大事なのは美意識!?
後半には読み返してちょっと恥ずかしい内容もあり、仮眠を取った後に削ってしまったが、自分がどこかで感じ続けていた本心であることは間違いない。
どんな内容かというと、犯罪行為1つ1つを憎んでもしょうがない(きりがない)。
それよりもそうした行為を生み出す根源の原因をなくすのに、何か自分でできることはないか、というもの。
その答えは「目には目を」や「もっと重い罰を」の中にはない気がする。
ジョン・レノン暗殺のはるか後、高校時代になってから知った「Make Love Not War」や「Give Peace a Chance」、「WAR IS OVER (IF YOU WANT IT)」、「You may say I'm a dreamer but I'm not the only one」といったJohn & Yokoの言葉の影響もあってか、問題のより本質に近い部分に迫れるのはこうしたポジティブなアプローチーだと信じてしまう。
例えば、書き直し後の前のエントリーにも書いたが、信頼を裏切った人達を(その奥底にある人間性を)むしろ信頼するといったことだ。こうした「信頼」は、必ずしも事件や犯行を未然に防いでくれるとは限らないが、事後、行為者の心の奥底に対して何らかの影響を与えることができるのではないか、そう信じたいのかもしれない。
ちょっと前、「怖い子供がふえた」ということがやたらと話題になったが、それと同時に「かっこいい大人がいなくなった」と思う。
自分自身短気だしあまり人のことは言えない節があるのだが、今日、歩行者を待っていたうちの車に後ろから大きなクラクションを鳴らして、全速力で駆け抜ける車に、6歳の息子がこういった。「まったく子供みたいだよ。」
小学校1年生の子供でさえ、給食時にはきちんと列に並べるのに、彼にはどうしてもそれができなかった。でも、私には彼を責めることはできない。自分でも同じ覚えがあるからだ。
タバコのポイ捨てもそうだし、赤信号の横断もそう。腕時計を見て忙しさをアピールしながら赤信号を颯爽と無視したことも何度かあるし、そうした行為の中に自分の忙しさに酔っていたところもある。
マナーの悪い駐車をよくみかける。違法駐車はあまり人のことを責められないが、まるで自分の存在感の大小は、横柄な態度によって得られると言わんばかりに、信じられないような車の停め方をしている。横断歩道のど真ん中(車道を遮るような横向き)、etc.
だが、これらはいずれも「かっこ悪い行為」ーーすぐには大人になれなくても、その美意識だけはしっかりと持たなければならないと思う。
小さなところから美意識は育っていくと思う。
次に来る年配の人のために重たいドアを開けたまま少し待っている自分、相手に気を使わせないように電車を降りるふりをして席をゆずる自分、渋滞中の道路に入ろうとする車に道を譲ってあげる自分、そういった自分を、ちょっとだけ褒めてあげること。我ながらちょっとだけかっこいいかも、と思うことがいいスターティングポイントなのかなと思う。
ナルシストになる必要はない。「こんな些細なことで自分に浮かれて、オレってバカだよな」と笑える程度でいいのではなかろうか。でも、そういったあたりから小さな善意に対してアドレナリンが分泌するようになる。
そういう「かっこいい」ことを、かっこよくこなせる人を見ると、我が身を振り返り、自分でもそうしたいと思ってしまう。そう感じるのは私だけではないだろう。今は自己チューな自分にかっこよさを感じている人も、こうした行為を試してみると紳士/淑女(つまり、まわりの人が心地よく過ごせるように配慮できる存在)を味わえば、その感覚に気持ちよさを感じるはずだ。
もし、そうでなければ未来は真っ暗かもしれない。信号が赤に変わってもいつまでも無視して渡り続ける車、大人を真似してそこを赤信号なのに渡る子供達。道ばたには2列、3列に違法駐車されたマナーの悪い車達。老人をはらいのけて我先に座る若者...
もちろん、紳士、淑女でも、急いでいてどうしても赤信号を渡らなければならないときや、疲れきっていて電車やバスの席を譲れない時もきっとある。でも、その時の自分の行ないを信じられる自分にまずはなりたい。
大学時代、出会い頭にぶつかっただかなんだかでちょっとした口論になり嫌悪感を感じていた名前も知らないクラスメート。一度、そのエスカレーターを降りる間、数秒間、その彼女とお互い向かい合わせで、視線があわさったままになることがあったのだが、その時、彼女が私に向けた悪意のない会心の笑顔が、なぜか今でも強く印象に残っている。この笑顔以来、彼女への嫌悪感は過去の記憶となり、むしろ(かわいかったこともあるのかもしれないが)ちょっとした好意すら抱くようになった(でも、最後まで名前を聞くこともなかったけれど)。
どういった深層心理が働いて、このシーンが頭の中で繰り返し再生されるのかわからない。青臭いけれど「武力」や「悪意」とかだけではなく、「信頼」とか「愛」といったものにも力強いパワーがあるんじゃないかということ。
海外の人に、お前の名前の由来はと聞かれたときは「信じたことを行う人間」と説明している。「信行」は実際には姓名判断でつけられただけで、後付けの自分で考えた由来だけれど、「信じる」という行為を大切にしたい(裏切られ続け過ぎて、もうどうやっても信じられなくなってしまった人もいるけれど)。
P.S.レノンの特集に惹かれて、久々に月刊プレイボーイを買ったけれど、iPod miniがついにセンターフォールドにまで進出していたのにはビックリ(笑)。
そして安藤忠雄さん(w/ 直島地中美術館)がここにも。私は結構、雑誌は買う方だけれど、今月買った雑誌のほとんどに安藤さん(&地中美術館)。美術手帳、Esquire。
Casaはあえて外したのか、それとも次号なのか?