コミュニケーションの難しさ

2008/07/31

何か他にもブログに書きたいと思っていたことはいっぱいあるのだが、
前の記事で「一読者」さんから非常にいい「気づき」をもらえたので、
忘れないうちに議論として取り上げておきたい。

自分ではnobilog2の記事は、すべてそうだと思っているが、
記事そのものの中に答えがあるわけでなく、
答えはコメントを通して議論をし、輪郭を描き出して、
最終的には読者1人1人が(そして書き手も)自分で考えるものであって、
記事そのものは議論のきっかけに過ぎない、と思っている。

ブログの記事と、そのコメント(そして最近では「はてなブックマーク」のコメント)との間で、
ブログの書き手と読み手の間で、たまに問題になり、議論になるのがこの当たりの認識のズレで、これは非常に難しいテーマだと思う。

私はブログの書き方にはルールも何もないと思っているけれど、
その一方で、ブログをどういうスタンスでつけているか、といったスタンスはある程度、明確にしておいた方がいいのかもしれない。

といっても、私は記事ごとに、まるっきりスタンスが異なっていて、単におもしろいこと・ものを人に伝えたいということもあれば、議論をしたくて書いていることもあってマチマチなのだが。

あまり難しいことを考えながら書いていたり、あまり細かい事実確認をしながら記事を書くとなると、ハードルが高くなり過ぎて、いつものようにブログの更新がピタっと止まってしまう。

だから、ブログの更新は、仕事として書いている原稿の合間を使って、30分か1時間くらいで、多少表現のおかしなところも、そのままにダァーっと書き上げてしまって、後でもらったコメントなどを見ながら(あるいは次の休憩のタイミングで)校正していく、というやり方をしている。

だから、nobilog2の1つ1つの記事は、記事単体は半分に過ぎずコメントもあわせて、初めて完成形だと思っている(実はmixi経由でコメントをもらうことも多いので、その当たりは、他の人と共有できなず、ちょっと悔しいところだ)。

もっとも、そういうスタンスだというのなら、そのことを常にどこかで明言しておいた方がいいのかもしれない。
ArtDemo

私を悩ませるミス・コミュニケーションはこれだけではない。
これはブログだけではなく、商業媒体や書籍においてもそうだが、
ターゲット読者の問題というのがある。

例えば「アップルの法則」という本を出しているが、
あの本は、このブログでも正直に書いた通り、アップルについて詳しい方が対象ではなく、
「なんだか、最近、iPodだiPhoneだと噂になっているアップルという会社がどういう会社か知りたい」というアップルをよく知らない人のために書いた本だ。
「何も新しい情報はない」と言った感想もみかけるが、アップル社好きの人にとっては、確かに何も新しい情報はないのは、私もわかっていた(それでも間違って、アップル好きの人の中にも買う人がいるだろうと、何カ所かだけ、まだほとんど話題になっていない情報も書き込んだが...)。

表紙にでも「この本はアップル社を知らない人のためのものです」とデカデカと書いてあればいいという意見もあるかもしれないが、そういうわけにもいかない。
(もっとも、おかげさまで「アップルの法則」で、アップルという会社がよくわかったと大きなインタビューの依頼と講演の依頼を、それぞれ2つくらいずついただいているので、個人的には結果に非常に満足している)。
これ以外にも、Windowsプログラマー向けに書いた記事にも、Mac系プログラマーの方からコメントがついたりと「想定ターゲットと、感想をくれる読者のズレ」というものは常にある問題だ。
同じ名前のまま、ぜんぜん別雑誌になったMACPOWERも、この問題に苦しめられ続けていたんじゃないだろうか(同誌は現在、同じ名前でさらに別形態の不定期刊ムックに変貌したが)。

書き手側のわがままな理想を言わさせてもらえれば:

世の中、すべての人を満足させる商品はないのと同じで、すべての人を満足させる雑誌もなければ、
すべての人を満足させるWebサイトもブログもない。
このことを広く世の中の1人でも多くの人に理解してもらって、
わざわざ不愉快に感じる記事を探して、それに苦情を言うよりは、
自分を楽しませ、豊かにしてくれる記事を見つける方に時間とエネルギーを裂いてくれるようになって欲しいというのが正直なところだ。
もちろん、楽しくない記事はすべてスルーしろ、などというつもりはない。
自分が不愉快に感じたなら、そのことをコメントで表明した方が、記事の筆者のためにもなる。
だが、いきなりそこでケンカ腰にならずに「もっと一緒にお互いを高めていこう」みたいな大人なスタンスはあっていいと思う。

1人で何かを考えているよりも、いい議論からの方が、多くのアイディアや気づきが生まれてくると信じている。その過程が、ちょっとした、ものの言い回しの足りなさで、くだらないケンカになってしまうのは正直バカバカしい。
これはケンカが始まってしまったかな、と思ってからでも遅くはない。どちらか「自分の方が大人」だと考えている方が、いかにうまく話しを穏便にまとめられるかの技量を見せ、周りもその技のうまさを見て「さすが、あの人は大人だ」と感心するーーとりあえずは、そんな循環でも生まれればいいのかな、などと漠然と考えている。

Casette tape for recording PC programs

ミスコミュニケーションと言えば、もう1つ、これは特にWebの文章で起こりがちなのが、時制の問題だ。
'93〜4年頃、誰かがすべてのホームページ(=Webページ)には賞味期限をつけるべきだといったことを言っていた(誰だったか忘れた)。
今、欲しい情報が、簡単にいくらでも検索できるようになった今、この問題は、我々に重くのしかかっている。

今年に入ってからだったか、去年だったか、nobilog2のかなり古い記事にコメントがついた。

あ、発見!これだ:
nobilog2:「MacBook=シングルレイヤー」の真相

この記事は2006年5月18日に書かれたものだが、
これに対して2007年12月31日(大晦日!)にこんなコメントがついた:
「http://www.apple.com/jp/news/2007/may/15macbook.html
ここ読めよ。2層書き込み対応だから。デマ乙」

「乙」というのは、2ちゃんねる用語で「お疲れさま」のことらしいが、
この方もさぞやおつかれだったのだろう。きっとMacBookのSuperDriveの仕様が気になって、私のブログ記事を見つけて気になっていたが、その後、さらに検索をして、件のアップル社のWebページを発見して、「なんだ、さっきのページ嘘じゃん!」となったのではないか、という姿が想像できる。

これはたくさんある例のほんの一つでしかなく。
原因はあきらかにnobilog2側にある。
だって、nobilog2の日付の表示はあまりに小さ過ぎて、私だってちゃんと見ていない。
(本当はレイアウトもテコ入れしたいが、それは記事の更新以上に時間がかかることなので、
ちょっとしばらくはできそうにない。誰かかっこいいデザインを、
比較的安価にしてくれる方がいらしたら、ぜひコメント経由で連絡ください!URL欄に何かテキトーなアドレスをいれておけば、他の人にメールアドレスがわからないはずです)。

大事なのは、インターネットと検索サービスの登場で、
文字情報を好きなだけ検索できるようになったのはすごいことだけれど、
それができたからといって、我々が正確な情報を得られるようになったということでは全然ない、ということだ。

何故なら、情報はコンテクストによっても、時勢によっても、書き手や読み手がどのようなグループに属しているかによっても、大きく変わってくるが、検索サービスで得られるのは、そうしたすべての属性をならした、out of contextの情報だけに過ぎないからだ。

これから22世紀に向けて、我々は、言語を進化させるのか、表現方法を進化させるのか、読む側のリテラシーを変化させるのか、視覚デザインを進化させるのか、どれが正解なのかわからないが、こうしたミスコミュニケーションを減らす努力をしていかなければならない(こういう場合は、大抵、これらすべてのバランスのいいコンビネーション、というのが答えになりそうだ)。

というわけで、この記事も、かなり昔にModern Syntaxのnagasawaさんが書いていた「酔いどれ」ブログ同様、食後の休憩時間40分ほどを使って(30分で仕上がらなかった)、一切振り返ることも推敲することもなく、一気に書きなぐった。

文中の誤字脱字や、事実誤認、そして22世紀への提言は、コメントを通して(できれば、mixiではなくブログへのコメントを通して)議論していければと思っている。

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年08月03日 | Permalink

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    お疲れさまです。

    古い記事が検索できるメリットと同時に、
    古い記事と気付きにくいデメリットもありますよね。

    ニュース系の記事を書いていて「××が●月●日……」って書いちゃうけど、
    後から検索してみると、何年のことだか分からなくて困ったりする。
    でも記事を書いた直後に見ると、
    「××が●年●月●日……」って書いてあると、ものすごい違和感が出たりする。

    記事が古くなってアーカイブの要素が高まってくると、
    記事内容とともに日時についても重要性を増してくるんですね。
    記事を書いていても、なかなか難しい問題ですね。

    投稿者名 Ken☆

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    だからといって、わかりそうな自分の友達だけの記事を公開というのも世界が狭くなるし、
    皆がそうなっちゃうと新しいことに見識を広めることもできなくなってしまう。
    本当に難しいですよね。

    もっと、スタイルシートとかが簡単で、いわゆるタグなんていうものを一切見ずに
    HyperCard並みに直感的にWebページのデザインができるようにな時代になったら、
    ターゲット層と記事のマッチングにおいて、もしかしたらページのデザインというものが、より重要な役割を果たすのかもしれない、と思っています。

    投稿者名 nobi

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    ネットに書いていることがすべて正しいのか問題というのもありますし
    (我々みたいな物を書く事が仕事な場合、迂闊な引用は避けなければならないけど
    でも、ネットで得た知識って少なからずあるわけで)
    そもそもネットにはどのぐらいの責任を持って
    「正しいこと」を書く義務を負うのかという問題はありますよね。

    それで興味深かったのが
    最近、私の業界(オサカナ)業界で始まったとあるベテランマニアユーザーさんの
    ブログで、オサカナのことを学名まで含めて、すごく詳しく書いてあるんですが
    その中に、微妙に分かる人には分かるパロディや、ジョークが織り交ぜてあるんです。

    知識レベル的にそこに至っていない人をミスリードする可能性はありますが
    「そもそもネットで聞きかじった知識で、知ったかぶりするんじゃありません」
    的なアンチテーゼも含まれているのかと楽しく読んでます。

    でも、これがずっと、残っていって
    文脈を知らずに検索で拾って読んだら
    やっぱり、間違うよなぁ……と(笑)
    そのへんんが面白かったり。

    投稿者名 TKT

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    おもしろいですね。

    そうしたネットの情報は信憑性が低い、という見方がある一方で、
    ネット上のマニアの情報の方が質が高いという見方もありますよね。
    伊藤穣一氏は、よくボランティアの仕事の方が質が高いことが多いと言っています。
    なぜか?仕事に対するモチベーションがぜんぜん違うからです。
    会社仕事でやっている人はいやいややっている可能性もあるけれど、
    ボランティアでやっている仕事(特にオープンソースの仕事なんか)は好きでないとやっていられない。
    だからこそ、作り手のできへのこだわりも大きい。

    nobilog2の問題について言えば、私がもう少しこだわりを持てば解決するのかもしれませんね。
    でも、そうなると執筆業とブログの両立は、難しいので、今、既にそうなりつつあるけれど、
    講演とコンサルをメインに切り替えようかなぁ....

    投稿者名 nobi

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    コメントやメールなどで間違いを指摘してもらいたいな、と思う反面、自分が気づいた時はポストできなかったりしています。なかなか難しいと思いながら、あー、ブログデザイン何か提案したいなあと思って、それもやっぱりコメント経由だし、とウダウダしながら、でもやっぱり投稿します。
    どんな形であれ、沈黙していてはコミュニケーションにならないですものね。スマートで緊張しない伝達方法、でも意思の如何によるもの、まだまだ見出すことは可能だと思うので、考えてみたいと思います。
    (うまくいっていませんが、つまりブログのデザインについてのコメントです)

    投稿者名 ヨウ

  • Re: コミュニケーションの難しさ


    ヨウさん、

    デザインでできることの可能性って、まだまだ大きいんじゃないかと思っています。
    私の尊敬する友人の1人が、以前にコミュニティーサイトを設計したのですが、最初のうちは荒らしがひどかった。それを直すために、彼が取った方策の1つが「ページデザインをかっこよくする」だったんですよね。無責任な荒らしコメントが書き込めないような雰囲気をデザインでつくりだした。

    デザインによって読み手の誤解を減らすこともできるだろうし、
    これからのWeb技術の構築では、エンジニアももちろんですが、それ以上にデザイナーの意見もますます重要になってくるんじゃないかと信じています。

    投稿者名 nobi