道の景観を考える

*こちらのBLOG、nobilog(1)は、林 信行がかつて運用していたBLOGです。

*最近はほとんど更新していません

*現在はこちらのnobilog 2を使っています。



*なお、この記事、「道の景観を考える」へのトラックバック一覧はこちらを参照して下さい

ーーー



先週の日曜日、フットサルに誘われた。

数年ぶりの「運動」だった。

久々の運動にしては予想以上に身体が動いたが、スタミナがぜんぜん持たない...

翌日からとてつもない筋肉痛におそわれて、週末は家で食っちゃ寝の怠惰な週末を過ごした。



その怠惰な週末、東京MXテレビでいい番組をやっていた。

「街の景観を考える」という番組だ。



電線だらけの向こう側に凱旋門を合成した写真を見せて

電線がいかに興ざめするものかを訴えていた。


主要都市の電線地中化率のグラフをみせて、日本での割合が非常に低く、

中でも東京、さらにその中でも23区、そしてその中でも世田谷区の地中化率が低いことを訴えていた。



番組の関連ホームページはこちら

http://www.michi-keikan.com/



ここでは子供たちに残したい街の風景、残したくない街の風景を募集している。



fotologを始めて街の景色を撮ろうとしても、東京だと必ず電線が視界に飛び込んでくる。

これまでfotologにアップせずに捨ててきた写真の多くをそのまま「残したくない風景」に投稿できそうだ。



もっとも、東京での電線の地中化の大変さは並ではないだろう。

そうでなくても本数が多くて大変なのに、今ではさまざまな業者が電柱の権利を奪い合い

電線、電話線以外にもケーブルテレビから光ファイバーまであらゆるケーブルが張り巡らされているし、私自身それらの恩恵を受けている。

それはもちろん、短期的な利便性と狭い視野で安直に電柱を利用してきた事業者にも問題があるし、それを容認してきたマスコミにも問題があると思う(私もよく考えもせずにそれを後押しすらしていた気がして、今さらながら反省している)。



電線地中化は

バス電車共通カードや音楽のネット販売、失敗した事業者にやさしい社会などと同様に

未来の絶対確実な方向性の1つだ。



しかし、今の私にはこの事態が改善する兆しが見えていない。



投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2003年08月11日 | Permalink

  • Re: 道の景観を考える


    都市計画に関する本を読んだことがあるのですが、日本だと地中に埋める管(トンネル)の管轄省庁が違うため、まとめて埋めるのが難しいそうです。つまらない話なんですが・・・

    投稿者名 iida

  • Re: 道の景観を考える


    全く同感です。むかし散人が書いたものですが、ご参考までに。

    http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten_site/Education88.html

    「電柱がなくなれば犬がオシッコするのに困る」とは実際に
    私がさる人物から言われた言葉です。

    投稿者名 余丁町散人

  • Re: 道の景観を考える


    http://www.macdvd.jp/pmlog/images/1/orign/1007.jpg

    会社の近くの交差点。ひとつ隣の明治通りは3,4年前くらいに地中下になりましたが、こちらはまだみたいです。

    投稿者名 UK

  • Re: 道の景観を考える


    UKさん、東京での地中化ってどのあたりから進んでいるんでしょうね?

    余丁町散人さん、「犬のオシッコ」の話題はMXTVの番組でも出ました

    同番組では電線だけでなく

    ・ガードレール
    街の景観にあわないガードレール(三田の近く?のあたりには街の景観にあわせた木製のガードレールがあるようです)

    ・歩道橋
    ゴミ屋放置自転車の温床となっている歩道橋
    (おまけにスロープがあるのでベビーカーを持って登ったはいいが降りる側にはスロープがない)

    ・駅前の放置自転車
    盲人用の黄色いラインの上にも自転車がはみ出し歩行を妨害

    といった話題がとりあげられていました。
    今日、打ち合わせで出る時も、JRの駅では重い荷物を抱えた旅行者の人達が階段を前に苦戦していました。
    この駅、一応、スロープがあるにはあるのですが、ホームとかからかなり離れた場所に申し訳程度についているだけで、スロープがあることを示すサインもありません。
    まるで苦情対策でとりあえずつけたからこれでいいだろうという代物で、便利にしようとかそういう心意気があって用意されたものにはとても見えません。
    最近、いろいろな駅にエレベーターがつきはじめましたし、それをもってしてユニバーサルデザインなんて言っている人の話も聞きますが、実際に驚いてしまうようなエレベーターも少なくありません。

    先週も某駅でエレベーターを使ってみると、出口はホームの一番端のかなり狭いところで(工事中だったことも一因ですが、車いすはきっとギリギリ通れるくらい)、エレベーターから十メートルくらい歩いてようやく電車が止まる位置に...

    障害者のためのデザインと言うのだけでなく、成田エクスプレスだったかなんだったか、実はグリーン車に乗るとエスカレーターまで一番歩かなければならないという不条理な電車がありましたが、あれも困りものです。

    「とりあえずつくったから良し」という時代はもう終わりにして、「ちゃんと考えてつくる」時代になって欲しいものです

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    景観だけのハナシで言ったら、
    実は私電線のある風景好きなんですわ。
    帰国してから、結構電線のある風景に「日本」を感じて
    喜んで撮っています(笑)

    ガードレールなんかに関しては、地域の住民税などが基本になっているであろうから
    その地区の心意気なのかも?
    それはロンドンでも同じで、クリスマスのデコレートはカウンシルによってまちまちでした。
    Westminster boroughあたりでは、シンプルだけれどもとてもかわいいデコレーションをしていたのに対し、
    私が住んでいたような、ワーキングクラスの居住区では、そんなのなかったし。
    で、聞いてみたらココは貧乏な地区だからね というコトでした。
    まぁ、階級社会と同じには考えられませんが
    そういうこともあるんだなということで。

    >「とりあえずつくったから良し」という時代はもう終わりにして、「ちゃんと考えてつくる」時代になって欲しいものです

    これには、まったく同感ですね。

    投稿者名 yum

  • Re: 道の景観を考える


    そもそも、景観について善し悪しを決めるのは人それぞれの感性によるものだと思うのですが、どうでしょうか?
    たしかに放置自転車などは実際問題として歩行者の邪魔になっているという理由ならわかります。番組を観ていない以上nobiさんの書き込みを読んだだけの判断になりますが、空中架線が一体どのような「迷惑」になっているのか思い付きません。僕は電柱や架線の持つシルエットがとても好き(60年代ポップカルチュアのひとつのエッセンスだとも言われたりしていますが)なので、具体的なメリットを呈示されずに、ただ「目障りだから」といって地中化されてしまうと、下世話な考えですが「土建屋の利権争い?」と勘ぐってしまいます。
    具体的に不便・迷惑である事柄と、単に目障りだけどそれ以上のことはない、ということとは分け隔てて考えるべきだと思うのですが。

    投稿者名 でご

  • Re: 道の景観を考える


    車の車線を増やすような工事の時でもないと地中化できないかも知れませんね。

    以前、品川駅の山手線ホームで一番人が集まるところに喫煙コーナーがあってひどい煙でちょっと迷惑でした。

    エレベーターといえば大崎駅に前後にドアの付いたエレベータがあります。イギリスの地下鉄で体験してすごい合理的だと思っていたのですが、日本で初めて体験しました。

    歩道橋の由来は忘れてしまいましたが、すでに役目を終えたものがかなりあるとテレビで見ました。撤去運動もあるようです。

    投稿者名 UK

  • Re: 道の景観を考える


    >空中架線が一体どのような「迷惑」になっているのか思>い付きません

    一種の開き直りだと思うな。
    あれが醜いというのは普遍的な感覚ですよ。
    漱石や荷風も蛇蝎の如く嫌っていた。
    現代日本人は可哀想にもあの醜さになれてしまっている。

    日本のODAでパレスティナ市街の電線地中化プロジェクトを推進している。彼等にとっては美観はパンよりも大切なこ
    となんです。でもODA出す方の首都は電線だらけで、アラブ
    人すらぞっとするような醜くさ。

    これじゃ日本には誰も寄りつかない。

    (外人労働者流入の防止につながっていることは認めますが、人材を集める魅力的な都市じゃないですね、東京は)

    投稿者名 余丁町散人

  • Re: 道の景観を考える


    電線/空中架線の景観が好きという方に対しては、ちょっと配慮が足りなかったかも知れませんね

    fotologでも電線を被写体にしている写真がいくつかあって、実際、以前にそれを写していた方々と同様の議論になったことがありました。が、私自身がそれほど真剣に受け止めていなかったかも知れません。もしかしたら世代とかによっても感性が異なるのかも知れません。私もyukiさん、でごさんの立て続けの書き込みや以前の議論がなければ余丁町散人さんと同意見です

    とりあえず、今週は電線・空中架線をテーマにfotologging(写真撮影)をしてみて、写真がたまってきたところで
    http://fotolog.net/nobi
    に掲載してみようと思います

    ちなみに「問題」についてですが、例の番組では空中架線そのものよりは、電柱の問題を多くとりあげていました。

    最初に取り上げられたのは「通行の邪魔」という問題です。
    狭い歩道の電柱が歩行者、自転車、車イスやベビーカーを通りにくくしているという問題で、これについては私の家のすぐそばにまさにこの通りの場所があります人が1人通るのがやっとの歩道の真ん中にどうどうと電線が通っていて歩行者は絶対に1度、車道にでなければなりません。おまけにここの1〜2区画が通学路で、しかも、車がビュンビュン飛ばしてくるのだから信じられません。

    他にも電柱倒壊や断線による停電などをとりあげていました(というより、ただ話題にのぼっただけ)

    ただし、断線は地中化しても起こりえることだし
    狭い歩道でも街燈はあった方がいいだろうから、結局、街燈倒壊はあるのかもしれません

    私が電線が苦手なもう1つの理由は、私にはそれが無計画さの象徴のように見えるからかも知れません。

    今年、新居に引っ越してきてから光ファイバーとケーブルテビと合計2本電線を増やした上で言うのもなんなのですが、その際、調べてわかったのは、今のマンションのビルに来ている電線7〜8本のうち実は2〜3本はまったく未使用なものだということで、しかも、それを誰もかしこもまったく把握していなかったことに驚かされました。

    覚えている範囲で書くと1本は現在は使われなくなっている有線放送で、1本は使われなくなっているアンテナ線で、後者は向かいにマンションが建った時に電波の影になり受信障害になるおそれがあるからと、向かいのマンションからひかれてきたアンテナ線だそうで、実は昔はこれをさらにこのビルで近隣の住宅十数軒に分配していたそうです。でも、その後、このビルのアンテナを補修してからそれらの線は使わなくなっていて、これらのケーブルは何の役目も果たさずただ残がいとしてぶら下がっているのです。

    おそらくこれはうちだけのケースではなく、日本中にこうした使われなくなった電線の残がいが数え切れないほど多くぶらさがっていることでしょう。

    その一方では、光ファイバー事業者と有線放送事業者、ケーブルテレビ事業者が電柱の権利を巡って争っていて、電柱の上のスペースが足りなくなってきているなんていうことも聞きます。

    いずれは数本の光ファイバーがテレビ放送から電話、インターネット接続から有線放送まですべての用途に応えてくれるなら私はそちらの方がすっきりしていいような気がします。でも、これまでの日本的体質だとここでもまた管轄官庁の違いとかで、信号の棲み分けとかが生じてしまいそうで心配です...

    いずれにしても今週1週間は電線に注意しながらfotologgingしてみようと思います。でごさん(indigoworks@fotolog?)、余丁町散人さん、ネタが切れてきたと言っていたiidaさん、yukiさん、UKさん(fotologは未参加?)もいかがでしょう? ;-)

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    >あれが醜いというのは普遍的な感覚ですよ。
    まあ、少なくとも僕とyumさんの書き込みで、普遍的であるとは言い難いのではないでしょうか?
    僕もその1人ですが、探してみると意外とたくさんの人が電柱や架線の写真に魅力を感じて撮影している人は多いんですよ。もっとも、社会全体から見れば数としては微々たるものかもしれません。が、そういう電柱・空中架線に魅力を感じている人もいる、という大前提を無視して話を進めているあたりが納得行きません。もっとも、僕のような人種がいることを前提として話をすすめると平行線でしょうけれど。お互いの美意識だけを根拠に話しているだけで、エレベーターや放置自転車が持つ社会的障壁を含んでいませんからね、今のところ。これこそ、僕は開き直りを通り越して傲慢であると思いますが。
    漱石や荷風はあくまで現代の人物ではありませんから、純粋な比較対象には成り得ないでしょう。明治時代の新橋駅が発掘され、それを再現、保存するなら、今の都市風景も「21世紀初頭の東京」の風景として保存すべきです。

    投稿者名 でご

  • Re: 道の景観を考える


    と、書いているうちにnobiさんの書き込みが、、
    実は一年ほど前、企画は頓挫したものの、電柱を集めた写真のポータルサイトを作ろうかというネタを友人と話していました。
    たしかに生活の邪魔をしている電柱は地中化の対象にしてもよいと思いますが、だからといって今存在している架線をすべて地中にうめてしまう、というのもおかしいと思うのです(それこそ土建屋の利権を作るためだけの口実に思えます)。無駄、障壁の解消は理解できます。
    とりあえず僕もこの先一週間は電柱写真でfotologしてみようと思います。

    投稿者名 でご

  • Re: 道の景観を考える


    1週間毎日というわけには行かないかも知れませんが、私も今週は1週間怪しい人になりきって、自分なりに電柱/空中架線の美しさを見つけられるならそれを、そしてやはり電柱/空中架線はいやだと思うなら、なんでそれがいやかを写真で表すことに挑戦してみます

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    環境問題と景観は、別に考えるべきではないでしょうか?
    関係ありませんが、六本木に住んでいた友人が言っていたところによると、景観を損ねると言う理由で、そのマンションでは布団を干すことを禁止されていいたとか。
    布団を干すという行為と、その景観に疑問を持たない私などは、そんなところには住めないなぁと思いつつも、かなり笑わせてもらったものです。

    もちろん、これから地中に「クサイモノにフタをする」が如く電線を埋めようということになっても、それはそれで構いませんが、そのためにまた税金をとられるのは、私にしてみたら納得いきませんね。
    電線そのものの醜悪(個人的にはそう思っていませんが)のために、日本を卑下するのはちょっと短絡的すぎるのでは?
    ほかに、もっともっともっと考えなければならないことが、この国には(もちろん他の国でも)山積であると思っています。

    fotologにはすでにアップ済み。
    すんごいカッチョイイCDジャケのパクリちっくなヤツは、自分でもお気に入りです(笑)

    そもそも、私は「そんなに便利になってどーする?」と思っているクチなので(物理と化学の先生にそう言って笑い者にされたタメ、よけい意固地になっている)、不便なところを隠すとかフラットにするよりも、もっと人々が持ちつ持たれつ自然に助け合えれば、それでいいんじゃないかいなぁと思ったりして。
    (そういうイミで日本にいるとダメになるとは思う。何もかも便利なんだもん)

    投稿者名 yum

  • Re: 道の景観を考える


    確かにやたらと便利になるだけがいいことじゃないかもしれないけれど、自分には我慢できる不便さでも、人によっては(あるいは徹夜明けで疲れている自分や体調が悪い自分にとっては)深刻な不便さだったりすることがあると思うんですよね。電柱を避けてフラフラっと車道に出たら向こうから...とか。まあ、これまた景観とは別の話ですが

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    ここでの議論って、よく読み返すと、電柱/電線/空中架線が:
    1)景観的に美しいか否か
    2)弊害があるか否か
    3)問題があるとして、税金とかで地中化すべきか

    といったいくつかの枝葉に分かれていると思います。1については意見がわかれてしまい、今後、fotologを通して議論をしていく!?として
    2と3について、今、Googleをみていて関連情報をみつけたのでリンクを書いておきますね

    まず、一番、わかりやすくまとめてあったのが
    こちらの「シケ夫的主頁」さんの図書室(ページ上のリンクを使う)にある2000年度前期「基礎演習」レポート
    http://www.parkcity.ne.jp/~kaz-0828/

    ここ以外でも阪神淡路大震災で結構、問題が表面化したようで、Googleのキャッシュに残っていたすでになくなっていたページによればこの大地震の時に倒れた電柱が11289本で消防車や救助隊の行く手を阻んだそうです。テレビでもちょっと言っていたかも。ただフリップがあるでもなく、ほとんどは景観についての話題でした。

    もっとも、だからといってやはり地中化は簡単ではないですね。この「連合総研」というページの連載「視点」の第152回、「美しい町並みに向けて」によれば、電線地中化には空中架線の20倍のコストがかかるそうです。
    http://www.rengo-soken.or.jp/

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    >$BO"9gAm8&$N;kE@#1#5#2(B

    $B$$$$J,@O$G$9$M!#FI$s$G$J$+$C$?$G$9!#(B

    $BEEClCOCf2=$N%3%9%H$G$9$,!"FCJLEENO:D$N5/:D$rG'$a$k$3$H$G:b@/$NIiC4$r@8$8$5$;$J$$$G%?%s%9MB6b$r3hMQ$9$k%"%$%G%#%"$,$3$l"-(B

    http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten2002/shiten20021116.html

    $BEECl$HEE@~$,=9$$$H$$$&463P$OF|K\?M$K$O>/$J$$$H$N$4;XE&$G$9$,!"F|K\0J30$G$O$3$l$,=9$$$HG'e$G=EMW!#(B

    $B;uNs6:@5$HF1$8$+$J!#(B

    投稿者名 $BM>CzD.;6?M(B

  • Re: 道の景観を考える


    ごめんなさい。文字化けしてしまった。
    要は自分がどう感じるかも大切ですが、
    国際社会がどう見ているかも大切と言うこと。
    お金の問題なら工夫次第でやり方はあると思います。

    投稿者名 余丁町散人

  • Re: 道の景観を考える


    文字化け悔しいですよね。スミマセン...

    やはり、Safariの次のアップデートが出てMovableTypeが日本語完全対応になるまでは面倒でも一度、「Preview」をしてから「Post」しないとダメですね...

    今、上のテキストをTextEditにコピー&ペーストしてJeditで開いたところ一部だけ復元できました:

    連合総研の視点
    ...
    いい分析ですね。読んでなかったです。

    ...
    電柱地中化のコストですが、特別電力債の起債を認めることで財政の負担を生じさせないでタンス預金を活用するアイディアがこれ↓

    http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten2002/shiten20021116.html

    ... 電柱と電線が醜いという感覚は日本....以外ではこれが醜いと....歯列矯正と同じかな。 .....
    Posted by: 余丁町散人

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    国際社会に媚びる必要はないと思います。

    青二才な話で恐縮ですけど、以前予備校の授業であった小論文の問題文に、「東京オリンピックの時、新幹線から見える沿線付近一帯の住宅に干されている洗濯物を見苦しいからやめさせよう。ヨーロッパの街並には、そんな風景はない」という案があったという事実に対し論ずる、というものがありました。

    模範解答としては「ヨーロッパにそのような光景がないのは気候の違いから来るものであり、部屋の中で干すのが効率的だから。そのような異文化の慣習を気候も土地も違う所に適用するのは間違いである。」というものでした。

    もちろん、ヨーロッパといっても広いですし、模範解答も模範解答に過ぎないのですが、安易に国際社会に同調するのもどうかと思うのです。

    実際阪神淡路大震災を経験した人間から言わせてもらえれば、震災時における弊害として電柱・架線を槍玉にあげるのなら、都市そのものの構造を見直さなければならないでしょう。もちろん無駄とはいいませんが、付け焼き刃に過ぎません。

    また、混沌、雑然としている東京という都市に対し魅力を感じず、人が離れて行くという傾向もあるでしょう。しかし、アートやポップカルチュア、アンダーグラウンドという視点から見れば、東京だからこそ育みえたエッセンスが多々あります。極論ですが、60年代以降脈々と続き、そういった延長上に、例えば村上隆のような現代アーティスト達が生まれたとすれば、日本という国にとって、かけがえのない財産であるはずです。

    どうしてもお金や安全性の面へ眼がいってしまいがちですが、物事の多面性を考えるという上では、文化というキーワードの中に、これら一連のことを含めて見つめ直す必要があると思います。

    ああ、あとひとつ忘れてましたが、東京という都市を文化面から考える上で外せないのは押井守ですね。

    投稿者名 でご

  • Re: 道の景観を考える


    nobi さん、文字化け修復感謝です。気を付けますね。

    でごさんも、阪神大震災をご経験ですか。

    実は小生もひどい目にあって・・・。

    わが罹災記です↓

    http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten_site/Education81.html

    日本はまだまだ社会資本の充実に努めないといかんと思います。

    投稿者名 余丁町散人

  • Re: 道の景観を考える


    またどうでもいいコトで恐縮ですが、
    こうもり傘とトレンチコートの国エゲレスでは、布団も干します(^-^)。
    まぁ、勉強家の方々には、口を揃えて「イギリスはヨーロッパには含まれない」と言われるので、関係ないコトですが。

    ワタクシ的には、このトピックのタイトルから「景観」という点で、電線や電柱に「日本を感じる」=だからワタシはそれがスキ というコトが言いたかっただけであります。

    お金に関する問題に置いて私が述べたのは、これよりももっともっともっともっと(×100)考えなければならないことがあるだろうと言う意味であります。
    (そんなことより、自分の経済状況を心配した方がよいのですが>オレ)

    投稿者名 yum

  • Re: 道の景観を考える


    今、またしても長々と返事を書いていたら誤ってコマンド+R...すべて消えてしまった。ショックなので30分後! ;-)

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    あ、すみません。上のコメントを解説するとMacではコマンド+Rは「Reload」でリロードすると、このページのコメントは消えてしまうようです。やはり、一度、書いたことすべてやりなおしってテンション落ちますね(苦笑)

    以下、思い出しながら:
    番組を放送したスタッフもまさか、あれがきっかけでこんなに盛り上がっているとは想像していないでしょうね ;-)
    書き込んでいるのは3人ですが、(詳しくは調べていませんが)3桁台前半の人がこのコメントを読んでいるようです。

    電線の話に焦点が絞られてはいますが 「道の景観を考える」というトピックの役目はかなり果たせているのかも知れません。

    私もかなり勉強になり、考えさせられました。
    これまでそういう議論をしたことがあって、それをどこかで覚えていたにも関わらず、右脳のどこかで「電柱=万人にとって醜い」と断定して、つっぱねていたと思います。

    押井守さんというとパトレーバーとかの作者の方ですよね?何人かの人に勧められたことがあるのですが、実は読んでいません。それどころか著名なAKIRAとかにしても実はチラっと見たことがある程度です。今、思うと、もしかしたら、これらの作品によく出てくるチューブやら電線みたいなものがいっぱい描かれた未来都市像が潜在的に苦手だったのかもしれませんね。そこいらへんから無意識にこれらの作品を避けていたのかも...食わず嫌いという奴ですね。今度、機会をつくってぜひ最初の数巻だけでも読んでみようと思います。

    ただ、やはり(災害時だけでなく日常的な交通の上での)安全性などの問題や利便性、区画再整理のしやすさなどいろいろな点から地中化は進んでいるようですね(地中化推進派にはたえられないくらい遅いペースですが)。この地中化の動きがどんどん広がってきた時、もしかしたら でごさんが上の方で言っていた「今の都市風景も「21世紀初頭の東京」の風景として保存すべき」という問題が改めて健在化してくるのかも知れませんね。
    その場合、電線がもっとも相応しい景色ってどこの景色なんでしょうね?もしかしたら、でごさんのfotologで答えが見れるのかも知れないけれど(なんてプレッシャーを与えるつもりで言っているわけではありませんので、無理せずマイペースでfotologしましょう ;-) )、興味深いところです。

    もしかしたら、電柱の似合うエリアとか景観があるなら、そこだけそれを残すのもありかも知れません。やたらと壊して新しくするだけでなく同潤会アパートも残した方がいいし、電柱の似合うエリアも残した方がいいのかも知れません。その方がその町の個性にもなるかも知れません。

    yukiさんが、イギリスでも布団を干すといっていましたが、ロンドンでもいろいろな町ごとに個性があって、どこでも布団を干す、ということではないと思うんですよね。逆にイタリアとかスペインの田舎町なんかだとふとんを干している様子がそのまま町の景観になっている場合もあるし

    それにしても、例の番組の残したい景観、残したくない景観の募集はどれくらい盛り上がるんでしょうね

    今のところ関東地方で応募3件というのは番組の認知度の問題か関心の低さか

    今日はろくに写真を撮っていないので、雨が止んだら電線の写真でも撮りながら夜散歩してきます ;-)

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    nobiさんのfotologから飛んできました。

    実家(長野県松本市)に帰った時、
    市街地が妙にスッキリしていたので、よくよく見てみると、
    その道に電柱が1本もありませんでした。
    大規模な工事で全て地中に埋めてしまったらしいです
    (駅の周辺だけですが)。
    確かにとてもスッキリした印象を受けます。

    個人的には大友のアキラっぽい感じが好きなので(笑)、
    電柱も電線も眺めるのは好きです。
    ただ、写真を撮る時に被写体が
    空だったり高い建物だったりする時は、
    邪魔だなぁー!と思ってしまいます(わたし勝手すぎですね)。

    投稿者名 マミタン

  • Re: 道の景観を考える


    私の好きな永井荷風は「芥溜めの中に美を見いだす」という気持ちで『濹東綺譚』を書きました。筆舌に尽くせない悲惨な玉の井の街に「美』を見いだした。

    電線と電柱が乱立する東京の街に「美」を見いだすというのは永井荷風と同じ気持ちなのだと思います。でもこれはその現実が「悲惨である」との認識に立ってのことです。それを間違えてはいけない。

    人間誰でも、現実が変えられないと思うとその現実に迎合し適応します。またさらにそのおかしな現実の正当付けさえする。「いいところもあるじゃん」って言って。

    でも電線と電柱は決して変えられないと運命付けられたものではありません。その意志さえあれば街の景観は簡単にきれいになるのです。

    現代日本に於いて、決定的に不足するものがあるといえば、それは現実の醜さを正しく認識し、それを改善させようとする意志であると考えます。

    投稿者名 余丁町散人

  • Re: 道の景観を考える


    万人にとっての美という意味でおっしゃっているのであれば、私が万人の対象から外れているということにしてください。
    だたひとつだけ、最後に。
    先に申し上げた通り、それを「美しい!」と言っているのではなく、ただスキだと思えるのです。
    きれい(美しい)=スキでは決してありませんし
    きれい=正でもありません。

    私の場合だけかもしれませんが。
    結局私が、このハナシに諸手を挙げて賛同できないのは、
    景観をきれいにすればよいというクサイモノにフタ的なところです。
    いまさら地中に埋めれば、その生態系をかえることにもなるでしょう。
    事実、ロンドンは地上よりも地下の公害が深刻です。
    もちろん、景観だけのことではなくて住み易さ、生活のしやすさ、ヒトに(だけ)やさしい街という理想あっての皆さんの願いだということはよくわかります。
    地球に優しいとか人にやさしいというコトバは死ぬほど嫌いなのですが(笑)
    ただ、自分が”好き”だという「感覚」を間違っていると言われるのは、ヒジョーに萎えるので、ひとまずここからは、退散しまーす。アディオース!

    投稿者名 yum

  • Re: 道の景観を考える


    私も結局、電柱&電線の美しい/美しくない問題に関しては平行線になってしまいそうな気がしてきました。自分のblogなので、このまま退散ということはありませんが、最後に思いついたことをツラツラまとめるモードに入ります。

    1/3:indigoworksさんとかyukiさんのいくつかの写真のいくつかを見て「お、これはいいかも!」と思ったものはありました。でも、私の場合、それが電柱のさびた渋い味わいをうまく描けたからというのが近いような気がします。もしかしたら、(i)電柱とそこから四方に伸びる周囲十数メートル分の電線や(ii)広いスペースに規則正しくそびえ立つ電柱と電線を下から見上げる分には絵になるのかもと思い始めていますが、これも果たして電柱・電線そのものなのかそういう構図がなのかは正直わかりかねています。周囲もう少し広い範囲を含めて視線を下の方へずらせばずらした分だけやはり(私には)美しいとは言いがたいものに見えてきます。
    http://www.fotolog.net/nobi/?photo_id=619424
    でも、これはもちろん、すべて「私の問題」であり「私の好みの問題」でしょう。

    2/3:美しくないものでも好きになることがある感覚はわかります。あまり一般的においしいとは思えないものでも好きな人がいるのも確かでしょうし、一般的に不健全というイメージがあるものが見方次第でかっこよくみえたりする、という感覚もわかります。深夜の外出とかも好きだし、そういうのを個人で楽しむ分にはいいと思うし、理解もできるけれど。いい子ぶって言っていると思われるといやなのですが、子供とかを小さいうちからそういう環境にさらすべきかといわれるとちょっと考えてしまいます。確かにクサイモノにフタをしてきれいなところばかりみせるよりも、子供にも現実の汚い部分とかをたまに見せた方がたくましく生きていけるのかも知れないけれど...おそらく、きれいなものをたくさん見せたい、という欲求の方が強いと思います。まあ、節度の問題かもしれませんね。この話題で言うと、日本の電車の車内吊り広告、あれも学校に通う子供も乗る電車にああいう広告を吊るすのはどうかと思ってしまうことがあります。前に大学の時に、そういうものに日頃からさらされていることで、どう感覚が麻痺してくるかみたいなデーターを見たことがあるのでなおさらです。もっとも、こうしたデーターもいくらでも都合よく集めてこれるものかも知れませんが
    地球にやさしいとか人にやさしいを楯に、正論を振りかざすつもりはなく、そう捉えられたくないから、上の方でも(まあ、照れもあってなんですが)「徹夜明けで疲れている自分や体調が悪い自分にとっては」と自分中心的視点での論拠を提示したつもりだった。日本のいろんな問題を議論しあうと、よく結論として結局は教育問題にたどり着くけれど、教育って教室の中で学ぶことがすべてではないと思うんだよね。でも、教室から一歩外に出ると、世の中は、大人をターゲットにした広告だ、子供の前でも平気で赤信号を渡る大人達(俺もこれは反省すべき点が多いけれど)とかね。まだまだいろいろあるけれど、う〜ん、何がいいたいのかわからなくなったけれど、汚いものでも、俺はかっこいいと思っているしそれでいいんだ、とばかりも言っていられないと思う今日この頃

    3/3: 電柱と電線も、地下に埋めてフタをすればそれでいいとは思っていない。どちらかというと、そこに象徴されている無計画さとか、長期的展望のなさとかにあきれているんだと思う。
    あのwireがそのまま地下に潜ったらそれで万々歳というつもりはないし(もっとも、それだけでも電柱倒壊とか、歩道を狭めている問題は解決できると思うけれど)。ただ、これまであまり深く考えずに光ファイバーやケーブル、ADSLを応援してきたけれど、その度に、数年後には使えなくなるケーブルがあそこに1本づつ増えて、それが年間何万本、何十万本で増えていっちゃって、それでOKというのは、どうかと思う。そう考えるとイギリスはBTが全部のADSLを仕切っていて、工事も遅い、スピードも遅いし不便だけれど、なんかまだ秩序が保たれているのかもしれない。いや、もっといえば携帯電話業界。さすがにそろそろ変わりそうだけれど、これまでめちゃくちゃライフサイクルの短い、すぐに廃品になる携帯電話を大量に売ってきたわけで、電気屋の携帯電話売り場を見ると、なんか小学生の時だかに教科書とかで見た、みかんだかなんだかが取れ過ぎたんで(値段がさがらないように)大量に処分しているところの写真が頭に浮かんでくる。かなり電柱・電線からはずれてしまっているけれど、こういうのっていつまでも続けていいわけではない。日本だけが悪いというつもりはなくって、アメリカなんかもかなりこういうところがある。クサイモノにフタをしようというのではなく、ここでこのように議論してとりあげて、クサイモノをなくしていこうっていうのが本来の意図だったように思う。

    その点、これだけ議論はされたし、結構、大勢の人が読んでくれたようだし、この試みは成功だった!?

    うわー、また読み返すとかなり長くなってしまった(苦笑)

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    話を少々そらします。
    皆さん美観の問題を気にしているようですが、建築コストや安定性の観点はどうなのでしょうか。
    日本は地震や水害が多く、地面を掘ればどこでも温泉が出てしまうし、土地代も高く道路は全般的に細いです。
    素人考えですが、こんな状態で地中化を進めるのはかなり難しいように思えます。

    投稿者名 torico

  • Re: 道の景観を考える


    初めてコメントを書きます。坂下です。
    最近、欧州旅行(ドイツ)に言ってきたのですが。
    ドイツの都市の計画的な景観は、とても感動的でした。
    その後日本に帰国して、町の景観の醜悪さに、愕然としてしまいました。
    これは、外国に出て、そして帰ってきてはじめてわかることだと思いました。すこしづつでもいいから、日本も電線の地下敷設を考えるべきだと感じました。

    この話題は、あまり日本人は議論しませんねえ。
    たぶん町の景観という概念自体がないのではないでしょうか?
    たまにそういう話題をふっても、みんなあまり興味がないようですね。それが一番の問題なのかもしれません。

    電線が美しいといわれる方々は、よく漫画やアニメを引き合いにだして、「電柱も一つの文化である。」みたいなことをおっしゃりますが、それは、あくまでも、サブカル的な意見ではないのでしょうか?

    一般的な美観的観点(あくまでも一般的)に言えば、電線など、ないほうがいいとおもいます。

    投稿者名 sakasita

  • Re: 道の景観を考える


    sakashitaさん、

    はじめまして。
    この議論はnobilogでももっともコメントがつく話題に発展しました。その後、nobilogだけでなく、他のblogでも引用され話題となり、そこからさらにそのblogを引用して話題が広まっています(これがblogのおもしろいところですね)
    上のTrackBackというリンクを開いてみて下さい
    おそらく3つリンクが現れるので(文字化けしていますが)
    ぜひそれらのリンクもクリックして、他のblogやそのblogの読者の方のコメントもみてみるとおもしろいですよ
    (そこからさらにTrackBackで話題の広がりを見てみるのもおもしろいです)

    投稿者名 nobi

  • Re: 道の景観を考える


    だいぶ前の話題のようですが面白く読ませていただきました。

    美に関してはほとんど感情論ですよね。

    私は東京下町に生まれボストンに移りカナダやヨーロッパも旅しましたが、それぞれの景色をそれぞれに愛しています。
    ボストンの住宅地には電柱もケーブルもいっぱいありますが、そこを走っていくリスを見るのも好きですし。
    美観という観点から言うとモントリオールなど非常に『綺麗』ですが、じゃ、そのシンプルな美意識が東京下町にもあてはまるかというと、そんなに単純じゃないわけで。

    個人的には、醜いという感覚が一般的だとか普遍的だとか万人に共通だとか、好きだというのはあくまでサブカル的観点だとか、そういった決め付けに一番抵抗を覚えます。自分が好きだという感覚を何らかの形で決めつけられたり否定されるのは誰にとっても嫌なものだから。

    主な対立の原因はそういうもののいい方にもあるんじゃないですか。
    大半を私は、醜いと決め付けたい人は、好きな人の感性を認めなくないんだな、という方向性で読みました。

    街の美観運動は否定しません。
    地中化も現実的だったら賛成します。
    ただ個人の感性を『一般』という名のもとにいちいちジャッジしなくてもいいのじゃないかと。

    ドイツには『趣味のことで言い争うなかれ』という諺があると聞いたのですが、それに似た感じで。

    電柱それ自体の美醜は、美術的観点からいうと、結論が出るはずがないものです。

    投稿者名 DARKZONE

  • Re: 道の景観を考える


    コメントをPOSTしてみますがうまくいきません。再挑戦してみます。

    3月以来、話題が途切れてしまったのでしょうか。
    DARKZONEさんの意見で終止符を打たれたら残念です。

    貴方の考えは、あくまで個人の感性や美意識は他人から感化されるべきものではないという御意見のようですが、正論と言えるでしょう。

    しかし、美と醜の分別能力は人間のDNAに生まれた時点で既に書き込まれているのです。きれいな女性や美しい景色を見て醜いと言う人がいますか?。美しいものは美しい、醜いものは醜いと感じるのが人間の本能なのです。

    無神経に張り巡らされた電線類や乱立する電柱を見て醜いと感じない人がいたら、それは人間以外の動物に近い人類としか言いようがありません。

    投稿者名 tukure_fujii