どこまでがニュース?どこからが旧聞?
さっき、asahi.comを開いたらiPod Photo発表の模様が約36時間前のトップニュースとして写真入りで取り上げられていた。
久々にJDNを見たらトップ記事はTokyo Designers BlockのContainer Groundのレポートだった。
実はContainer GroundについてはWired News(US)で書く予定だったが、風邪でダウンしていたり、他のイベントの取材で忙しかったりでタイミングを逸してしまった。
「Wired News」は「News」というだけあって結構、ネタの新鮮さにこだわっている部分がある。私の方でも、それに配慮して取材して記事化の段取りをつけていながら、結局、できずに終わってしまうことが最近多いのだ(TOKYO GAME SHOW、CEATEC、WPC Expoのいずれも、とりあえずWiredでのレポートはあきらめ、いずれnobilog1/2のネタにしようと思っている)。
それにしてもいったいどこまでがニュースで、どこからが旧聞なのだろう。
最近の雑誌社はどこもニュースを諦めている傾向がある。
Webニュースを意識し過ぎ、旧聞を報じるマヌケになることを恐れて、「情報の鮮度はどうでもいい」とか「その分、じっくり型の記事で勝負」といったことを言っている(これは一般誌やパソコン雑誌といったことに関係なくどこでもそうみたいだ)。
でも、本当にニュースが偉くて、旧聞が悪いのか?
Webは確かに常に最新ニュースで溢れている。特にBLOGの登場後はすごい。
nobilog2の最初(あるいは2、3個目)のエントリーは、たしかFOMA 900シリーズ発表会場からmoblog(携帯から投稿)の形で投稿した。おそらくどの新聞社よりも早いし、生放送でもやっていない限りどのTV局よりも先に報道できていたはずだ(もっともF900iT発表といったひと言ニュースだった気がする)。
1日24時間×1時間60分×1分60秒、世界中で常に生み出され続けている速報ニュース。
でも、そのすべてを追っている人は世の中にいない。
きっと、お気に入りニュースサイト、お気に入りBLOGサイトがある人も、それらを常に監視しているわけではないし、すべての記事を完全に読んでいるわけでもなければ、記憶しているわけでもないと思う。
人間の脳の情報処理能力も記憶力も、とてもそれに追いついていないはずだ。
私は仕事としてやっているコンピューター関連のニュース以外では、結構、偶然性に任せてニュースを楽しんでいる。
RSSリーダーもたまに起動するだけ、何十件とたまった未読エントリーの中から「ん?」と思ったタイトルの項目だけをダブルクリックして読んでいる。
mixiやGreeもそんな感じだ。
だから、たまにめちゃくちゃ遅れたタイミングでコメントを書き込んだり、まったく御無沙汰の人のBLOGに唐突に現れたりする。
でも、追っているニュースサイトやBLOGが2〜3件のうちはいいけれど、2桁となり3桁となると、すべてに目を通すのは不可能。
他の人達も遅かれ少なかれ、そういった偶然任せになってくるんじゃないかな!?
私の元には「我が社の新製品を紹介して欲しい」という案内や実際のものとかがたくさん送られてくる。
最初はできるだけ発表と同時に紹介しなきゃとか思っていたけれど、最近は逆にちょっと遅れて紹介するくらいの方が親切なんじゃないかと思えてくる。そうすることで、たまたま新製品発表の週どこかに出張していてWebなんか見ている暇がなかった人とかが、「偶然」、見逃していたその製品の情報を見るチャンスだって出てくる。普段はWebを見ない人が、たまたまその日だけWebニュースを巡回して、それを目にすることもあるだろう。
もちろん、速報性、共時性こそが命という情報もあるだろうけれど、その一方で世の中のほとんどのニュースは実はいつ報道されるかではなく、むしろどのようにプレゼンテーションされるかの方が重要なんじゃないかな?
例えば新製品の紹介とかでも、毎回、同じような切り口では作り手も読み手も飽きてしまう
(書き手は工夫しないでいい分、頭を使わないで楽かも知れないけれど)
だから、その分、視点の変化とか演出なんかで他では見れない独自色、偶然通りかかった人が「ん?」と思って立ち止まるきっかけの方に重点を置く。
私は新しいMac OSとかが出る度に、ムックとかで概論を書く仕事が回ってくるのだけれど、似たような文章の流用が嫌で、毎回できるだけ違った視点から書き起こすようにしている。それを繰り返すうちに、自分の頭の中に、そのOSの持つ意味であるとか、大きな時代の流れの中でのポジションとかそういったものがかいま見れる瞬間ができてくる(一度、新OSの魅力をマズローの欲求の階層説になぞらえて紹介する記事を書いた時もあったな...あれ、書き手側としては、非常に時間と手間がかかったんだけれど、果たして楽しんでくれた読者はいたんだろうか)。
冒頭にでてきたasahi.comだけれど(もしかしたら他社もそうなのかもしれないけれど)、かなりリアルタイムに近いWebニュース的な時間の流れと、紙の新聞に近い時間の流れ、週刊誌に近い時間の流れそして月刊誌に近い時間の流れが共存している気がする。
この異なる時間の流れの共存が、偶然のおもしろい出会い、serendipityが起こりやすくしているのかも...
そう、これからは即時性よりも、プレゼンテーションの方法や多様なスピードの共存こそが雑誌やBLOGのおもしろくする上で重要なんじゃないかな?
P.S.もっとも、雑誌やBLOG全体にいろいろなスピードが共存しても、常に締め切りに追われるライター/編集者のみじめになるほどの慌ただしさは結局、変わることがないのかな...仕事に戻りま〜す