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Pinterestが教えてくれた「世界観をつくる」感触

Pinterestには実に様々な人生レッスンを教えてもらった。

今回はそのレッスンの中から世界観をつくっていく感触について触れてみたい。

 

サービスを使い始めた頃は「死ぬまでに行ってみたい場所」や「(ステキな)建物」など、明確に分かりやすいボードをつくって、それに当てはまる画像をピン留めして楽しんでいた。

インテリア、照明、好きな映画、海といったボードはいずれもこの時代につくったものだ。

 


海の写真ばかりを集めたボード

ただ、このジャンル別のボードには悩ましいところがある。

例えば「建物」のボードに建物写真をなんでも突っ込んでいると、やがてシンプルで美しい高層ビルと素朴な田舎の家とアヴァンギャルドな美術館建築が入り乱れステキさがパンチを失い始める。

 

 

Pinterestを続けるモチベーションを高めておくためにも、私は自分のボードの素敵な温度感を保とうとややストイックに臨むタイプなので、「これは違うな」と思うピンを後から削除したり、「夢の家」、「夢のホテル」など細分化したボードをつくり、数時間かけてそこに「建築」ボードのピンを仕分けして移していたりした(我ながら細かいと思う。Pinterestは、そこまでストイックにしないでも気軽に楽しめるサービスだが、私は最初に厳しく絞り込んでいくことの心地よさを発見してしまったので、ついストイックに使い続けてしまっている)。

 

これで問題解決?と思っていたのも束の間。

すぐに仕分け、分類という方法の限界にたどり着く。

「これはこっちにも分類できるし」とか「これはどこにも入らない」といった問題だ。

結局、「建築」ボード問題は今でも解決しきれておらず、問題を抱えたまま走っている状態だ。

 

このボード見直しのタイミングで、「これはどうにも分類のしようがない」という少しSFチックな写真ばかりを集めていたボードがあって、そこにJamiroquaiの歌の一節を取ってボードのタイトルにしてみた。

「Interplanetary good vibe zone」というボードだ。

この言葉から私が感じるイメージという、極めて漠然とした基準で、たまにぜんぜんSFチックでないものも含めて、次々とピンを放り込み始めたら、これがなんともいい感じになってきた(と自分では思っている)。

このボードの醸成をみて、私は「世界観づくり」というものの感触を得た気がした。


interplanetary good vibe zone

このボードを作って以来、私とPinterestとの関わりは次のステージに進んだ。

最初は同じような手法で、歌のタイトルや歌詞のフレーズでいくつかまったく異なる世界観をつくり始めた。

同じJamiroquaiからは「this corner of the earth (is like me in many ways)」というタイトルももらい、感性のバルブをmaxに開いて地球の偉大さを感じられそうな写真を集め、

大好きなプログレスバンド、Renaissanceからは「Bound to Infinity」という歌詞タイトルをもらって「無限の彼方につづくイメージ」を感じさせる写真を集めるボードをつくった。

一方で素敵な夏のバカンスを思わせる写真にはボサノヴァ風に「Beach Samba」にしようか悩みつつも、Sadeの歌から「I'm your you are mine like Paradise」とやや長いタイトルを付けた。

もともと、やや抽象的な概念でおぼろげな街並の写真を集めていたボードには、従来通りのカッコつけフレンチで「le mirage de villes(街の幻影)」というタイトルをつけつつ、ボードの解説部分に「all of the buildings, all of those cars were once just a dream in somebody's head 」というPeter Gabrielの「Mercy Street」の歌詞の一部を添えたことで世界観が定まる感触を得た。

 


le mirage des villes

疲れている時、美術館や神社仏閣を訪問したり映画を見ると、その非日常な世界観に身も心も浸すことで、心身ともにリフレッシュできることが多いが、Pinterestでは同じWebブラウザの画面上で、まったく異なる世界観を行き来できる。
これはアイテムをジャンル分けしてつくったPinterestボードでは、やや感じにくい感覚だと思う。

ということで、私はこう思い始めた。

Pinterestは世界観をつくる感覚を磨き、養うのに最強のツール。


さて、こんな思いが強まっていた時、金沢のbetaで講演をする機会を得た。
ここで上の考えはさらに強まった。

 

実は私と同じ日にDrawing and Manual社の映像作家、クリエイティブディレクター、菱川勢一さんが講演をやっていた。

菱川さんとは金沢の他のイベントで既に友達になっていたので講義を覗きにいった。

(金沢には、いつも素敵な人を呼び寄せ、出会わせる素敵な磁力が備わっている。ここで、どれほど多くの素敵な人々と知り合い深い縁をもつことになったことか!)

 

東京では滅多に講演をしない菱川さんが、金沢だからとあえて、行なっている映像づくりの講演は面白く、引き込まれる内容だったが、その講演の中にPinterestの話が登場した。

菱川さんがPinterestにつくっている「FOUR」というボードの話しだ。

こちらのボードには、いくつか私のボードからrepinされた写真もあり、「一体、FOURとはどういう意味だろう」と常々、気になっていたがその謎が氷解した。

 

"FOUR" by Seiichi Hishikawa


実はこのボードは、菱川さんがメルセデス社が菱川さんに頼んでいるWeb上のCM映像の世界観づくりに使っていた共有のイメージボードだったのだ。

菱川さんとクライアントのメルセデスの方の2人だけがピンを投稿できるようになっており、「女性はこんなのイメージどう?」、「撮影の場所はこんなところをイメージしているんですけれど」みたいなやりとりが言葉を一切交わさずに投稿された写真とそこについた「Like!(ハートマーク)」だけで行なわれていた。

 

菱川さんはこの後、NHK大河ドラマ「八重の桜」のオープニングタイトルバッグの世界観づくりもNHKディレクターの加藤拓さんの2人でPinterestを使って、nonverbal(言葉を使わないやりとり)で行なっている。

 

私も1990年から「言葉」の仕事をし、Twitterでも20万人強のフォロワーと常に言葉のやりとりをしている。だが、言葉で交わした気持ちが本当にちゃんと相手と共有できていることは悲しくなるほど少ない。

何かのツイートに対して「あ、その気持ちすっごくわかる」と言って共感してもらい、その場では盛りあがった人が、実は言葉の向こう側にまったく別の絵を見ていて、たまたま言葉で交流できる最大公約数の範囲が重なっていただけ、というのはよくあること。

言葉が中心の今のインターネットの交流は、それにも関わらず「言葉」だけに過剰に偏り過ぎている。

現実の世界では、相手の目を見たり、語調や言葉のよどみ、会話の間合いの変化を感じてヒートアップすることもあれば、距離を置くこともあり、本当の人間のコミュニケーションというものは1〜2回の文字の投げ合いだけでできるものではない

Pinterestの写真も1つや2つでは心がつながることがないが、その写真が集まり世界観を形成した時、人と人の心が言葉の壁を超えてつながることが多い。

私はPinterestを通して世界中に友達をつくった。

日本でも先日、講演を頼んだ江原理恵さんをはじめ何人かと親しくなったが、海外でもアメリカから北欧、イタリア、スペインなど数えきれないほどの友人が出来た(ちなみに相互フォローに至った友人の多くが日本好きで、日本の非常に洗練されたデザインの写真をよくあげているあたりに誇りを感じることが多い)。

そして、この言葉を交わさない交流でできた友達には、言葉で親しくなった人とは違う阿吽の呼吸のようなものを感じ、特別な存在として扱っている。
(ちなみに何人かとはFacebook上でも友達となり言葉の交流も行なっている)。

 

これまでのインターネットは言葉でコミュニケーションをする場だった。

しかし、本当の知性と創造性は左脳的な活動と右脳的な活動の総合バランスの良さでこそ成り立つはず
(ここで最近の研究で左脳、右脳の役割分担は間違いとわかったとか無粋なツッコミは止めて欲しい。そのニュースは知っているが、この言葉の向こう側にある概念を短い文章で伝えるために、あえて大勢が共通認識として持っているこの言葉を「表現」として使わせてもらったまでだ)。

 

これからのインターネットでは、このPinterestのようなnonverbalな価値観の共有が鍵になって欲しいと切に思っている。

 

関連ブログ記事: nobi.com: Pinterestが教えてくれたSteve Jobs「1000のNo」の感覚


投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2013年12月08日 | Permalink