運がいい一歩だったか、彼みたいに運の悪い一歩だったかに過ぎない。
彼よりも、もっとひどい人もいるし、もっとひどいといえば、匿名で名前を出さないのをいいことに、インターネットで好き放題言っている人達は、残念だけれど比較の対象ですらない。
匿名掲示板
私はいろいろな場所で公言しているが、日本の匿名書き込みの文化が嫌いだ。
この議論になると「そうはいっても、匿名掲示板にも有効な情報があがっていることがある」と反論する人がいるが、それは有害物質にも意外な効能とか、ヒットラーにも人間らしいやさしい側面、といったものと同じ議論。
一番の問題になるのは、匿名で書き込んでいる人達が、自分のやっている行為を、自分の子供に、あるいはまだ自分が子供だったら(または子供がいなければ)自分の親や妻といった家族に、自信を持って誇れる行為かという部分であり、将来、自分の子供にも継承したいと思う文化/行為か、という部分だ。
そう考えると、私にとっては匿名掲示板文化も、真っ先に滅びて欲しい日本の文化のひとつだ。
「お父さん、今日も匿名掲示板やっているの?じゃあ、僕は~~スレッドに書き込んじゃおうかな」なんていう会話をしている親子の姿を想像するとゾっとしてしまう。
申し訳ないけれど、うれしそうに匿名掲示板の話しをする人を見ると、「まだ、そのパラダイムにいるのか」と、ちょっとかわいそうに思えてしまう。
{UPDATE:上の部分が、2ちゃんねるファンの方々に不快な思いをさせた点については、確かに考察と配慮が足りなかったと思う。それなりの反響は予想していたが、もっと根拠のない誹謗中傷などが主体になるかと思いきや、コメント欄は、非常に建設的でおもしろい議論に発展している。愛用している人も毛嫌いしている人も、とりあえず、時間のあるときに、ちょっとずつでもいいので、目を通してみて欲しい。ものすごくおおざっぱなところは、こちらの、ちょっと見づらいマインドマップにまとめてあります:匿名掲示板は是か非か?}
数字を追い始めると本質を見失う
話しが横道にそれた。匿名書き込み文化は(私的に)言語道断だとしても、
日本のマスコミも、雑誌不況につづき、新聞もついに危ない、テレビも、となってきたことで、困ったことが起きている。
皆、本質を見失って数字の競争に走ってしまっている。
新聞も雑誌もテレビも、先行きが不安で、数字ばかりを追うモードにだ。
誰かの失敗の揚げ足取りのゴシップが受ければ、テレビも新聞も雑誌も、そのニュースの繰り返しばかり。
新聞やテレビよりも関わりが深い雑誌でいうと、
とりあえず数字を出そうとして、手堅く過去に成功したことがある特集を繰り返す媒体が多い。
これが1度、2度なら効力があるが、何度も続くと、次第に読者も、表紙を見ただけで、「どうせ、こんなことが書いてあるんだろう」と想像がつくようになる。
そのうち、新しい情報ならWebの方が多いし、何かを短期集中で学ぶ上でも、やはりWebの方が便利だ(AllAbout型のまとめサイトをみれば、すぐに全方位的な情報が集まる)。
じゃあ、「雑誌」は終わりかと言えば、そんなことはないと思う。
Webの世界は、読者1人1人が、自分が欲しいと思っている情報を集めてくるのには有効だけれど、なかなかいい情報とのセレンティピティーがない。
ソーシャルブックマークを通せば、自分が知らないサイトの情報を見ることもあるけれど、結局、ハテナブックマークを見ると、エンジニア系情報、オタク情報に偏っていて、セレンティピティーの領域が狭すぎるし、これは他のSBMでも同じだ。
雑誌には、こうしたWebメディアにはない可能性があると信じている。
雑誌の可能性
そうではなくって、誰か魅力があり、信頼のおけるパーソナリティーが、
「これから、我々のライフスタイルはこう変わる」とか「今年の夏の流行はこれ」といった新しい提案をしてくれるメディアとしては、まだまだ雑誌も有望だと思っている。
できれば、そうした雑誌がたくさんあって、その中から、自分に一番、波長が合いそうなものを、美容院や飛行機の機内や本屋の店頭で手にして買い始める。
Webでも、一部の人気ブログが、そうしたナビゲータ的な役割を果たしているかもしれない。
でも、私が考えるに、Webは、まだまだまだまだ左脳のメディアだ。
初期の「エキサイトism」のような、ちゃんとした紙媒体をつくってきた人達がつくった、眺める心地よさやワクワク感を感じさせるWeb媒体もあるとは思うが、やはり、五感に訴えられる紙雑誌と、視覚的情報が9割以上のWeb媒体では存在感も違えば、訴求力も違う。
そのことを忘れて、コストカットで紙質を落として、印刷を悪くし、安給料で疲弊した編集者による質の落ちた仕事で雑誌をつくりつづけていたら、雑誌の未来は真っ暗だろう。
こういう時代だからこそ、本物の雑誌人に、時間をかけて本物の雑誌づくりをさせてもらって、ワクワク感を蘇らせて欲しい。
Web全盛の時代だし、スピードを追う必要はない。少人数でつくって人件費のコストを下げ、季刊くらいのゆったりシたペースで、コストをかけすぎずに1冊1冊を、丁寧にじっくりつくりこみ、深い世界観で読者を魅了する。
そうした雑誌づくりの方が、つくる方のモチベーションも高まるだろうし、
後の世代にも雑誌づくりという仕事を誇りを持って紹介できるんじゃないか。
本当に次の号が待ち遠しくて、たまらなくなるような、そんな雑誌。
この雑誌となら心中できると思える読者がいる雑誌。
無人島にただ1冊持っていきたい、と思ってくれる読者がいる雑誌。
私はまだつくれると信じている。
テレビだって、ラジオだって、インターネットが普及したから不要になるわけではなく、インターネット全盛時代だからこその存在の仕方って、考えられるんじゃないかと思う。
そうやって、何かをよく変えようという気持ちを持って仕事に臨めば、これは自分の子供だ、妻だ、親だに誇れる仕事か?と常に自問しながら仕事をすれば、最初に紹介したような、功を急いての失敗も少しは減るんじゃないか。