コミュニケーションという幻想

今年、東京都美術館で大規模な展覧会が行われるブリューゲルの「バベル」。バベルの塔の住人は神の怒りを買い、話す言葉がバラバラになり意思の疎通ができなくなってしまったという。

■文意は読み手の頭の中でつくられている

四半世紀近く物を書き、情報を発信する仕事を続けた自分がたどり着いたのは「コミュニケーション不信」だった。
少し文章長めくらいで、懇切丁寧に説明しても意図が伝わらないことが多い。
逆に誤解が生じないように簡潔に削ぎ落とした文章でも伝わらない相手には伝わらない。

ソーシャルメディア時代になり、読んだ人の感想を目にする機会が増えたことでつくづく思い知らされたのは、文章の意図と言うのは書き手以上に読み手の頭の中でつくられるという現実だ。

世の中の半分くらいの人は文章を読む時、頭の中で声に変換して読むそうだ(私もその1人だ)。


ここでは実験として、普段、そうしない人も、次の文章を頭の中で、好みの明るい性格の女優さん(友達でもいい)の声を想像して読んで見てほしい
「元気そうね」

ここで一度、スイッチを切り替えて、下のまったく同じ文章を常にどこかにシニカルな雰囲気の漂う声で読み直してほしい(誰も思い当たらない人は美川憲一さんや泉谷しげるさんあたりを想像してもらうといいかも知れない)。
「元気そうね」

 まったく同じ文字列が、読み手が明るいムードか暗いムード、頭の中でどっちの声で読んでいるかだけで、まったく印象が異なることが多い。
 このように文字によるコミュニケーション成功の鍵の半分以上は、書き手ではなく、読み手の手中にある。

 最近、文字だけでは伝わらない感情などを伝達する日本の携帯電話生まれの「絵文字」がMoMAの収蔵品になったが、何か象徴的なできごとのように感じた。

 だが、絵文字が完全な解決策ではない。
 
 よく知り信頼している相手による文章であれば自然と好意的な頭の声で読み好意的に受け止められるし、逆に疎んでいる相手、不信感を持っている相手が発した文章であれば、どこかネガティブなフィルターをかけて解釈してしまう。それが人間だと思う。

■コミュニケーションのノイズ


コミュニケーションのノイズ

 難しいのは文字によるコミュニケーションだけではない。

  声を使ったコミュニケーションにも難しさがあることを図で説明したい。

 米国の大学に通うと「Communication 101」という必須科目がある。今でも強く印象に残るのは意思伝達に潜む多くのノイズ/障害がいかに多いかの話だ。英語のWikipediaにも項目があるが「Communication Noise」には主に「心理的ノイズ」、「環境的ノイズ」、「物理的ノイズ」、「セマンティック(意味的な)ノイズ」があると言われている。

 簡単に図示をしてみても誰かの思いが相手に伝わるというのはもしかしたら奇跡なんじゃないかと思うくらいに障壁が多い。
 例え話者が非常に卓越した言語力を持っていたとしても、そもそも1つ1つの語に対して持つ印象「語感」は人によって差異があるものだし、メッセージの発信者と受信者の頭の中で同じイメージの複製が行われることは皆無といってもいいだろう。
 さて、上の図の多くは、文字によるコミュニケーションにも当てはまるものだが、私が特に致命的と思っているのが「そもそもの解釈の失敗」という部分だ。
 一卵性双生児でも、生まれた瞬間から異なる体験の蓄積が待っている。人々の価値観というものが体験の蓄積で醸成されるのだとしたら、価値観は一人一人皆、異なっているはずだ。
 そして価値観が異なれば、同じ物やアイディアに対しても、それをどのアングルから眺め、どう切り取って言語化するかの手法も異なる。
 同様にメッセージの受信者も、万が一、すべての障壁を乗り越えて「卓越した能力で言語化」したメッセージを間違いなく受信したとしても、それを解釈し、頭の中のイメージに落とし込むに当たっては、それまでの経験や知識の影響を大きく受ける。
 ずっと会話が成り立っていると思っていたのに「え!〜〜の話だったの?〜〜の話だと思っていた」というのはよくあるできごとだ。
 TwitterやFacebookなどへの書き込みに対しても、想像もしなかったアングルの脈絡のない返答がきて「この人はどういう思い、どんな認識で、この返信をしてきたのだろう」と悩むことも多い。

■Web 2.0で何が変わったのか

 それでも20世紀のマスメディアは、多くの人にその意図を伝え、新しい文化を生み出すことも少なくなかった。これら旧来型マスメディアがうまくいっていた一因は、20世紀メディアの多くが受け手が自分の価値感にあうものを吟味してチューン・イン(選択)をする特性があったからではないか。

 視聴者や読者は、情報に触れる前に、ある程度、ふるい分けが行われていた。

 例えば同じiPodのレビューでも、ファッション誌なら形や色についてしか触れなくても「技術的考察が少ない」と怒る読者もいなかった(そもそも怒るような読者はファッション誌を買っていなかったり、ファッション誌を読む間だけは頭を切り替えていた)。逆に技術雑誌のレビューに見た目や触り心地を無視していると憤慨する人も少なかった。スポーツ新聞の記事を読んで「ふざけている」と憤慨する人もいなければ、特定のイデオロギーに基づいた本を買って自分のイデオロギーと違うと怒る人もあまりいなかったはずだ。

 テレビ番組も、ラジオ番組も、雑誌も、それぞれが世界観であったり共通の価値観を持っていて、門をくぐるという通過儀礼、つまりチャンネルを合わせたり、書店で購入した後は、読者もその価値体型の中で内容に触れていた。

 おそらくこれはインターネットが広まり始めてからもしばらくは同様で、ブログが広まり始めたくらいも同様だったかも知れない。

 変わったのは、「Web 2.0」というバズワードと共に、ソーシャルメディアが普及してからだと思う。

 「Web 2.0」で、それまでの読むだけだった人たちがコメント欄であったり、ソーシャルメディアで情報を発信する側になったことも大きいが、それ以上にソーシャルメディアの普及でコンテンツがバラバラに分解されたことの方が大きいように思う。

 人々は面白いニュースをTwitterやFacebookで発見し、トップページを素通りしていきなり目当ての記事に飛び、そのままトップページや他の記事を見向くこともなくTwitterやFacebookに戻っていく時代が始まった。
 デジタル技術が音楽アルバムを曲単位の販売に分解したように、Webニュースサイトというコンテンツは解体され、その中のコンテント、つまり個別のニュースが直接アクセスの対象になった。

 ソーシャルメディアの投稿やRSSフィードから、1クリック0円とわずか数秒の移動時間で、自分とまったく異なる価値観のコンテントにも首をつっこめてしまう。
 コンテントを価値観の合わない人たちとの接触からかくまっていた、コンテンツとしての世界観や価値観の壁が崩落した。



投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年01月16日 | Permalink

10周年のiPhone、世界をどう変えたのか

これは英語ブログに書いた記事の翻訳版です:

あれから10年

 10年前、スティーブ・ジョブズが初代iPhoneを発表した。幸運にも私は現地で取材をしていたが、当時、ラスベガスで開催されていたConsumer Electronics Show(CES)に最新携帯電話を取材に行っていた人は歯がゆい思いをしたはずだ。米国のTVニュースのレポーターが伝えた次の言葉がその様子をよく表している。「CES 2007の最大のニュースはこのイベントに出展すらしていない会社からやってきた。」

 この日、MACWORLD EXPOの基調講演に登壇したスティーブ・ジョブズは「アップルは電話を再発明する」と宣言した。それから数年後に我々は彼らが電話だけでなくデジタル機器の生態系のすべてを再発明してしまったことに気づかされる。その変化はあまりに大きかった。5年後、アップルが世界で最も価値のある企業になったが、多くの人はそれを当然と受け止めたことだろう。

 私はiPhone発表2週間後の2007年1月25日、ascii.jpに「iPhoneは大きな森を生み出す「最初の木」」という3部からなる記事を書いたが、このタイトルはこの10年で起きたことをよく言い表していたと思う。ただ、当時の私には、こんなに大きな森であることは想像もついていなかった。

 伝説の発表から10年が経った。今日、我々が当たり前のこととして見過ごしてしまっている多くのことが、この伝説の発表なくしては成り立たなかった。そこでそうしたことのいくつかを私なりの視点でまとめてみたい。
まずはわかりやすい事柄から。


もし、iPhoneが無ければ

もし、iPhoneが無ければ:
・アングリーバードやパズドラ、InstagramやEvernote、LINE、WhatsAppそしてその他200万本近いアプリはこの世に存在していなかった。
・Uber、SnapchatやRoviといった我々が今日よく耳にする企業もこの世に存在していなかった
・人気アプリ周辺のビジネス。例えばアングリーバードの映画やLINEのクリエイターズマーケット、LINEのキャラクターショップなんかも存在しなかった
・今や世界的になりMoMAにも収蔵された絵文字もここまで世界規模に受け入れられることはなかった
・Objective-CやSwiftでのプログラミングがここまで一般的になることもなかった
・AndroidベースのスマートフォンはiPhoneの有無に関わらず登場しただろう。ただし、もう少しかつてのWindows Mobileスマートフォンに似た性格のものになっていただろう(例えばハードウェアキーボードやスタイラスが標準になっていただろう)

 リストは、まだまだいくらでも書くことができるし、人によっても違った視点のリストができあがることだろう。

 iPhoneは登場するや大成功し、一年後にApp Storeが登場したことで「アプリ経済(App Economy)」が誕生した。これによりiPhoneはアプリを切り替えるだけで色々な用途に使える万能製品へと進化を遂げ、デジタルカメラを筆頭に我々の日常の道具の多くを吸収してしまった。
 下の動画は銀座グラフィックギャラリーで開催された「NOSIGNER:かたちと理由」展のインスタレーションを撮影したものだ。この作品でNOSIGNERはiPhoneというデバイスに集約された機器を実際のオブジェクトを並べて示して見せた。


デジタル・デバイド

 iPhoneがもたらした明らかな変化の話はこの辺りで一度、終わりにして、ここからは、もう少し本質的な変化に着目してみたい。

 まず1つ目は「デジタルデバイド」。iPhoneが登場する前、テクノロジー業界の人が心配していたのが「デジタルデバイド」の進行だ。Windows 95やiMacが登場してインターネットが普及する中、世の中に深刻な格差が生まれ始めていた。インターネットを持つ者と、持たない者の格差、「デジタルデバイド」だ。持つ者はインターネットでリアルタイムに世界のニュースを獲得し、あらゆる情報を検索し始めていたが、持たない者はどんどん取り残されて行く心配があった。
 しかし、iPadが登場した2010年頃に気がついたのだが、その頃にはこの言葉がすっかり死語になってしまっていた。操作も簡単だし、インターネット接続のためのコストが圧倒的に安いスマートデバイスが、状況を一変させたのだ。もちろん、iPhoneが実質0円で提供されていた日本を除けば、この点に関しては、より大きな貢献をしたのは廉価なアンドロイド機器だろう。だが、それまでのパソコンを使ったインターネット接続では、パソコン本体に加え、ルーターやISDN・光ファイバーの敷設工事、さらにはISPとの契約などコスト負担だけでなく、手順的にも煩雑でインターネットを使い始めるまでの敷居が高かった。インターネット所有コストの低さで言えば、やや高価だったiPhoneでも、それまでのパソコンを使ったインターネット所有と比べて安くなっているはずだ。
 スマートデバイスの普及以後、インターネット人口は年間、数千万人ペースで増えている。そして、そのほとんどはパソコンではなく、スマートデバイスを使ってインターネットデビューを飾っている。

実は「デジタルデバイド」は無くなったのではなく、逆転したのだという見方もある。これもiPadが登場した2010年頃に気がついたことなのだが、既にパソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていたホワイトカラーの人たちはスマートデバイスの登場による進歩のレベルが小さいのだ。確かに外出先から社内ネットワークの情報を引き出してビジネスの機動性を高める、といった変化は起きたがその程度だ。
 これに対して、パソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていなかった層は、その分、大きな跳躍を見せている。例えば一次産業(農林水産業)、観光業、教育、ファッション、医療などはその代表例だろう。これらの業界がスマートフォン、タブレットを手にしたことで起きた変化と比べれば、ホワイトカラーワーカーに起きた変化はパソコンを使った革命の延長線から脱しておらず、「デジタルデバイド」は実は逆転してしまったという印象を与える。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年01月09日 | Permalink

First 10 Years of iPhone: How It Has Changed Our World

Steve Jobs at MACWORLD 2007 Keynote (C)Nobuyuki Hayashi

(C)Nobuyuki Hayashi

The Legendary Intro

10 years ago from now, Steve Jobs introduced the original iPhone.
I was luckily covering the event onsite. It was an unfortunate year for many of the other consumer electronics journalists who have chosen to attend Consumer Electronics Show; as one US News reporter described it on a TV report: ‘the biggest news of CES 2007 was from a company that didn’t even have a booth.’

At the stage of MACWORLD keynote Steve Jobs declared that “Apple reinvents the phone.” In a few years, the world learns it had not just reinvented the phones but the whole digital eco-system for that matter. Within five years, it was so natural for Apple to become the world’s most valued company.
On January 25, 2007, right after iPhone's introduction, I wrote a series of article (in Japanese) titled “iPhone is the first tree that would start a new forest.’ I was right. But I couldn’t imagine it would have been forests this big.
A decade has past since the legendary intro. So much of what we have been taking for granted today wasn’t the way it was in 2006. So let me summarise it from my own perspective.

The Obvious

First there are some obvious changes.
If it were not for the iPhone,
- there hasn’t been Angry Birds, Puzzle & Dragon, Instagram, Evernote, Line or WhatsApp and 2 million more Apps on the App Store
- Many companies that we hear often today like Uber, Snapchat, Rovi wouldn’t have existed
- Many business around the popular apps (such as Angry Bird the movie or LINE sticker store, or the LINE character retail shops) wouldn’t have existed
- emoji hadn’t become this popular
- programming with Objective-C nor Swift had become this popular
- there might have been Android but it may not have been as good as how it looks today instead it might have been a Windows Mobile like device operated with built-in keyboards and stylus

Thanks to the App economy, there are Apps to do almost anything. Below you will see an installation from “NOSIGNER: REASON BEHIND FORMS” exhibition which shows how much tools have been integrated into iPhone; NOSIGNER is a Japanese design firm.


The above list can go on and on. But here on my blog, I would like to focus more on the fundamental changes.

The Divide

Before iPhone came along many other people were worried about ‘digital divide.’ After Internet became popular with Windows 95 and iMac, the world was divided in two: those who have & can operate a PC (or Mac) and search the Internet and those who don’t. By the time, iPad came out in 2010, I have realised that we are no longer hearing that term. Perhaps, in this area, the more affordable Android devices made a bigger contribution; but cost to access to Internet has dramatically decreased thanks to the smartphones. Before smartphones, we had to buy a PC and a router, install DSL or fibre optics and sign up for an ISP. But smartphones made it simple. Even for the rather expensive iPhones, the ‘cost of owning Internet access’ has dramatically decreased compared to PC-era.
The Internet population is growing at tens of millions per year; and most of them start their life on the Internet on smartphones.

Speaking of the ‘digital devide’ after 2010, I started to see reverse phenomenon. Of course, those white colour workers who had the Internet before iPhone also make some progress with iPhone/iPad such as having better access to the corporate network from outside, etc.
But bigger leaps were happening in industries which didn’t take advantage of PC revolution such as people in Primary Industry (farming, fishing, forestry, etc.), tourism, education, fashion, medical field, etc., etc.


(c)Nobuyuki Hayashi


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年01月08日 | Permalink

みらいの夏ギフトでテクノロジーのワクワクをもう1度

2016年8月9日(火)まで、伊勢丹新宿の本館とMENS館で展開している「 #みらいの夏ギフト 」で私が関わった展示について、背景にある考えなどをまとめさせてもらいました:

今回、幸運にも伊勢丹の展示場の中でも最も重要な伊勢丹新宿本館1階「ザ・ステージ」の企画、キュレーション、ディレクションそして束の間ながら展示説明員の体験もさせていただき、人に喜んでもらうことがどれだけ楽しいか、そして素晴らしいかを味あわせてもらうこともできた。

展示は、今年が3年目となる「みらいの夏ギフト」という伊勢丹 x ifs未来研究所(私も外部研究員として所属)の一環だ。
もともとは伊勢丹Re-Styleの中北さんの提案から始まった「みらいの夏ギフト」の企画。ifs未来研究所の川島蓉子所長から「Nobiさんが面白いと思う」と抜擢してもらい、10incの柿木原政広さんやコピーライターとしてあまりにも有名な国井美果さんらとご一緒という夢のようなチームで取り組んできた。
 3回目となる今年はこの「夏ギフト」を本館とMENS館を使った全館企画に昇格させ、伊勢丹の顔となる「ザ・ステージ」では「デジタル製品」を販売したい、という要望が伊勢丹側から出た。
 「デジタル」ということで、すぐに私に白羽の矢が立ったが、正直にいうと伊勢丹の1階にいわゆる「ガジェット売り場」になるという絵はどうにも許せなかった。

 「ガジェット」というと、「そういう製品が好きな人が(主に男性)、『便利』を言い訳に、自分の物欲を満たすために買いにいくもの」というイメージが強い。
 販売方法も、延々とつづく蛍光灯の下に、「ウェアラブル系」や「カメラ系」といった大雑把なくくりにむりやりまとめられた文字がびっちり書かれた似たサイズの箱が延々と並び、そこに書かれた文字やチラシを比較しながら買い物するというイメージがして、およそ「ステキ」と思える要素がない。
 二子玉川の「蔦屋家電」は、確かにちゃんとキュレーションした商品を素敵な佇まいで販売はしているが、何かその先をいける販売方法はないものだろうか。

 自分の中でいくつかルールを決めた。
 どんな商品も「便利」といった途端に色気も魅力も失ってしまう。
 わざわざ無駄に「不便」を強いる商品などめったにないわけだし「便利」という言葉を使ったら負けだと思った。
 
 だが、そうしたマイナスから脱する方法だけではまだ足りなくて、売り場を魅力にする何かもっと強いコンセプトが必要だと思った。
 伊勢丹の他のコーナーで売られる他の商品のように、商品がキラキラ光って魅力的に見えるようないいキーワード。
 そんな時に浮かんだのが「魔法」というキーワードだ。
 「十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない」というのはアーサーCクラークの有名な言葉だが、古代から人々がテクノロジーに惹かれ続けてきたのは「魔法」のような魅力があったからに他ならない。
 テクノロジーを「魔法」と表現する方法は、最近では落合陽一さんの著書「魔法の世紀」などもあり一般にもあらためて広がったが、その前に「iPad 2」のCMで「魔法のように」という言葉が使われたり、ITmediaのために行った「元素図鑑」をつくったセオドア・グレイのインタビューで「ハリー・ポッターの世界を目指した」という話を聞いてからは、私も2010年以降の講演では、しばしば「昭和の延長線の発想から抜け出すには、自分の仕事に魔法をかけたらどうなるかを想像してみることだ」と話をしてきた。

 この「魔法」というキーワードが決まってからは、話が早かった。
 まっさきに思いついた商品は日本では学研が発売する「Livescribe Echo」だ。
 私も2010年には、前身となる製品を「21世紀を感じさせる魔法のLiveScribeペン」としてブログで紹介している。


Livescribe Echoの展示


 このLivescribeペンの最新版は、Livescribe 3という製品で、これはスマートフォンを使いこなし、WiFiやBluetoothの設定も自在にこなす人たちには便利な製品だが、そうしたテクノロジーの難しさを感じさせず、純粋に魔法を楽しめるという理由から、あえて古い方のモデル「Livescribe Echo」を商品として選ばせてもらった。
 この選択には、こんな思いもある。テクノロジー市場では「常に最新の製品だけが正義」と思われがちだが、実はそんなことはないと伝えたかった。
 商品は私の想像を上回る形で、その期待に応えてくれた。実は個人的にはLivescribe EchoからLivescribe 3に乗り換えて、Echoはほとんど使わなくなっていたのだが、私が使うのをやめて以降、Livescribe Echoのソフトウェアが大幅に進化していて、以前に感じていた不満がほとんど解消されてしまっていたのだ。

 伊勢丹本館の1階といえば、女性客が中心。
 いらっしゃるお客さまがたにどうやったら商品の魅力を伝えられるか。
 このストーリーは伊勢丹の社員の方々が考えてきてくれて、帰宅してから夫婦で、料理のレシピや子供に聞かせたい物語を描いてきてくれて、「この発想はなかった」と私はもちろん、学研の人をも驚かせていた。

 こんな調子で、個人的に「大きい魔法」と呼んでいる商品と、魅力が単機能に絞られる「小さい魔法」であわせて15製品ほどを選び、そこに元々、この企画で販売するという話が決まっていた製品もいくつか加わった。

 次なる問題は、この「魔法」をどのように展示をするか。
 ただ、ズラーっと商品をテーブルに並べただけでは「魔法」という言葉が持つ魅力がなかなか伝わらない。
 不安いっぱいの装飾ミーティングで、とにかく1つ1つの製品が持つ「魔法的な魅力」を精一杯、プレゼンテーションしたところ、今回の装飾をてがけたAtMaの鈴木さん、あゆみさんがそれに共鳴し、悪乗りしてくれてザ・ステージをカーテンで覆い「魔法のテント」にしてしまうというすごいアイディアを出してきてくれた。
 その絵を見て興奮した。「これができたら凄い!前代未聞のデジタル製品の販売方法になる」と頭の中が「!」マークで埋まった。「でも、さすがにこの装飾はお金がかかりすぎてムリだろう」と、門外漢の私でもすぐに思った。
 しかし、伊勢丹側からはなんと「Goサイン」が出た。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2016年08月05日 | Permalink

独占ニュース:フィル・シラーが語るApp Storeの3つの改善

フィル・シラー氏

今週に入り、突然、アップル社上級副社長のフィル・シラーが電話で独占インタビューに応じたい、という連絡を受けた。
アップルの東京オフィスで電話に出るとシラーは「来週のWWDCではかなり盛りだくさんの発表を用意しているので、これまでにない試みとしてWWDCの前週に、メディアを通して事前にいくつかの発表をすることに決めた」と言う。
「そうすることでWWDC参加者たちが、どのセッションを受講したらいいか、あらかじめ計画を立てられる」という目論見のようだ。

発表は主に3つ。いずれもApp Storeに関するものだ。

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まず1つ目は、App Storeの審査プロセスの迅速化。
これまでは約1週間かかっていたレビュー期間が、50%のアプリは24時間以内。90%のアプリが48時間以内に審査完了になる持続可能な体制を築いたという。実はこれは既に数週間前からそうなっているようだ。

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2つ目は、サブスクリプションモデルの全面解禁。
もともとは日本の携帯アプリビジネスの主流だった月額課金型モデル。日本では一時、数千億円規模の市場があったが、アップルは慎重で、最近になってようやくサブスクリプション型サービスを始めたものの、映像/音楽の配信サービスやニュース配信、クラウド型サービスなどジャンルを絞っての提供となっていた。
しかし、秋頃には、これが全面的に解禁され、どのアプリでも利用できるようになる。

さらにサブスクリプション課金においてのみではあるが、これまでのApp Storeの慣習であった70:30の利益分配も変更を行い、2年以上月額課金を継続しているユーザーの売り上げは85:15の比率で分配をするという。
継続して使いたくなる良質な改善を促す試みだ。月額課金開始の実績はルール改定前に遡って起算をする。つまり、新ルール実施直後から、85:15比率の恩恵を受ける開発者が出てくるようだ。
また、一つのアプリ内で複数のグレードのサービスを用意し、サービスグレードの上げ下げや、同じ価格帯の別サービス(例えば番組パッケージ)への切り替えなどの機能も用意する。
課金用の価格帯も200種類に増やす。
また国単位で別の価格設定も可能にする。

なお、アップルは顧客が、不要なアプリの月額課金を増やしすぎて、月々の支払いが増えすぎないように月額課金中のアプリを集中管理する画面を用意する。

[追記:アップル社が提供するサブスクリプションサービスは、月額課金だけに限らず、例えば3ヶ月ごとに課金などのモデルも用意される]

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3つ目は、検索広告だ。現在、App Storeでのアプリのダウンロードの2/3は、App Storeでの検索経由となっている。
そこで、Appleでは、検索結果の1つ目に開発者からの広告を表示するように仕様変更を行う。
検索広告は、Second Price Auction(2番目に高い入札額を選ぶ)という方式で価格設定を行い。その上でキーワード単位での独占は許さず、複数の入札があるキーワードに対しては、まずはアップル社が選んだ関連性の順番で順位付けしローテーション表示する(常に表示する広告は1件のみ)。
広告費はクリックした時のみに発生するが、クリックされない広告は関連度のランキングが下がるしくみになっている。
なお、ユーザーのプライバシーを重視するアップル社では、開発者に対して、広告の効果に対するレポートは出すが、ユーザーに関する情報は一切出さないとしている。

こちらのインタビューの詳細はITmediaのPC Userにおいて、ここに書いたこと以外も詳細にレポートする予定で記事の準備を進めてが、ITmediaのCMSのトラブルで掲載予定時間から40分が過ぎても記事が掲載されないため、急遽、こちらのブログに要約を書き起こした。

3D Touchの絡め方など詳細についてはITmedia PCUserの記事を参照してほしい。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2016年06月09日 | Permalink