変わりゆく自由ケ丘
「樓蘭」が38年の歴史に幕を閉じた。
自由ケ丘駅前、ロータリーの女神像のすぐ後から
大きな看板を覗かせていた大きな中華料理店だ。
閉店は知っていたし、最後に行われた「感謝の宴」にも出席したが、
シャッターの降りた同店を見てあらためて感慨にふけった
自由ケ丘も大きく変わった
(在りし日の「樓蘭」)
1994年、日本に帰ってきて、まず驚かされたのは自由ケ丘の街並みの変貌ぶりだった。
日本を出る前に既にマリクレール通りはできていたけれど、
「オシャレ」とはかけ離れたイメージの街だったのに...
いったい、いつからこんなことになったのやら?
さて、「樓蘭」と言えば、昔は帝国ホテルの中華(たぶん、今ある店とは違う)と同じ人が
主任シェフを勤めるなどしてそれなりに評価が高かったし、38年前の創というと、もたら日本の高級中華のハシリだったのかもしれない。
常連も多いレストランだった。
後するファイブ・スポットの関係で音楽業界の方(特にジャズメン)も多かった
(ハワイアンの方々も多かった)
ま多摩川グラウンドに近いためか(あるいはOーNの家に近いためか)
(野球の)巨人軍の関係者もよく利用していた。
野球が好きだった子供の頃の私は、
川上さん、長嶋さん、王さん、高田さんのサインもすべてここでもらった。
当時の「樓蘭」の地下と言えば「ファイブ・スポット」
ジャズ評論家の「いソノてルヲ」氏がプロデュースした場所で
多くの日本人ジャズプレーヤーを生み出した聖域の1つだった。
私も小学生の時分に、2〜3度忍び込んだことがある。
今、Googleで検索していたら、初期の渡辺香津美氏もここで活躍したと知り驚いた。
そう考えると、自由ケ丘は昔も最先端の街だったのかも知れない。
でも、最先端の定義は常に変わっている。
もしかしたら、今の自由ケ丘も数年後には「ジェネレーション Y」の街へと
変貌を遂げるのかも知れない
P.S. ちなみに「樓蘭」の前身は映画館だったそうだ。
最近、江戸時代の古地図がブームのようだが、
今から40年前の自由ケ丘にも心をひかれる
(「樓蘭」閉店前の「感謝の宴」で熱演するジャズクラリネットの世界的奏者、北村英治氏。他にも元マヒナスターズの方など大勢が熱演。食と音楽と思い出の共演でした)