大谷さんとランチ、児島さんとディナー
どちらもおいしいはおいしかったですが、食事そのもの以上のごちそうは、食事のパートナー。
仕事に忙殺される中、楽しいお話、有意義なひとときでリフレッシュできました。
まず、ランチですが、昨日は相談事もあり、アップルの取材の後で大谷和利氏と昼食をとりました。
夜は、かなり前から楽しみにしていた児島学敏先生のお話を伺いながらのディナーでした。
どちらでもいいお話を伺えたので、とりあえず、忘れないように自分用のメモ書きです(かなり、省略して書きます)。
大谷さんとのランチ。
最近、大谷さんが入れ込んでいるモノやコトを教えてもらったのですが、
「さすが...すごい...」と、ただひたすら感嘆、驚愕するばかり。
おまけに、見せていただいた写真があまりにきれいで、ついつい見とれてしまいました。
途中で「最近の人はなぜキレるのか」といった話題にもなったのですが、
同じNHKの番組を見て、同様に共感していたのを知りました。
はしょって説明しちゃうと、最近、「すごい」とか「おもしろい」とか感情を表す言葉だけで会話が終わってしまうことが増えてきている(上の私の「」内がまさにそうですね)。言語能力が少しづつ失われつつある。そうすると、頭の中で、自分に起きている事柄を表す術がなくなり、鬱積し、キレる。
実はこれのミニチュア版は夫婦とかの会話でもが起きているよね、という話をしていました。
技術的な話題になると、妻の方は、それを頭の中で整理するボキャブラリーや論理的思考が追いつかず「だから結論は?」となる。
ライターとして、最近、海外取材は経済的負担が大きすぎて厳しい、といった話題とか、自転車についての話、電子メールやBLOG、ソーシャルネットワークに愛知万博、多岐にわたっていろいろ楽しい話ができて、ものすごくいいリフレッシュ&活力剤になりました。
児島先生との夕食も大変、勉強になりました。
最初は日本には「遠景」、「近景」はあるけれど「中景」という概念がない、という話という話だったでしょうか(実際、「ことえり」でも変換できませんでした)ーー昔の絵巻物でも中景の部分は雲とかの絵でごまかされている。
海外では観光名所でなくても、カフェとかでその街の風景や雰囲気を感じているだけで楽しい。
他にも順番は前後しますが、
外機能を考慮した住宅設計の話。つまり、最近のデザイナーズマンションみたいなものが可能になったのはコンビニエンスストアという外機能があってこそだ、という話。
(これは私からのフィードバックで、NY Public Library前のBryant Parkは無線LANホットスポットになっていて、皆、ラップトップを持って昼食をとりながら仕事をしていて、うらやましい)。
その割に、その他の外機能を考慮した住宅設計、事務所設計はなかなか行われていない。
そもそも日本は公園が少ない。
塀をつくって家に籠り、外のことには無関心。これも凶悪犯罪が増える一因になっているのではないか。
どこの「駅」で降りても同じ風景で、「場」そのものの魅力がない。
山とか谷とか、そういった地形や場の力を考慮した町づくりも重要。
例えば木とかも切り倒しても、また生えてくることがある(それで困ったことになった建築もある)。
風水は理にかなっていると言う話。
最近、話題のビルやスポットとかにしても手を加え過ぎて失敗しているのではないか。
いろいろつくりこんで話題になっているけれど、ほとんど人がいないで、閑散としている場所が多い。
(例えば美術館にしても、ポンピドー・センターの周辺のようなにぎわいはない)。
その原因はつくりこみすぎ(で、場の力を生かしていない)ことではないか。
空間をつくる際、どうしても面、つまり、壁とか塀とか、そちらをつくることが、空間づくりだと思ってしまう若い人が多いが、実際に重要なのは「空」の方、つまり、何もないエリアの方だ。
江戸時代の街並を壊し、100年かけてつくりあげてきたのが今の街並。でも、これはよかったのだろうか。
今、日本ではル・コルビジェを崇拝する建築家達が活躍しているが、
彼らの街づくりの考えは果たして本当に正しいのか。
屋上緑化よりも屋上庭園。
住人がもっと「外」との関わりを持つように、家の前のスペースを責任を持って割り当て、(緑ではなく)花を植えたりとかすればもっといい街になるのではないか。
この他、最近、先生が手掛けている野菜工場の話とかも伺いました。
ところどころにいしたにさんもいい感じで補足情報を入れてくれて、有意義な時間が過ごせました。
素晴らしい場をセットアップしてくれたマッキーにも感謝!