六本木クロッシング、マインドプリーツは60cmから
だが、本の執筆が貯まっていて、およそその余裕がなかった。
気がつけば日本時間の明日は「六本木クロッシング」の最終日。
この展覧会、今回も素晴らしい作品がいっぱいで、私も時間にさえ余裕があれば、あと5回は行きたかった。昨日からアメリカに来ているが、日本出発の前日、このまま1度も行かずに出発したら、絶対に後悔すると思って、2時間だけ時間をつくって見てきた(21_21 Design Siteの「Water展」と一緒に)。
今回の六本木クロッシング、台風マシンも楽しかったし(中に入りました)、
中西信洋さんの「レイヤー・ドローイング/日の出」も、作品の横を何度も往復して楽しんだ。
(今、アメリカにいて資料がないが、同じ中西さんのスライドの作品はさらにすごい)。
だが、私の一番の目当てはエンライトメントの「マインド・プリーツ」だった。
「心のマッサージ」をしてくれるという作品だが、内覧会の時には、少なくとも5回は立て続けに見て、心が完全にどこか別の世界にトリップしてしまった。私が美術館にいく目的の1つは、日常から切り離された別世界の体験をして、心身ともにリフレッシュというのがある、この作品を見ている間は心を「無」にすることができる。
できれば家に置いておきたい作品。これが、またしばらくの間は、お金を払っても見ることができないとなると、ちょっと残念でならない。
と、同時に、この作品は同展で、もっとも過小評価されている作品だとも思う。
私が運よく、この作品の本当の良さをしることができたのは、内覧会のときに、作品をつくったエンライトメントのヒロ杉山氏直々に、「作品の見方」を教えて頂いたからだ。
その方法を実践するかしないかで、作品はまったくの別物になる。
私も最初、間違った見方をしていた時の感想は「ふーん、おもしろい」程度だった。
しかし、ヒロ杉山さんに言われた通り、映像が映し出されるスクリーンの手前60cmくらいのところに立って、視界全部を作品で埋め尽くすと、その瞬間に言葉を失い、心がどこか無限宇宙の彼方に旅をしてしまう。
最終日、一緒に見に行った有人も、最初は「ふーん」だったが、見方を教えたとたん、私が頼んだわけでもないのに、無言で3〜4回、一緒に見てくれた。
この作品の展示方法には、いくつか間違いがある。
中でも最大のものは「部屋が大きすぎる」ことだ。
部屋が大きいと、周囲の人に気配りがあり、消極的な日本人の人は(そしてその社会に混じった海外の人も)、「できるだけ大勢の人が見えるように」、できるだけ作品から離れ、壁際で作品を見ようとする。
この見方をしている限り、この作品は透過スクリーンに合わせ鏡のようにして写るフィードバック映像のような楽しみしかない。「きれい」ではあるけれど、それだけだ。
だが、壁際に立っている人達から「何、あの人?後ろに人がいるのに、あんな近くで見て、邪魔だよ」と思われようと、そう口にされようと、気にせず、作品をできるだけ間近で見るようにしたとたん、自分自身が宇宙に飛び出してしまったような気になるのだ。
この「ひんしゅくな見方」には、もう1つ副次効果がある。
後ろの人の邪魔になるようにして作品を間近で見ると、後ろにいた人が「見えない」から前の方に出てくる。つまり、彼らも同じ体験ができるようになるのだ。
エンライトメントの方々も、この作品を間近で見てもらおうと、いろいろ工夫をしていたようだ。
内覧会のときには、スクリーンの前、約60cmのところの床に白いテープが貼ってあった。
ほとんどの人は、「これ以上、作品に近づかないでください」というテープだと思っていたようだが、「実はここから見てください」のサインだった。
あるいはつくったときは、集客力のある展覧会だから、
部屋一杯に人が入るー>一番前の人はここから作品をみるー>列の後ろの人と入れ替わる
といったシナリオを想定していたのかもしれない。
しかし、この作品の設置にはもう1つ問題があった。
巨大な壁画があって、その一角に目立たないように入り口(黒いカーテンがある)。
ほとんどの人がそれに気がつかずに、素通りしてしまうのだ(おまけに、入り口の真向かいは佐藤雅彦さん+桐山孝司さんの目立つ(そしておもしろい)作品、『計算の庭』。
みんな、そちらに目が行ってしまう。
日本を発つ前日に行ったときは、人々に作品があることをわからせようと、カーテンが開きっぱなしになっていた。が、「これも間違い」だ。
カーテンが開きっぱなしの状態だと、ヒロ杉山さん方式で、作品を目の前から楽しんでも、外からの音が入ってきて、夢うつつなのに、なんか現実世界の音が聞こえてきて、夢を楽しめないーーそんな気分になってしまう。
最初はほとんどの人が間違った見方をしているのが、歯がゆくて(あれは、インスタレーションというか、部屋の作り方の失敗だと思う)、六本木クロッシングに行くたび、累計10人くらいの見知らぬ人に声をかけて、見方を伝授しようとしたが、なかなか見ず知らずの、作品に無関係の人のアドバイスを聞こうとする人はなかなかいない。
超ポジティブ思考の私は、最後にもう1度だけ、あの作品を見て、あのカーテンに対する考えが変わった。
今の私はあのカーテンこそが「幸福の装置」だと思っている。
カーテンを閉めていると、人が作品に気がつかない=作品の展示された部屋に人が入ってこない=思いっきり作品を独り占めできる。
実際、最後にみてきたとき、部屋が私と友人の2人きりになったので、カーテンをしめたところ、その後、3回くらい繰り返し作品を見ている中、入ってきた人は2〜3人だった(しかも、うち1人はカーテンで怪しい2人組が、作品にくらいついているのを見て、すぐに逃げてしまった)。
運よく作品の存在と、見方を知っている人だけがエンライトメント(啓発)を受けられる、それでいいじゃないか。
というわけで、このブログ記事も、これから「六本木クロッシング」に行く人、2〜3人だけが気づいてくれれば、それでいいと思って書いている。
いずれにしても、空いているときでないと楽しめない作品なので、これから六本木クロッシングに行く人は、朝の開館一番、昼食時間、夕食時間、外で大きなイベントが始まる時間など、ぜひ少しでもすいている可能性がある時間を狙って、見に行って欲しい。
もっとも、今からこの見方を実践する人の中には、この作品が火曜日以降しばらく、見たくても見れないことを知り、なんでもっと早く出逢えなかったのか後悔することになるかもしれないが...
この作品は本当に素晴らしく、オーディエンス賞にもMAM賞にも選ばれなかったのが、残念でならない(第1回目の「六本木クロッシング」では、私が投票した笹口数さんがオーディエンス賞を受賞した。あの作品ももう1度みたい)。
しかし、この作品は、いい教訓を教えてくれた。
現代アートだけに限らないと思うが、展覧会では、ある程度、見る側にも積極性がもとめられるということ。周りの人など気にせずに(その代わり順番はある程度、譲って)自分からもアプローチしないと、道が開けない作品もある。
六本木クロッシングの後にいった「water展」でも(資料がなくて作品名がわからないが)、天井からたくさんのスピーカーがぶらさげられた、あの部屋がまさにそうだった。
私がいったときは、部屋の入り口から、覗き込むようにして楽しんでいる人がたくさんいて、私もその1人だったが、勇気を出して、人垣をかきわけ、部屋の中に置かれていたイスに座ったとたん、それまで平面だった音が立体的に展開し始め、作品が別の作品に変わった。
さて、昨日から私はMACWORLD EXPOの取材でサンフランシスコに入った。
少し早めについて、現地在住日本人に人気のTrader Joe'sを覗いたり、アフタークリスマスセールを覗こうとチケットを取ったが、仕事が貯まりすぎていて、とてもそんな余裕はなさそうだ。
今日も1日、停めて頂いている友人、外村さんの家で、書籍の原稿を書いて終わりそうだ
(Expo開幕の火曜日早朝までそうかもしれない)。
こんなブログ記事を書いている余裕など、まったくないはずだが、
六本木クロッシングが終わる前に、「マインド・プリーツ」の素晴らしさを2〜3人でもいいから伝えなかったら、それはそれで、また後悔することになりそうだった。