コミュニケーションの難しさ
何か他にもブログに書きたいと思っていたことはいっぱいあるのだが、
前の記事で「一読者」さんから非常にいい「気づき」をもらえたので、
忘れないうちに議論として取り上げておきたい。
自分ではnobilog2の記事は、すべてそうだと思っているが、
記事そのものの中に答えがあるわけでなく、
答えはコメントを通して議論をし、輪郭を描き出して、
最終的には読者1人1人が(そして書き手も)自分で考えるものであって、
記事そのものは議論のきっかけに過ぎない、と思っている。
ブログの記事と、そのコメント(そして最近では「はてなブックマーク」のコメント)との間で、
ブログの書き手と読み手の間で、たまに問題になり、議論になるのがこの当たりの認識のズレで、これは非常に難しいテーマだと思う。
私はブログの書き方にはルールも何もないと思っているけれど、
その一方で、ブログをどういうスタンスでつけているか、といったスタンスはある程度、明確にしておいた方がいいのかもしれない。
といっても、私は記事ごとに、まるっきりスタンスが異なっていて、単におもしろいこと・ものを人に伝えたいということもあれば、議論をしたくて書いていることもあってマチマチなのだが。
あまり難しいことを考えながら書いていたり、あまり細かい事実確認をしながら記事を書くとなると、ハードルが高くなり過ぎて、いつものようにブログの更新がピタっと止まってしまう。
だから、ブログの更新は、仕事として書いている原稿の合間を使って、30分か1時間くらいで、多少表現のおかしなところも、そのままにダァーっと書き上げてしまって、後でもらったコメントなどを見ながら(あるいは次の休憩のタイミングで)校正していく、というやり方をしている。
だから、nobilog2の1つ1つの記事は、記事単体は半分に過ぎずコメントもあわせて、初めて完成形だと思っている(実はmixi経由でコメントをもらうことも多いので、その当たりは、他の人と共有できなず、ちょっと悔しいところだ)。
もっとも、そういうスタンスだというのなら、そのことを常にどこかで明言しておいた方がいいのかもしれない。
私を悩ませるミス・コミュニケーションはこれだけではない。
これはブログだけではなく、商業媒体や書籍においてもそうだが、
ターゲット読者の問題というのがある。
例えば「アップルの法則」という本を出しているが、
あの本は、このブログでも正直に書いた通り、アップルについて詳しい方が対象ではなく、
「なんだか、最近、iPodだiPhoneだと噂になっているアップルという会社がどういう会社か知りたい」というアップルをよく知らない人のために書いた本だ。
「何も新しい情報はない」と言った感想もみかけるが、アップル社好きの人にとっては、確かに何も新しい情報はないのは、私もわかっていた(それでも間違って、アップル好きの人の中にも買う人がいるだろうと、何カ所かだけ、まだほとんど話題になっていない情報も書き込んだが...)。
表紙にでも「この本はアップル社を知らない人のためのものです」とデカデカと書いてあればいいという意見もあるかもしれないが、そういうわけにもいかない。
(もっとも、おかげさまで「アップルの法則」で、アップルという会社がよくわかったと大きなインタビューの依頼と講演の依頼を、それぞれ2つくらいずついただいているので、個人的には結果に非常に満足している)。
これ以外にも、Windowsプログラマー向けに書いた記事にも、Mac系プログラマーの方からコメントがついたりと「想定ターゲットと、感想をくれる読者のズレ」というものは常にある問題だ。
同じ名前のまま、ぜんぜん別雑誌になったMACPOWERも、この問題に苦しめられ続けていたんじゃないだろうか(同誌は現在、同じ名前でさらに別形態の不定期刊ムックに変貌したが)。
書き手側のわがままな理想を言わさせてもらえれば:
世の中、すべての人を満足させる商品はないのと同じで、すべての人を満足させる雑誌もなければ、
すべての人を満足させるWebサイトもブログもない。
このことを広く世の中の1人でも多くの人に理解してもらって、
わざわざ不愉快に感じる記事を探して、それに苦情を言うよりは、
自分を楽しませ、豊かにしてくれる記事を見つける方に時間とエネルギーを裂いてくれるようになって欲しいというのが正直なところだ。
もちろん、楽しくない記事はすべてスルーしろ、などというつもりはない。
自分が不愉快に感じたなら、そのことをコメントで表明した方が、記事の筆者のためにもなる。
だが、いきなりそこでケンカ腰にならずに「もっと一緒にお互いを高めていこう」みたいな大人なスタンスはあっていいと思う。
1人で何かを考えているよりも、いい議論からの方が、多くのアイディアや気づきが生まれてくると信じている。その過程が、ちょっとした、ものの言い回しの足りなさで、くだらないケンカになってしまうのは正直バカバカしい。
これはケンカが始まってしまったかな、と思ってからでも遅くはない。どちらか「自分の方が大人」だと考えている方が、いかにうまく話しを穏便にまとめられるかの技量を見せ、周りもその技のうまさを見て「さすが、あの人は大人だ」と感心するーーとりあえずは、そんな循環でも生まれればいいのかな、などと漠然と考えている。
ミスコミュニケーションと言えば、もう1つ、これは特にWebの文章で起こりがちなのが、時制の問題だ。
'93〜4年頃、誰かがすべてのホームページ(=Webページ)には賞味期限をつけるべきだといったことを言っていた(誰だったか忘れた)。
今、欲しい情報が、簡単にいくらでも検索できるようになった今、この問題は、我々に重くのしかかっている。
今年に入ってからだったか、去年だったか、nobilog2のかなり古い記事にコメントがついた。
あ、発見!これだ:
nobilog2:「MacBook=シングルレイヤー」の真相
この記事は2006年5月18日に書かれたものだが、
これに対して2007年12月31日(大晦日!)にこんなコメントがついた:
「http://www.apple.com/jp/news/2007/may/15macbook.html
ここ読めよ。2層書き込み対応だから。デマ乙」
「乙」というのは、2ちゃんねる用語で「お疲れさま」のことらしいが、
この方もさぞやおつかれだったのだろう。きっとMacBookのSuperDriveの仕様が気になって、私のブログ記事を見つけて気になっていたが、その後、さらに検索をして、件のアップル社のWebページを発見して、「なんだ、さっきのページ嘘じゃん!」となったのではないか、という姿が想像できる。
これはたくさんある例のほんの一つでしかなく。
原因はあきらかにnobilog2側にある。
だって、nobilog2の日付の表示はあまりに小さ過ぎて、私だってちゃんと見ていない。
(本当はレイアウトもテコ入れしたいが、それは記事の更新以上に時間がかかることなので、
ちょっとしばらくはできそうにない。誰かかっこいいデザインを、
比較的安価にしてくれる方がいらしたら、ぜひコメント経由で連絡ください!URL欄に何かテキトーなアドレスをいれておけば、他の人にメールアドレスがわからないはずです)。
大事なのは、インターネットと検索サービスの登場で、
文字情報を好きなだけ検索できるようになったのはすごいことだけれど、
それができたからといって、我々が正確な情報を得られるようになったということでは全然ない、ということだ。
何故なら、情報はコンテクストによっても、時勢によっても、書き手や読み手がどのようなグループに属しているかによっても、大きく変わってくるが、検索サービスで得られるのは、そうしたすべての属性をならした、out of contextの情報だけに過ぎないからだ。
これから22世紀に向けて、我々は、言語を進化させるのか、表現方法を進化させるのか、読む側のリテラシーを変化させるのか、視覚デザインを進化させるのか、どれが正解なのかわからないが、こうしたミスコミュニケーションを減らす努力をしていかなければならない(こういう場合は、大抵、これらすべてのバランスのいいコンビネーション、というのが答えになりそうだ)。
というわけで、この記事も、かなり昔にModern Syntaxのnagasawaさんが書いていた「酔いどれ」ブログ同様、食後の休憩時間40分ほどを使って(30分で仕上がらなかった)、一切振り返ることも推敲することもなく、一気に書きなぐった。
文中の誤字脱字や、事実誤認、そして22世紀への提言は、コメントを通して(できれば、mixiではなくブログへのコメントを通して)議論していければと思っている。