COVID-19からのBuild Back Better

2020年春、桜の時期でも桜並木沿いの多くの店がシャッターをおろしていた

戻るべきはどの世界?


“Build Back Better”という言葉がある。
私は東日本大震災の直後に知った。
大きな自然災害で破壊された街の復興。
元の通りに戻さねばと考える人が多い。
でも、そうではなく「前よりも良い状態にする」のがBuild Back Betterだ。
災害への備えの点でbetterという意味で使われることが多い。

ただ、もう少し拡張して、そもそも問題を抱えていた街を、
カタストロフィーを1つのリセットボタンと考えて、もっと良い状態で再創造するという意味にも使えないだろうか。東日本大震災の多くの被災地も、震災前、既に経済の落ち込みや過疎化といった問題を抱え、先行きのない状態に陥っており、膨大な時間と労力をかけて未来のないままの街に戻すことは無意味だと多くの人が議論していた。

同じことは、今年に入ってから人類を襲った新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックに対しても言うことができる。

COVID-19が牙をむく前、世界では気候変動による大規模災害が大きな関心事で、世界の若者たちが対策の必要性を訴え立ち上がっていた。
各国の代表者たちも、重要性は認めたものの「すぐには実行できない」と気の長い目標を示していた。
だが、パンデミックで、世界中の大都市が、経済活動の自粛をしたことで、今、地球上の大気はここしばらくなかった水準で浄化されている。3月時点で、二酸化炭素の排出量が中国だけで2億トン(約25%)減少、4月時点でPM2.5の量がインドのニューデリーで60%、韓国のソウルで54%減になったという。ヴェネツィアの水もかつてない透明度を取り戻したと話題になっている。

ここで我々に突き付けられるのが次の問いだ:
「もし、ワクチンなどが開発され、COVID-19の流行が抑えられたら、我々は膨大なCO2を排出し、大気を汚しまくっていた経済活動に本当に戻って良いのか」

まだ査読中のものが多いが、大気汚染とCOVID-19の関連性を調査した論文が増えている。イタリアのボローニャ大学では、大気汚染の原因粒子にのってCOVID-19が拡散していた可能性を指摘している。一方、米ハーバード公衆衛生大学院(HSPH)の研究チームも大気汚染と感染致死率の関連性を指摘している。


そもそも昨今の感染症の多くは人間が自然を破壊し、不幸な動物たちの交わりが起きたことが原因というのが、COVID-19禍で大きな注目を集めた感染症映画「コンテイジョン」のラストシーンの示唆であり、アップル社のThink Differentキャンペーンにも登場した霊長類学者ジェーン・グドールの主張だ。

 この数ヶ月の経済的ダメージを考えると、今は緊急事態で「もはや環境のことなど考えている余裕もない」という人も少なくないだろう。しかし、そうやって元の活動に戻ってしまったら、そこから一体どうやって将来の「環境改善」に取り組むというのだろう。
こうしたことを踏まえ、我々はどのように経済活動を再開していくのか。

日本はイタリアに比べたら空気がきれいだし、我々には関係ない?では、日本人でなく、イタリア人にはなんと勧める?あなたたちは、これまで通りの経済活動に戻って空気を汚してください?


経済活動再開、その進路は?

COVID-19のパンデミックがもたらしたのは環境の変化だけではない。
日本の社会にも、もはや不可逆となりそうな変化をいくつももたらしている。
改めてパンデミック前後の世の中の変化を振り返ってみよう。

日本では常に東京一極集中が問題とされてきたが、変化をまっさきに求められたのは東京などの大都市で、この後も地方都市から先に緊急事態宣言が緩和され、東京などの大都市だけつづく可能性が高い。

そんな東京。オリンピックでの交通混雑を解消するのに必要だと言われていたにも関わらず、なかなか広がらなかったテレワーク(リモートワーク)。これがCOVID-19による外出自粛で、一気に普及した。
テレワークで、大きな障壁となっていた印鑑の利用もIT担当相の失言が最後のひと押しとなり一気に進むことになった。

こうやって家で働くことが増えれば、自然と裁量労働制へのシフトが進む。
過労による自殺などが話題となり「働きかた改革」の重要性が訴えられていたが、政府が主導していた働き手のモチベーションを無視した就業時間だけで規定する雑な「働きかた改革」よりもよほど本質的な働きかた改革になる。
同時に女性にとって働きやすい仕事環境の整備にも追い風になるはずだ。

就労に関する問題といえば、都知事が公約しつつも、なかなか解決できずにいた東京の満員電車の問題も、COVID-19流行によるオフピーク通勤やテレワークで、いとも簡単に解消されてしまった。お勤めの方々は、これだけ長く平穏を味わった後で、本当にあの人を人とも思わぬ劣悪環境に戻ることができるのだろうか。

皆、どこかで答えはわかっているはずだ。
しかし、ネットで実際に経済活動を再開しようとしている人たちの声やアクションに目を向けてみると、必ずしもその方向性は合致していない。

我々の頭の中にある「仕事のイメージ」は、多くの問題をはらんだままの昨年までの仕事のやり方のイメージだ。
そもそも会社の組織構造であったり、収益源/ビジネスモデルであったり、想定している顧客であったり、収益目標であったりも、昨年のままである。

これまでずっと「一度、立ち止まって本当にこのままでいいのか話し合う必要がある」。
おそらくすべての業界に、そういう声をあげる人はいた。
今、人類は、まさにその立ち止まり、話し合うべき機会を半ば強制的に与えられている。

しかし、中国はそれをしないまま、経済活動の再開への一歩を踏み出し、その立場を利用して世界中で先行者利益の獲得をしようと営業活動を活性化している。
アメリカやヨーロッパも、それに続こうとしている。
と、なれば資本主義の競争からこぼれ落ちないためにも、早実、日本も同じ道をたどり始めるだろう。
そして人類は、再び昨年までの世界に戻っていく。次の大規模災害までの束の間…
おそらく数年間に3度くらい連続でこの規模の災害に見舞われないと、人類はその姿勢を正さないのではないかというあきらめをどこかで感じる。
しかし、それはなぜだろう?と問いただすと、より根源的な問題が見えてくる。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年05月03日 | Permalink

人とアンドロイドの創発は、どんな未来を斬り開くのか

オルタ3の指揮で演奏する国立音大の学生オーケストラ


東大 × 国立音大:人とアンドロイドによる創発の研究


「人間の指揮者に近づけようとはまったく考えていない。だからこそ、ここから新しい指揮芸術が生まれてくるかも知れない」
ー国立音楽大学の客員教授、板倉康明氏

東京大学と国立音楽大学は「オーケストラを用いたヒューマンアンドロイドによる演奏表現の共同研究」を始める。その発表会でのことばだ。

 池上高志教授(東大)と石黒浩教授(阪大)による、自発運動プログラムを組み込んだアンドロイド、「オルタ」。
 池上教授と作曲家の渋谷慶一郎氏は、2018年、日本科学未来館で、このオルタが歌を歌いながら指揮をするアンドロイド・オペラ「Scary Beauty」を披露した(公演は話題となり、オーストラリアのアデレードでも行われ、今月末にはドバイでも行われる)。

 「普通、歌手が指揮をすることはしない。このことからも、この研究が、クラシックの指揮者をトレースすることからハズレている研究だとわかる。」と渋谷氏。

 研究では、人とアンドロイドと言う異質なものが、異質性を保ったまま創発的に生み出す音楽を模索する。
 具体的に両者には、どのような差異があるのか?
 
コンサートマスターを務めた学生の北原さんが、鋭い指摘をしていた。
 「(人間の指揮者だと)盛り上がると、(テンポが)ちょっと速くなったりするけれど、オルタくんは正確。ヒトと機械の両方の良さ、悪さを知ることができた。」という。
これは機械が良い、人間が良い、という話ではなく、両者の性質の違いだ。
彼女は 「音楽的に盛り上がってきて、速くしたいなと思った時には人間の指揮者の方が良い」とも付け加えている。

「オルタ3」は、奏者50人くらいの表情を見分けられる目も備えており、今後は、実際に表情に合わせてテンポを変えることも研究のひとつとして検討しているのだとか。

 冒頭の板倉先生が、ヒトとアンドロイドの創発に関する別のエピソードを紹介してくれた。学生たちは、この発表会に向け3日間、練習をしていた。1日が終わる頃には疲れ果てくたくたになっている学生たち。その時、突如、オルタが明るい表情を見せながら指揮をした。それに釣られるように最高の演奏が飛び出したのだ、と言う。

 アンドロイドが意図して、そう演奏させたわけではないかも知れないが、板倉氏は弦楽器科の永峰 高志氏のこんな言葉を引用して、その意味を説明する。
 「指揮者の本来の役割は拍を出すことではない。そうではなく音楽の方向性などの内面性を引き出すこと。アンサンブル(つまり演奏を周囲と合わせること)は(指揮者の側ではなく)オーケストラで出すもの。」

 そう言う意味では、この演奏は意図の生むに関わらず「オルタ」が引き出した、と言えるのではないか。

 学生の北原さんもこう言っていた。

 「面白そうと思って参加したものの、初日は(指揮が)わかりづらかったし、(オルタの)見た目も怖かったので不安があった。ただ、やっていくうちに曲にもオルタくんにも愛着が湧いてきた。みんなで(オルタの指揮を)見て集中して合わせようとしているのを強く感じた。」


左から池上高志氏、渋谷慶一郎氏、北原さん、板倉康明氏、そして国立音大の今井慎太郎准教授


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月16日 | Permalink

日本が第2のホームグラウンド「永遠のソール・ライター展」

「タイトル『永遠のソール・ライター』の『永遠』に込めた意味は色々あるけれど、その一つはここ日本がソール・ライターのもう一つのホームグラウンド、という意味です」
1月9日から渋谷 東急Bunkamuraザ・ミュージアムで始まった2度目のソール・ライター展(-3/8まで)のオープニングレセプション、ソール・ライター財団マーギット・アープ理事長の言葉だ。



投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月14日 | Permalink

私はいかにしてテクノロジーを経てデザイン、アートに傾倒していったか…

30周年の節目


今年は私がテクノロジージャーナリストとして仕事を始めてから30年の節目の年だ。
で、この30年で、どんな実績が?
記憶力が悪い上に頭は次にやりたいことでいっぱいなので、とっさに思い出せない。

 デビューは、世界でも初めてかも知れないシェアウェアを紹介する連載。
これを企画、執筆し雑誌の目玉の1つにできていたと思う。

 その後、テクノロジー企業の創業者や研究者、ビジョナリー、思想家、デザイナー、経営者など、もはや会えなくなった人も含め錚々(そうそう)たる人たちを取材し、その言葉を文字に変えてきた。
 本も1ダースほど書いた。一部は台湾や韓国でも翻訳出版された。一通りの新聞、テレビ局に出演したし、英米仏韓西(+カタルーニャ)の雑誌、Web媒体やテレビ、ラジオにも出演した(人によってはこっちの方が実績だと思うかも知れない)。
 そういえば、日本でのiPhone発売開始前夜祭イベントで孫正義さんと一緒にMCをさせてもらったりなんていうこともあった。
 でも、いずれも過去は過去だ。

 そんな私が、ここ数年はすっかりテクノロジーよりもアートやデザイン、教育方面に傾注していることはTwitterやFacebookを見ている人ならご存知の通りだ(最近「アート/デザイン関係の方だと思っていました」と言う人も増え、喜ばしく思っている)。

 これは自分の中では極自然に起きた変化だが、不思議に思っている人も少なくない。
 改めて説明を試みると、自分の中でもいろいろと面白い発見があった。

 丁寧に書くとどうしても長くなってしまうので文字数の上限を決めて説明してみたい(ちゃんと伝えるには、長大なメッセージよりも角度を変えた短いメッセージを長期間にわたって何度も出し続ける方が効果的というのは、この30年の学びのひとつだ)。


「DNA Black List Printer」 by BCL。パンデミックを引き起こすウィルスのDNAの印刷を試み続けるDIY DNAプリンター(アート作品)。BCL=Georg Tremmel x 福原志保
「2018年のフランケンシュタイン バイオアートにみる芸術と科学と社会のいま」展より


未来をつくっていたのはテクノロジーではなくデザインかも知れない


 この5年ほどの間に、ひとつ大きな発見があった。自分にとっては、歳をとってから、自分の性的趣向が他の人と違っていたことに気がついたかのような衝撃の発見だった。

 それは、自分がそもそも興味を持っていたのは「テクノロジー」ではなく「未来」の方だった、ということだ。

 この「未来」という言葉には、「人類の種としての進化」だったり、「豊かな文化」といった視点も含められている。
 それだけに、新たなテクノロジーを不毛な楽しみの道具に変える傾向が強い日本のテクノロジー業界とは、ちょっと相性の悪さを感じていた。とはいえ、十数年の間は、そんなテクノロジー業界にどっぷりと浸かり、それまでの縁をないがしろにしていた。その時点ではテクノロジー業界こそが、自分が所属している唯一のコミュニティーになってしまっていたので周りに合わせて我慢し続けてきた。
 これは実は、それなりに大きなフラストレーションになっていた。

 「テクノロジー」そのものではなく、そこから生まれてくる「新しい広がり」が好きな私にとってはアップル製コンピューターは必然の選択肢だった。
 Apple IIの時代も、Macintoshの登場後も、さらにはiPhoneでスマートフォン時代、iPadでタブレット時代がやってきても、世の中の風景までも変えるような大きなトレンドの変化、世の中に対して「意味」を持つ変化は、常にアップル製品の周辺から生まれてきたように今でも思う。

 では、アップルの製品が技術的に、そこまで先進的かと言えば必ずしもそうではない。

 もっとも分かりやすい初代iPodを例に挙げよう。

 2001年の発表当時、初代iPodに際立って新しいテクノロジーが搭載されていたかというと、答えは「No」だと思う。
 では、iPodは何が凄かったかと言うと、製品のデザインだ。ねじ穴1つなく、背面は鏡面仕上げという見た目のデザインのそれも凄かった。だが、それ以上にポケットの中にすべての曲(1000曲)を入れて持ち歩けるというコンセプトがしっかりと練られていた。また、それが絵に描いた餅にならないように1000曲をストレスなく転送できる技術を戦略的に採用したり、1000曲の中から聞きたい曲を素早く選べるホイールを搭載したり…
 あらゆる利用シーンをしっかりと検証し、議論し、その上で快適になるまでブラシアップした爪痕を随所から感じ取ることができた。

 当時、他の会社からも同じ容量5GB、つまり1000曲を入れられる音楽プレーヤーも出ていたが、1000曲も転送するのは一晩がかりだったり、曲を選ぶのが大変過ぎて使い物にならない、とりあえずスペックを満たしただけの製品ばかりだった。

 このiPodが、やがてアップル社を大躍進させ、世界規模で人々の風習を変えたことを考えると、未来をつくっていたのは「テクノロジー」の側ではなく、「デザイン」の方なのだと強く思わざるをえない。

 もともとアップル社の製品が好きだったのはデザインに惹かれていた部分もあり、ジョニー・アイブはもちろん、深澤直人さんやIDEO社のデザイナー、さらにはIBM社のデザイン部門まで、デザイン関係の取材はかなり早い時期から始めていた。その背景もあり、2005ー2006年頃からは徐々にデザイン関係の仕事を増やしていった。

 デザイン思考という言葉が日本にも広がり始める前後だった。
 企業向けなどに行っていた講演でも、デザインこそが全社を貫く横串であり、戦略の中核になるはずだと、 三洋電機の事例などを挙げながら講演していたことを今でも思い出す。

 それと並行して、実はアートへの興味も強まり始める。


2001年。9/11テロの直後に発表された初代iPod。飛行機に乗るのは危険と言われておりNYのジャーナリスト達も取材に来なかった。


アートは問いを生み出す旅


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2020年01月06日 | Permalink

ジョブズ愛用腕時計の復刻

故スティーブ・ジョブズの誕生日に合わせるようにアップル社は同社の新本社の名前「Apple Park」を発表した。
そしてその少し前、日本のSEIKOとナノ・ユニバースは1982年に発表されたロングセラーの腕時計「セイコー・シャリオ」の復刻を発表。3月から本数限定での発売となる。

もう35年も前の時計ではあるが、実は若い人たちの目にも触れている可能性が高い。
なぜならウォルター・アイザックソンによる故スティーブ・ジョブズの評伝のハードカバー版の背表紙でジョブズが身につけているのがまさにこの時計だからだ。この時計はジョブズにとってかなりお気に入りだったようでGoogleで「Steve Jobs 1983」、「Steve Jobs 1984」といったキーワードで検索をすると、かなりの確率でこの時計を身につけている写真を見つけることができる。実際にジョブズの人生におけるターニングポイントでもある1984年1月の初代Macintoshの発表会の時に身につけていたのもこの時計だ。




この一時代を感じさせる腕時計が昨年、突然、脚光を浴びた。なんとジョブズの所有していた腕時計がオークションで販売されシンプルなクオーツウォッチとしては破格の$42,500(480万円)で落札されたのだ。

今となっては誰もジョブズがどのような経緯で、この腕時計を手に入れたのかはわからない。
ただ、「セイコーシャリオ」は海外で発売されていた時計ではないので、ジョブズは何かでこの時計を知って誰かに買ってきてもらったか(そこまでする可能性は低いだろう)、さもなければ日本を訪問した時に自分で購入したのだろう。
後者の可能性は極めて高い。なぜなら、1982〜3年頃と言えば、ジョブズはMacの開発に関係して日本を頻繁に訪れていた時期だからだ。

ジョブズは当時、日本の工場のオートメーションに大きな興味を示しており、ソニーやキヤノンそしてアルプス電子などを訪れている。アルプス電子では工場見学の後、工場の人たち向けに講演を行い、「第五世代コンピューター」についての質問なども受けたという(その辺りの話はぜひ、私がまとめた追悼ムック「スティ-ブ・ジョブズは何を遺したのか パソコンを生み、進化させ、葬った男」を参照してほしい。このムックの一番最後のページでジョブズの最後の作品として紹介したキャンパスがついに完成と思うと少し感慨深い)。

いずれにせよ1982-3年と言えばジョブズが日本を訪れ、この国への愛を深めていた時期であり、ジョブズが愛していた禅にも通じる日本のシンプリズムや精巧さを感じさせる「セイコーシャリオ」と出会い、自ら購入した可能性はかなり高い。


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今回の復刻は、この1982年の時計をかなり正確に甦らしたものだ。例えば「SEIKO」の文字の下に「QUARTZ」の文字が書かれているのも、いかにも1980年代っぽい。最近の時計では「QUARTZ」なのは当たり前すぎてわざわざ刻印しないからだ。ちなみにこのブログを書きながらWIkipediaで調べていたら1980年代はじめというのは、まさにQUARTZ時計が普及し始めた頃のようで、そういう意味では「最新テクノロジー大衆化の先取り」という意味でもジョブズっぽさに通じるところがあるのかもしれない。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2017年02月24日 | Permalink