私はいかにしてテクノロジーを経てデザイン、アートに傾倒していったか…
30周年の節目
今年は私がテクノロジージャーナリストとして仕事を始めてから30年の節目の年だ。
で、この30年で、どんな実績が?
記憶力が悪い上に頭は次にやりたいことでいっぱいなので、とっさに思い出せない。
デビューは、世界でも初めてかも知れないシェアウェアを紹介する連載。
これを企画、執筆し雑誌の目玉の1つにできていたと思う。
その後、テクノロジー企業の創業者や研究者、ビジョナリー、思想家、デザイナー、経営者など、もはや会えなくなった人も含め錚々(そうそう)たる人たちを取材し、その言葉を文字に変えてきた。
本も1ダースほど書いた。一部は台湾や韓国でも翻訳出版された。一通りの新聞、テレビ局に出演したし、英米仏韓西(+カタルーニャ)の雑誌、Web媒体やテレビ、ラジオにも出演した(人によってはこっちの方が実績だと思うかも知れない)。
そういえば、日本でのiPhone発売開始前夜祭イベントで孫正義さんと一緒にMCをさせてもらったりなんていうこともあった。
でも、いずれも過去は過去だ。
そんな私が、ここ数年はすっかりテクノロジーよりもアートやデザイン、教育方面に傾注していることはTwitterやFacebookを見ている人ならご存知の通りだ(最近「アート/デザイン関係の方だと思っていました」と言う人も増え、喜ばしく思っている)。
これは自分の中では極自然に起きた変化だが、不思議に思っている人も少なくない。
改めて説明を試みると、自分の中でもいろいろと面白い発見があった。
丁寧に書くとどうしても長くなってしまうので文字数の上限を決めて説明してみたい(ちゃんと伝えるには、長大なメッセージよりも角度を変えた短いメッセージを長期間にわたって何度も出し続ける方が効果的というのは、この30年の学びのひとつだ)。
未来をつくっていたのはテクノロジーではなくデザインかも知れない
この5年ほどの間に、ひとつ大きな発見があった。自分にとっては、歳をとってから、自分の性的趣向が他の人と違っていたことに気がついたかのような衝撃の発見だった。
それは、自分がそもそも興味を持っていたのは「テクノロジー」ではなく「未来」の方だった、ということだ。
この「未来」という言葉には、「人類の種としての進化」だったり、「豊かな文化」といった視点も含められている。
それだけに、新たなテクノロジーを不毛な楽しみの道具に変える傾向が強い日本のテクノロジー業界とは、ちょっと相性の悪さを感じていた。とはいえ、十数年の間は、そんなテクノロジー業界にどっぷりと浸かり、それまでの縁をないがしろにしていた。その時点ではテクノロジー業界こそが、自分が所属している唯一のコミュニティーになってしまっていたので周りに合わせて我慢し続けてきた。
これは実は、それなりに大きなフラストレーションになっていた。
「テクノロジー」そのものではなく、そこから生まれてくる「新しい広がり」が好きな私にとってはアップル製コンピューターは必然の選択肢だった。
Apple IIの時代も、Macintoshの登場後も、さらにはiPhoneでスマートフォン時代、iPadでタブレット時代がやってきても、世の中の風景までも変えるような大きなトレンドの変化、世の中に対して「意味」を持つ変化は、常にアップル製品の周辺から生まれてきたように今でも思う。
では、アップルの製品が技術的に、そこまで先進的かと言えば必ずしもそうではない。
もっとも分かりやすい初代iPodを例に挙げよう。
2001年の発表当時、初代iPodに際立って新しいテクノロジーが搭載されていたかというと、答えは「No」だと思う。
では、iPodは何が凄かったかと言うと、製品のデザインだ。ねじ穴1つなく、背面は鏡面仕上げという見た目のデザインのそれも凄かった。だが、それ以上にポケットの中にすべての曲(1000曲)を入れて持ち歩けるというコンセプトがしっかりと練られていた。また、それが絵に描いた餅にならないように1000曲をストレスなく転送できる技術を戦略的に採用したり、1000曲の中から聞きたい曲を素早く選べるホイールを搭載したり…
あらゆる利用シーンをしっかりと検証し、議論し、その上で快適になるまでブラシアップした爪痕を随所から感じ取ることができた。
当時、他の会社からも同じ容量5GB、つまり1000曲を入れられる音楽プレーヤーも出ていたが、1000曲も転送するのは一晩がかりだったり、曲を選ぶのが大変過ぎて使い物にならない、とりあえずスペックを満たしただけの製品ばかりだった。
このiPodが、やがてアップル社を大躍進させ、世界規模で人々の風習を変えたことを考えると、未来をつくっていたのは「テクノロジー」の側ではなく、「デザイン」の方なのだと強く思わざるをえない。
もともとアップル社の製品が好きだったのはデザインに惹かれていた部分もあり、ジョニー・アイブはもちろん、深澤直人さんやIDEO社のデザイナー、さらにはIBM社のデザイン部門まで、デザイン関係の取材はかなり早い時期から始めていた。その背景もあり、2005ー2006年頃からは徐々にデザイン関係の仕事を増やしていった。
デザイン思考という言葉が日本にも広がり始める前後だった。
企業向けなどに行っていた講演でも、デザインこそが全社を貫く横串であり、戦略の中核になるはずだと、 三洋電機の事例などを挙げながら講演していたことを今でも思い出す。
それと並行して、実はアートへの興味も強まり始める。
アートは問いを生み出す旅
もともとアートは好きだったが、それが爆発し、積極的に展覧会を見に行くようになったきっかけは森美術館で2004年に開催されていた草間弥生さんの「クサマトリックス」展。そして2005年の杉本博司さんの「時間の終わり」展だ(「時間の終わり」はオープニングレセプションにも足を運んだ)。
2007年頃にはバイオアーティストとして有名な福原志穂さんに出会い。初の単著「iPhoneショック」の出版記念パーティーでは彼女に講演をしてもらった。
福原志穂さんを通して知ったバイオアートの世界との出会いは「アートがなぜ大事か」の気づきを与えてくれた。ここでは彼女の作品の詳しい解説は他に譲るが、先鋭的なメディアアートやテクノロジーアートが描く、近い将来、本当に起きるかも知れないちょっと怖い未来は、私の中に多くの問いを生み出した。
AIが指数関数的に発達し課題を解決してくれる これからの時代、大事なのは、「答え」ではなくて「問い」の方だ。
かれこれ5〜6年、学校に招かれての講義はもちろん、企業での講演でも、この言葉を繰り返しているが、机の前に座って、昨日の仕事のつづきばかりをやっていても、大きな問いは生まれてこない。
世の中に対して、本質的に意味を持つ大きな問いが生み出せるのは、非日常に接して、自分を俯瞰して見れている時だ。それをする上で最適なのは、本当は「旅」なのかも知れない。「旅」には、異世界の景色や風習を楽しむ側面もあるが、「自分の輪郭を外側からなぞって知る」という側面もある。
同時に「アート」に触れることも、実は作家がつくりだした違う価値観や世界観への「旅」であり、同様に「自分の輪郭を外側からなぞって知る」行為だと思っている。
ちなみに、私はここ数年のアート鑑賞も含めた「旅」を通して、「22世紀まで残したい価値とは何か」という大きな問いに到達した(これについては機会を改めて書きたい)。
次の30年も、きっと波は打ち寄せ続けている
いろいろとあるアートのジャンルの中で、私が特に好きなのは、これからの人類の行く末(=未来)に対する問いをつきつけてくれるアートだ。
そう言う意味では森美術館で現在開催中の「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」(南條史生館長最後の展覧会)は、まさに私の興味をくすぐる内容そのものと言える。
実際、同展覧会には既に3〜4度足を運んでいる。どの展示作品も、1年で忘れ去られる下手なテクノロジー展示会の展示製品よりもはるかに大きな未来を見せてくれている。
それは1つ1つの展示が「展示物そのものだけでおしまい」ではないからだ。
ディストピアであれ、ユートピアであれ、作品の向こう側に大きな未来への「ビジョン」が掲げられているからだろう。
分業化/分断化が進み、目の前に置かれたノートパソコンの画面の広さでしか世の中を見ていない人が大勢いる。
その道がどこにつながるかのビジョンもないまま。まるで崖の突端へと行進するレミングスのように…
その狭い視野の先で未来をつくることがディストピアへの一歩だと思っており、恐ろしさを感じている。
アートには、こうした人々に状況を俯瞰させ、新しい一歩を踏み出させる力があると思う。
私が敬愛する先端テクノロジーの研究者らの多くが、自らの研究の一部をアート作品という形で発表する機会が増えているが。それも、こうしたことが関係しているのかも知れない。
次の30年、自分はどこへ向かうのか?
テクノロジージャーナリストだった時代にしても、自分は1点に止まり続けていることはなかった。
まだ名前がつく前のシェアエコノミーに始まり、インターネットインフラ、ダイレクトマニピュレーションによるユーザーインターフェース革命、オブジェクト指向、ブログに始まるソーシャルメディアなど、その時々で異なる、次に来る「旬」を追い続けてきた。
私が追っていた「未来」とは決まった緯度と経度に留まっている定点ではなく、海の波でいうところのrip、つまりそこから波が崩れ始める先端部分であり、常に動き続けている。
そうして追ってきたことの多くが、自分が傾倒し始めてから3〜4年後に、マスにも大きく受け入れられていくーーテクノロジートレンドだけでなく、デザインやアートへの傾倒のタイミングも含め、この点においての打率はかなりに高い方だと自負している。
おそらく、これからも「未来への嗅覚」に導かれて活動をつづけることは変わらないと思う。
ただ、まだしばらく2020年の間は、片方の目をテクノロジー目線にしつつも、アート、デザイン、教育分野を見ていくのではないかと思う。
こうして振り返ると、本当にいろいろな人のお世話になった。
(その一方で、Pay It Forwardで、それなりに大勢のお世話もしてきたと思う…)
記憶力が悪いので、お礼を言い損ねている人が大勢いるが、改めて振り返ってみると、その人達の顔が思い浮かぶ。
今年、どこかで30周年を祝う宴でも開ければと思う。