Ustreamの衝撃、ふたたび...

最近、つくづく思うのが、この1、2年で、一気に未来がやってきた、ということ。
流線型の宙に浮く車も、ホームヘルパーのロボットも現実にはなっていないけれど、
iPhoneやTwitter、Ustreamが、人々の日常を大きく変え始めている。

社会のこれまでの常識や、人々の暮らしぶりが、大きく変わり始めているのだ。

今日、私はたまたま2つの日本Ustream史に残る事件を目の当たりにした。
私と一緒に、同じ放送から同じ放送へと、移っていった人々は歴史の生き証人になったんじゃないか。

もう、深夜2:30AMなので、かいつまんで紹介しよう。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2010年03月14日 | Permalink

不況でも成功し続けるアップルの「選択と集中」

Steve Jobs at Oscar

ブロガー、WAYNE SUTTON氏がアカデミー賞会場で撮影


いつもじっくり暖め過ぎて超大エントリーになりがち(=更新滞りがち)なので、今回は最近、気になっているニュースをつなぎ合わせただけのお気楽投稿。

映画を3D時代に突入させ、ものすごい観客動員数を稼いだ「AVATAR」を抑え、「ハートロッカー」が6冠を受賞したアカデミー賞だが、その授賞式に、このブログにも度々、登場するIT業界の名士の姿があったと言う。

ITジャーナリストのRobert X. Cringelyが「アカデミー賞授賞式」で一番の金持ちと評したその人とは、ディズニー社の最大の株主で、米Forbes社が米国の富豪トップ400でも紹介した、スティーブ・ジョブズ、その人だ。

ソース:
Apple 2.0: The richest man at the Oscars


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2010年03月11日 | Permalink

YouTube新サービスから考える「点と線」

iPadのインターフェースの凄さにもう1度、ビックリしようと思ってYouTubeを開いたら、別のことにビックリした。

iPadの動画の「再生バー」にCCと表示される。
ここでいうCCは「Creative Commons」ではなく、「Closed Caption(クローズドキャプション)」のこと。

最初はアップルがiPadをユニバーサルな製品と捉えて、CCをつけたのかと思っていたが、クリックしてみてビックリ。こんなメニューが表示された。


なんと、YouTubeが音声を認識して字幕に変換するサービスと、字幕をさらに翻訳して表示するサービスの実験を始めたようだ。
選んでみると、すぐさま、こんなダイアログが表示され、1分も経たないうちに字幕の表示が始まった。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2010年03月09日 | Permalink

Apple's Eye: 情報の洪水にMacで対処する


No. 260 - 情報の洪水にMacで対処する!
~あとで読む系サービスと Evernote を活用
[2010年3月5日更新]

■押し寄せる情報の洪水

我々が日々目に触れる情報の量は、指数関数的に増えている。昨年春の総務省の発表によれば、その情報の量は 10 年前に比べて 410 倍、12 年前に比べて637倍にもなるという。

パソコンの前に座っていることの多い人なら、その情報量はさらに大きなものになるだろう。

情報の洪水がどんなに増えても、それを処理するのに与えられている時間は1日=24時間。それを処理する人間の生理的能力にも、大きな変わりはない。だから、今、情報時間も指数関数的なペースで流れていっている。

かつては「人の噂も七十五日」と言われたが、Twitter では何か悪い噂が立っても、半日も経てば、皆、そのことを忘れている。もしかしたら、アナログ時代の七十五日は Twitter 上の半日に相当するのかも知れない。

もっとも、悪い噂がいつまでも立ちこめることもある。噂話が、ソーシャルブックマークなどの他メディアに飛び火している場合だ。

インターネットのサービスには、それぞれ固有のスピードがある。Twitter のスピードが、速度制限無しのアウトバーンの追い越しレーンだとしたら、ソーシャルブックマークのサイトは出口側のレーンで、Twitter と比べると、かなりゆっくり目に動く。ブログはさらに遅い。まるで一般道だ。

これからの時代、我々はこれら異なる速度の道を、うまくギアをシフトしながら使い分けることでこそ、現代にマッチしたスピードと安全性を手に入れることができる。

さてApple's Eye、今回テーマにしたのは、速すぎるレーンを流れてきた情報を後でじっくり参照できる場所に移す、クリッピングの技について。特に Evernote というサービスを中心に紹介したい。

つづきはMacTopiaから


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2010年03月05日 | Permalink

原口大臣ツイッター報道に感じた違和感

【コメントが表示されません】
すみません。新ブログのテストが不自由分で、皆さんにいただいたコメントが表示できていないようです。実は管理者登録している私の画面には表示されるのですが、他の方の画面には表示されないことがさきほどわかりました。早急に対処します。



先日、チリ地震の影響による津波が日本を襲った日曜日、原口総務大臣がTwitterで逐次情報を発信していた。

@kharaguchi 岩手県久慈港 3時9分 90cm 福島県小名浜港 3時9分 50cm
@kharaguchi テレビの映像などを見てご自身で避難しないでいいだろうと判断するのは止めてください。

といった具合だ。1つ書くのに30秒ほどかかるかかからないかの短信のメッセージだが、災害センターで、ただ伝わってくる情報をボーっと見聞きしているだけではいたたまれなく、Twitterの伝播力を使って即時伝えようとしたのだろう、という思いで見ていた。

私の方が原口大臣よりもフォロワーが多いということもあるので、これらの情報が、より多くの人に届くようにと、いくつかのつぶやきはRetweet(私のTwitterを購読している人向けの再配信)をさせていただいた。

この件に関して、今日、いくつかの新聞が記事を書いていたが、その内容を見てビックリした。
読売新聞は「原口総務相釈明…ツイッターで津波情報流してた」という見出しで記事を掲載していた。アメリカではAT&T社の電話回線が落ちたときにTwitterを使ってサポートを行った例もある(Cnet:AT&T uses Twitter during service outage)。

災害時に役立つ人を早く大勢の人に伝えたい。
この人間なら誰でも自然にやるであろう行為の何がイケナイのか。
日本は、不思議で複雑な国。どんな「当たり前」に見えることに対しても、「見栄」や「建前」や「大人の事情」という奴が直感では理解しがたい複雑な「常識」をつくっていることが多い。

 一体何が悪いのか?そう疑問に思いながら記事を読んでみたところ「なりすましの危険がある」Twitterで、こうした情報を流したことが悪いことで、原口氏はそのことについて釈明した、ということだった。確かに原口氏のTwitterアカウントは、Twitter社の認証も受けておらず、Twitter社の認証を受けているバラク・オバマ大統領のTwitterアカウントが、実はオバマ氏以外によって書かれていた、ということはある(おそらく鳩山由紀夫総理もそうだろう)。
 とはいえ、果たしてそこがツッコミどころなのか。
 それよりはむしろ、原口大臣のTwitterアカウントが本物であることを確認したり(記事はこの部分の仕事はしていた)、これからテレビやラジオへのアクセスがない状況(テレビやラジオが他の地方のニュースを流している状況)でも参照できるTwitterというサービスがあるとTwitterのサービスを教えてあげてこそ、人々の役に立つのではないか、という気もちょっとする。

 いずれにしても、この記事の見出しはないんじゃないかと思ってつぶやいたところ、かなり、大勢の人が賛同し、一瞬にして私のTwitter画面は、読売新聞の見出しに対する批判であふれかえった(最初はTwitterの反応は、こうまでも一方的なのかと驚くくらいに、同意の意見ばかりだったが、どうやら、あまりに大勢の人が同意しているところに、飛び込むのが多少怖かったのか、反対意見の人は、見つからないように反対意見を述べているケースも多かったようだ。その中には「なるほど」と思わせるものも多く、申し訳ないと思いつつも、RTさせてもらった)。


 ここで面白いのが、同じタイミングで記事を掲載していた朝日新聞は、同じ記事に対しても
自ら津波ツイッター速報、原口総務相「正確な情報優先」
と言う見出しで、記事の中身も新しいメディアを使って率先して情報を発信する大臣が、横並びで情報発信をする既存メディアに双方向型の情報発信を指南するような内容になっている。

 同じニュースでも書く人が変われば、ここまで印象が変わるのか、という好例であり、これこそ、まさにGoogle社のサービス、Google Newsが開発された、そもそもの理由であることを思い出した(元々は湾岸戦争中に、米メディアの偏った報道に危機感を感じた開発者が、同じニュースをさまざまな媒体で読み比べられるように開発した。Cnet: ついに明かされるGoogle Newsの秘密 )。

 なんだかんだいっても、新聞のニュースも書いているのは「人」であり、「人」が関わる以上、客観的な報道などというものはありえない。事実の羅列だけの小さな記事にしたって、その記事を載せるか、載せないかに主観が入る。

 ならば、いっそ新聞の記事も匿名にせずに、記名で書けば、もしかしたら「ああ、Twitter嫌いなのかな。あの人らしいや」といった具合に読み手の心理も働くんじゃないかと思うが、Twitterで@Snakehole教えてもらったところによると、日本の新聞で記名を採用しているのは毎日新聞だけだそうだ。

 日本では、何か問題があると、何か必要以上に揚げ足取りをされ、責め立てられることが多く、名前を出して堂々と意見を述べると、それによって攻撃をされることすらある。
 名前を隠して批判をする人間は、何でも無責任に言いたい放題、逃げ放題だが、堂々と意見を言う人間は、敬意を払われるどころか、「好きで名前をさらしているのだから、責められて当たり前」くらいに言われる。

 だが、そんなことでは世の中は先に進めない。例えば小さなイベントにしたってそうだ。
 ボランティアで「誰かこれ協力してくれる人いませんか?」というと、それまではふんぞりかえって参加していた人が、突然、みんな下を向いて視線をそらし始めたりすることがある。せっかくの会が、なんだか急にしらけてしまう。そんなことばかりが続くと、いずれイベントそのものもなりたたなくなってしまうのに、小さな協力をして、会を持続させようという意識がなかなか芽生えず、あくまでも自分は上げ膳据え膳が当たり前の傍観者、という印象を抱くことがままある。ヒドイ場合は、自分は手を挙げないで逃げておいた癖に、ボランティアに協力してくれた人のやり方については、しっかりと難癖を付ける、なんていうこともある。
 堂々と手をあげること、名乗りをあげると、なんだかそんな社会ができあがっている。

 このブログでは、以前にも匿名 vs 実名の議論をし、匿名側の言い分もわかったつもりだが、それでもやっぱり、例えば新聞などの大手メディアにいる人間くらいには、そうした卑怯な文化を広げないためにも、堂々と名乗りをあげる習慣を広めていって欲しい。
 それで、名前を出した人を攻撃するような輩がいたら、それを会社や周りのコミュニティーで守ってあげる。そうしてこそ、勇気ある報道もできるだろうし、人類としての前進もあるんじゃなかろうか。


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2010年03月03日 | Permalink