facebook雑感PART2:mixiはfacebookになれたか!?
一度、書きかけの状態で掲載し、その後、夜中にしあげた前の記事が、あまりに長くなったので、雑感を2つに分けることにした。
こちら(PART II)はAPI公開について。

今日の記者会見を聞いていて、1つハっと思ったのは、facebookも、日本の多くのSNSと、同じ頃、同じステップを歩んでいたのだ、ということ(つまり、他のSNSも、発想を変えれば、今のfacebookになりえたかもしれない、ということ)。
Zuckerbergが、2004〜2005年頃のfacebookは、ユーザーの要望にあわせて、いろいろな機能を追加していた、と言う。
2004年頃と言えば、ちょうど日本でも、mixiとGREEが、競うように新機能を搭載していた頃だ。
mixiが何か新機能を搭載すると、その翌週くらいにGREEが同じ機能を追加したり、GREEのすぐ後につづいてmixiが同様の機能を追加したりして、「どっちが、どっちを真似ている」なんていうことが話題になった。
ここで他の多くのSNSは、毎回、何か機能を追加しようとする度に、それに大量の開発時間/資源をつぎ込んで、ハードコーディングしていったのに対して、facebookは、新機能をプラグインのように簡単に追加できるようにアーキテクチャーを見直した。
このアーキテクチャー変更で、自身でも新機能が追加しやすくなったが、さらにそうしたアプリケーションを開発するAPIを公開したことで、他社によるアプリケーションも爆発的に増えた、というのがこの1年の大躍進の勝因だったといえるだろう。
前の記事でも書いたように、友達をペットで売買するような遊びのアプリケーションもあれば、社会活動を支援するまじめなアプリケーションもある。
プロフィールの飾りとして活用できるアプリケーションもあれば、他のネットワークの機能を取り込むためのものもある(例えばTwitterやflickrやYouTubeやFriendFeed)。
今日、facebookのアプリケーションは2万種類あり、1日140個のペースで増え続けているという。facebook利用者の95%が少なくとも1種類のアプリケーションを追加しているという。
こうしたアプリケーションが広まりやすいところに期待してfacebook economyなんていう言葉も誕生した(果たして、それに実態があるか、どうかは議論の的だが)。
「たられば」の話をするのは不毛だが、同じ頃、ほぼ同じ位置にいた日本のSNSにだって、十分、同じ革命を起こしているチャンスはあったと思うと少し悔しい思いがこみ上げてきた。
ここから先は、この不毛な話を掘り下げてしまう。
こちら(PART II)はAPI公開について。

今日の記者会見を聞いていて、1つハっと思ったのは、facebookも、日本の多くのSNSと、同じ頃、同じステップを歩んでいたのだ、ということ(つまり、他のSNSも、発想を変えれば、今のfacebookになりえたかもしれない、ということ)。
Zuckerbergが、2004〜2005年頃のfacebookは、ユーザーの要望にあわせて、いろいろな機能を追加していた、と言う。
2004年頃と言えば、ちょうど日本でも、mixiとGREEが、競うように新機能を搭載していた頃だ。
mixiが何か新機能を搭載すると、その翌週くらいにGREEが同じ機能を追加したり、GREEのすぐ後につづいてmixiが同様の機能を追加したりして、「どっちが、どっちを真似ている」なんていうことが話題になった。
ここで他の多くのSNSは、毎回、何か機能を追加しようとする度に、それに大量の開発時間/資源をつぎ込んで、ハードコーディングしていったのに対して、facebookは、新機能をプラグインのように簡単に追加できるようにアーキテクチャーを見直した。
このアーキテクチャー変更で、自身でも新機能が追加しやすくなったが、さらにそうしたアプリケーションを開発するAPIを公開したことで、他社によるアプリケーションも爆発的に増えた、というのがこの1年の大躍進の勝因だったといえるだろう。
前の記事でも書いたように、友達をペットで売買するような遊びのアプリケーションもあれば、社会活動を支援するまじめなアプリケーションもある。
プロフィールの飾りとして活用できるアプリケーションもあれば、他のネットワークの機能を取り込むためのものもある(例えばTwitterやflickrやYouTubeやFriendFeed)。
今日、facebookのアプリケーションは2万種類あり、1日140個のペースで増え続けているという。facebook利用者の95%が少なくとも1種類のアプリケーションを追加しているという。
こうしたアプリケーションが広まりやすいところに期待してfacebook economyなんていう言葉も誕生した(果たして、それに実態があるか、どうかは議論の的だが)。
「たられば」の話をするのは不毛だが、同じ頃、ほぼ同じ位置にいた日本のSNSにだって、十分、同じ革命を起こしているチャンスはあったと思うと少し悔しい思いがこみ上げてきた。
ここから先は、この不毛な話を掘り下げてしまう。