iMac DVそれ待った事件
約束通り過去15年の取材裏話をいくつか書き始めています。
第1回目のパイオニア事件については下書きしていたため、後から投稿した記事よりも下に表示されてしまいましたが、皆さん気がついたかな?(もっとも気がつかれても困る恥ずかしい話なのだけれど...)。
パイオニア事件は他の取材陣も巻き込んだ大掛かりなものでしたが、今回は何食わぬ顔をして取材していたけれど、その影で人知れず苦労をしていたという話。
今、この記事は機内で書いているため、資料がありませんが、計算が正しければ事件が起きたのは初代Mac誕生から15ヶ月目の'99年秋。
アップル社が初代Macが発表されたのと同じDe Anza Collegeのフリント講堂で製品を発表すると言う案内が届き、それを取材すべくシリコンバレーへと旅立った。
サンフランシスコ市内の取材なら歩きやタクシー、バスで(自然いっぱいの観光地以外は)どこへでもいけるのでレンタカーは不要だが、サンフランシスコ空港以南、シリコンバレーの取材となるとレンタカーは必須だ。
この時も朝、サンノゼ空港に降り立つと、真っ先にレンタカーをし、昼間には飲茶を食べ、そこから時差ぼけで夜眠れなくならないように、同僚を引き連れてパロアルト近郊をドライブしていた。この時、猛烈に眠かったが、30分以上にわたって延々と蛇行が続く山道に迷い込んだのはかなりつらかったが、その疲れのおかげで夜かなり早い時間にベッドになだれ込み、そのまま深い眠りについた。
翌朝は目覚めもよく、頭もすっきり。発表会の4時間前には目が覚め、眠い目をこする同僚に、何か朝ご飯でも買ってこようかと提案した(できるだけ早く会場に行きたかったので、何かテイクアウトできるものを持っていこうと思ったのだ)。
ちょうど、車で2ブロックほど行ったところにマクドナルドがあった。
同僚がまだ眠そうなので車に乗り、1人マクドナルドに向かい、朝食セットをちょっと多めに買って車に戻ると車内にあってはならないものがぶらさがっていることに気がついたーーそう車の鍵だ。
助手席、後ろのドア、トランク、八方探したがどこも鍵はあいていない。
マクドナルドの前の公衆電話、Yellow Pageを使ってLock Smith(日本で言うところの鍵の救急便[でしたっけ?])に電話をかけたが、こちらに到着するまでには1時間かかるといい、それでは発表会に間に合わないかもしれない。
タクシーを呼んで会場に向かうか?いや、でも自分の取材道具は車のトランクに積み込んでしまった。
さまざまな考えが頭に浮かぶが、結局、解決策もないまま時間ばかりがどんどん過ぎていく。
ようやく1つの結論にたどり着いた。
「車の窓を割るしかない」
今回は、この発表会ただ1日だけの渡航、このバカな失敗のせいですべてをフイにすることはとてもできない。
マクドナルドのカウンターに並び、自分の順番が回ってくるや、「何か窓を割れるようなものはないか」と聞いた。
店員のびっくりした顔は想像するまでもない。
そこから5分近く、事情を話して、予想通りだが、Lock Smithを勧められて、その時間がないと説明してさらに5分ほど経った頃、ようやく、先方が「どうしてもやるのか?」とこちらの決心を受け入れ、すぐ裏側に自動車整備工場があるのでそこに相談に行った方がいいと言われた。
次の瞬間には100mほど離れた自動車整備工場に駆け込んでいた。
「時間がなくって理由を説明する余裕はないけれど、車からlocked outされてしまった。どうしても時間がないので、窓を割らなければならない」
ここでもLock Smithを勧められるなど、予想通りのやりとりがあったが、韓国人風のおじさんが「それなら俺はもう知らない。そこにデカいハンマーがあるからそれを貸してやる」と鉄ハンマーを指差した。
足は車の方に向かいながらも後ろを向きながら、丁寧にお礼を繰り返し、建物を出たらそのまま一目散に(両手で巨大ハンマーを抱えて)車に向かって走り出していたーー周囲に人はいなかったと思うが、いたらどう見られていたのだろう。
車の前に到着。
心の中で本当に割ってもいいのだろうか、という最後の葛藤を終えた後、深呼吸をして、思いっきりハンマーを振りかざした。
いや、予想以上にハンマーが重かったので、イマイチ振りかざしきれていなかったので、少し後ずさりをしてもう1度ハンマーを振りかざし、勢い良く振り下ろそうとした。
「WAIT」
その大きな声が聞こえてきたのは、まさにその瞬間だった。力が抜け振りかざしたハンマーが窓の上に落ちたが勢いがなかったため、割れずに終わった。
先ほどの自動車工場の韓国人風のおじさんだ。
「どうせ割るなら、ここの窓(=運転席の窓)は大きくて値段が高いから、こっちの小さい窓を割れ!」というアドバイス。
さすがは自動車整備士!
この時は本当に感動&感謝感激でした
「Thank you!」といった後、その持ち方じゃダメだと言わんばかりに彼が叩き割ってくれました(ちょっと気持ち良さそうで、うらやましい)
後部座席はガラスの破片が飛び散りとても座れる状態じゃないけれど、それよりも怖いのはこの車を果たして取材中どこかにパーキングし置いて大丈夫なものだろうか?
自動車整備の人にお礼を言うと、彼は「いいから急げ!」と言ってくれて(いい人だ)ハンマーを持って彼の職場へと消えていった。
私はとりあえず、運転席に座り(ここにガラスが飛び散っていないでよかった)、エンジンをかけ、同僚が待つホテルへ
「遅かったね?そろそろ取材行く?」とノンキな同僚を車に乗せて、自分の取材道具からガムテープを取り出して彼に手渡す(ガムテープはビデオの電源を通路を横切って延長する時に、人が足をひっかけないようにテーピングするために昔は持ち歩いていました。今は面倒なのでバッテリーで撮影)。
後部座席にジャケットをしいてその上に座って、マクドナルドを食べながらの片手運転で発表会会場に向かいました。
この日はいい天気で、小さな講堂はThink differentのポスターで埋め尽くされ、外のテントではプレス受付をしながら、軽い朝食も配られていました。
登録の後、カリフォルニア日和の太陽の下、スイートとコーヒーを持ちながら「やあ、どうも」と声をかけてくる日本人プレスの方々、「Hey Nobi. How's going?」と声をかけてくる欧米プレスの方々、そして「Hi, good to see you hear. I am glad you could make it」と声をかけてくれるアップル広報の方々...
一瞬、ここまでmake it(なんとかたどりつく)までにあった苦労を言おうと思って、口を開きかけるのですが、このあまりに長大なストーリーが頭を一瞬ぐるっとかけめぐり「good to see you, too」と流してしまいました。
発表会、ジョブズはこの日はちょっときばって初代Macタキシードで登壇。
FireWireポートを搭載したiMac DVとiMac DVのSpecial Editionそして現在はiLifeの一部として知られるiMovieが発表されました。
講演では、iMovieを使ってホームムービーをつくるデモを行った後、ジョブズはしばし沈黙し
「アップルにはアートとテクノロジーの接点に立つ会社になって欲しい」
となかなか言葉に残る名セリフを残していました。
講演が終わり、壇上のiMac DVを撮影していると、他の日本のプレスも続々、壇に登ってきて、日本人プレスによるiMac DV撮影会状態になってしまったのですが...
実はこの模様を雑誌TIMEの記者が写真にとっていたようで、私や同僚、PC WATCHでこの記事を書いた友人らはジョナサン・アイブよりも大きい後ろ姿の写真がTIMEの記事に載ったというおまけつきです...
真っ暗な講演会場を出て、講堂のまわりの廊下にいくと、そこにはアップル社の当時のPMの方々が楽しそうに話をして、大変気分よく取材を終えられました。
数ヶ月前大阪で行われたIEEE1394TA(FireWireの規格化を進めている団体)会長の「アップルはFireWireを推進する企業としてFireWireをiMacに搭載するべき」と言う言葉を思い返したり、速報記事の大まかな構成を考えたりしながらも、De Anza Collegeのきれいな緑やリスや小鳥といった小動物のいる景色を楽しみながら、心地よく撤収をしたのですが、駐車場には割れた窓ガラスをガムテープで補修したレンタカーという重い現実が待っていました。
あれから、どこかで昼飯を食べたのでしょうか?
とにかく、ホテルに帰り、その夜は必死で速報記事を仕上げました。
仕上がったのは翌日の飛行機の時間の2〜3時間前で、レンタカー会社にゆっくり事情を話したいけれど、その余裕もなさそう...
レンタカー返却にいって事情を話すと、「OK。it's insured(大丈夫、保険でカバーするから)」と言われてホッ
飛行機ではあまり寝れない質なのですが、この時はぐっすりと寝れたような気がします。
さて、時間は流れて2004年7月、今回の失敗によるダメージは1泊2日だったので、この暴露話シリーズはパイオニアの話とiMac DVの話の2話で一度終わりにして、何かまた次に大きな失敗をした時につづきを書こうと思います。楽しんでくれた人は、私が次にまた失敗をやらかすことを期待していてください。