アート作品になった私

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ものすごく遅い告知で恐縮だけれど、1月26日から2月26日まで、初台の「WAKO WORKS OF ART」で開催されている展覧会に、小さい頃の私が登場している。

同ギャラリーの15周年を祝って開催している展覧会の第3弾
「WAKO WORKS OF ART: 15 Years / Part III」だ。

Room 1では、
写真家、Wolfgang Tillmansの「paper drop」というのシリーズやChristopher Williams氏の写真、「Velosolex 2200 Nr. 2 」、Henk Vischの不思議な形のスカルプチャー作品、「Names (Nour), 2007」が展示されている。

Tillmansといえば、3年ほど前に、すぐ近くのオペラシティーアートギャラリーでも個展が開かれた写真家で、光の陰影が美しい作品。

Christopher Williams氏の写真は、電動機付き自転車、VéloSoleXが持つメカとしての美しさをドラマチックに描き出していた。

 Henk Vischのスカルプチャーは、なんだか心に焼き付けられてしまう。あの形を見て、なんだか宮崎駿的なものを感じてしまうのは私だけだろうか?Namesという名前ののっぺらぼうのような白い物体を見て「千と千尋の神隠し」の顔無しを思い出してしまった。
 そういえば、なんだか、すぐ近くのICCに展示されている岩井俊雄のマシュマロスコープにも似ている。

私が登場している作品はRoom 2にある。

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年02月23日 | Permalink

メールとコスト

この1週間、大量のメールを溜込んでしまった。

ずっと、移動やイベントが続き、1日でメールをチェックできるのは、朝起きたときに1回、日中2~3回、帰宅してから1回くらいで、とりあえず翌日の予定の返事を出すのが精一杯という日々。

 今、ようやく1週間分のメールの返事を書き終えた(と思う)。短時間で大量に処理したので、中には迷惑メールだと思って削除したところ、友人からのreplyがあったのを見て「大事なメール」だったと気づかされたものもある。
 もし、メールの返事がまだ届いていない方がいらしたら、お手数だが、もう1度、メールをして欲しい。

仕事を再開しなければならないが、頭痛と四十肩に悩まされ、なかなかエンジンがかからない。
仕事の前のウォーミングアップして前の記事を書いたが、
いざ、仕事に戻ると、中断したところまでの原稿を読み返すことができない(目の焦点をあわせつづけるのが疲れる)。
なので、メールに関する業務連絡をかねて、普段は1日1本以下のnobilog2だが、もう1本ブログ記事を書く。


 いろいろな場で語っているが、私にとっては既にメールは破綻したコミュニケーション手段だ。

 1日の受信数が少ない人は、今日の電子メールで十分機能することは知っている。'90年代は私もそうだった。だが、メインのメールアドレスは1996年頃に独自ドメインを取ってから使いつづけているもので、SPAMリストへの登録も多い。しかも、4文字のドメインの予想しやすいアドレスなので、宛先をランダム生成したと思われるメールも大量に送られてくる。
 最近では迷惑メールをすべて取り除いた後のメール数も相当の数に登る。

 メールの問題点は、重要なメールでも「さきほど頼んだ原稿の文字数は20文字x25行です」だけの1行メールでも、平等に画面上の1行を占有すること。そして、それによってメール1通を画面の外に追い出してしまっていること。
 それだけに、この多メール時代、マイクロソフト社がOutlookやEntourageで採用している3カラムビューは、1画面に多くのメール件名を表示できるという意味で画期的ではる。
 同じことをMacで実現するWideMailについては、こちらのブログをどうぞ:

DriftDiary 12:Leopard Tips: Mail.appを3カラムにしよう 

ただ、これも本質的な解決ではない。

hara museum, art cafe

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年02月22日 | Permalink

教えることは学ぶこと。与えないことは教えること。

Oohori Park

 今週は外村仁さんと一緒に九州大学で講演をして以降、今朝の3時くらいまで、非常に濃密な時間が続いた。1日できるメールチェックも3〜4回が限度で、帰るとホテルのベッドに倒れ込む日々。実は今もまだ目の焦点がなかなかあわないくらい疲れている。

 「iPhoneショック」や「スティーブ・ジョブズ〜偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡」といった本のおかげで、最近は講演や紙、音、映像媒体に執筆以外の形で露出することも増えた。

 おそれ多くも講演をする機会も増えた。
 これまでいくつか行ってきた講演を通して、つくづく思うのが教えることは、教わることでもある
ということ。それも非常に多層的に自分のためになるのだ。

 まず、教えるためには、ある程度、自分の考えをまとめ、資料を集め、構成を組み立てなければならないので、自分の手元に重要な情報の山ができあがる。これだけでも非常に重要な資産だ。

 もし、あなたに興味はあるけれど、苦手なトピックがあれば、社内勉強会などで、あえて講演者を買って出るのもいいかもしれない。

 先日、取材しCNet Japanに記事を書いたデブサミで、あまのりょー氏が、社内勉強会や社内ライトニングトークについて、話していたが、これは非常にいい試みだと思う。同氏の会社では、ちゃんと予算枠も用意しているということだが、予算だけでなく、社員が講演用の下調べをする時間なども認めてあげるといいかもしれない。
 
10人のエンジニアが見せた開発者コミュニケーションの最前線--「コミュニケーション 2.0」:ニュース - CNET Japan

Mt.Fuji?

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年02月22日 | Permalink

週明けは九州大学

Fukuoka Art Museum

(写真は福岡市美術館に置かれたパブリックアート作品ーー作品名と作者名調べてこないと...)

月から来月にかけて各種イベントや講演、セミナーの予定がいくつか入っています。
そのスタートを飾るのが、18日(月)の九州大学で外村さんと行う講演です。

九州大学の学生の方々が企画し、構想を練り、人を集めて行う講演で、それだけに責任重大。
「土日は休むぞ」宣言もこの週末は返上です(実は先週も少し...)。

以下、同学のQREPというプログラムに参加する学生の具島さん、池邉さん、江嵜さん、島松さん、藤川さんらが頑張ってつくってくれたイベントの案内から引用します:



「世界の風を感じて、ネットワークを広げよう !!」



経営コンサルタントである外村仁氏とITジャーナリストの林信行氏が九州大学で

・  世界マーケット vs 日本マーケット

・「日本はもはや凄くない」という世界認識の広がり

・「日本はやはり凄い」と言わせている日本人達

などのコンテンツで少し高い視点から眺める時代の変化、世界の変化から読み取れる現状、世界の中の日本についてお話します。


私もよく知らなかったのですが、QREP(九州大学・ロバートファン・アントレプナーシップ・プログラム)は、「学生に対する起業家精神(チャレンジ精神等)、国際性涵養等を目的とした教育プログラム」だそうで、検索をしてみると、これまでにもいろいろとおもしろい試みをしてきているようです。


学生向けのセッションに加え、社会人の部もあります。
段取りなど、私もちゃんと把握していない部分があるので、九州大学ビジネススクールの坂本さんのブログに振らせていただきます:

九大ビジネススクール生の大学発VB日記:緊急ITセミナー(ブログから始まった編)

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年02月16日 | Permalink

レビュー再考

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ここのところ、ブログをぜんぜん更新していないことからもわかるかもしれないが、仕事が遅れ睡眠不足の忙しい日々が続いている。
ただ、それは出版社や編集部も同じようで、先週書いたレビュー記事がようやくITmediaに掲載された。

賛否両論があるレビューになることはわかっていたので、
記事が掲載されたら即時、ブログでフォローしようと思っていたが、なかなか掲載されない。

なので、「今日も掲載されないだろう」と思っていた。
朝9時半のメールチェックが最後で、その後、夜中の12時過ぎまでインターネットに接続する機会がまったくなかった。夜中に帰宅して接続したら、いつのまにか記事が掲載されていて、案の定、話題になっていたので、本当は原稿を書かなければならないところ、ITmediaに迷惑をかけないように簡単にこちらでフォローをしておこうと思う。

MacBook Airから見える新しい風景


 このレビューを掲載したITmediaさんの勇気は賞賛したい。
 リード部分で「林信行氏がMacBook Airに対する思いを織り交ぜつつ、その思想的背景に迫る。」と書いた当たりに、編集者の間での「これをこのまま載せていいのか」というディスカッションがあったことが伺える。当たり前だろう。私も、載せられないなら載せられないで、かまわないとどこかで思っていた。

 この記事には、私自身の「レビュー不信」、「スペックシート(&ベンチマーク)文化不信」といった数年に及ぶいろいろな思いを反映したもので、レビューであってレビューではない。レビュー以外のメッセージもたくさん込めたつもりだ。

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最近、本を数冊書いたことで、やたらと丁寧に接してくださる人が大勢いる。
それはそれでうれしいが、「先生」などと呼ばれると、違和感を感じてしまう(*1)。
そして、あまのじゃくな私は逆に、何か正反対なイメージのcontroversialなことをやりたいと思ってしまう。そんな中、ITmediaさんにMacBook Airのレビューを頼まれた。
「めちゃくちゃ仕事が溜まっていて、受けられそうにないけれど、もし好きなように書かせてくれるなら」と言ってみたところOKをもらったので好きなように書かせてもらった。

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 この記事の原点は、5年ほど前、私がMACPOWERという雑誌に出していた企画に端を発するのだと思う。
 当時、同誌のアドバイザーで、企画会議にも参加していた私は「レビュー再考」という企画を出していた。この頃からパソコン雑誌は、昔成功した記事の焼き直しばかりになってしまっていて、ちょっとつまらなくなっていると思っていた。
 なので、何かそうではないもの。新しい文化を生み出すものや、自分たちが築いてきた土壌を、もう1度振り返る記事がやりたかった。

 昔のMACPOWERはBROWSE REVIEWとPOWER REVIEWという2つのレビュー記事で定評があったが、「レビュー再考」は、その目玉記事すらを、もう1度、考え直してみようと問題提起したいと企画したものだった。

 なぜかと言えば、ほとんどのレビュー記事は嘘ばかりだからだ。

 雑誌にしてもWebにしても、ブログにしても、そもそもレビュー記事というのは嘘だらけだと私は思っている。実際、自分でいくつものレビュー記事を書いていても、嘘だらけだと感じている部分が多かった。
 質が悪いのは、ベンチマークテストの結果など、数値化できるものを載せていると、いかにもそれが客観的で公平なレビューだと思わせてしまうことだ。
 しかし、数字は、その後の解釈次第でいくらでも操作ができてしまう。
 自分でも多くのレビュー記事を書き、その度に悩んできたこともあり、私はだんだんと「客観的」を装うレビューが、悪いことに思えてきた。
 例えばあるベンチマークテストで、機種Aの方が機種Bよりも20%速いという結果が出たとしても、「機種Aは、機種Bと比べて20%も速いという結果が出た」というか「これだけ価格差があるにも関わらず20%しか差が出なかった」と言うかで、製品の印象がぜんぜん違ってくる。

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 私は「この世の中には客観的なレビューは存在しない」と思っている。
 それだけに、下手に「客観風」を装うよりも、「おれはめちゃくちゃエコヒイキな人間で今から偏ったレビューを書く。そのかわり、他の誰も書いていないような視点も盛り込んでいるので、共鳴してくれた人だけ勝手に共鳴してくれ」という属人的なレビューの方が正直に思えてしまう。

 もし、「レビュー再考」の記事が実現していたら、私がその中で、理想のレビューの1つとしてあげようとしていたのが、多視点的レビューだ。
 つまり1つの製品を、視点の異なる大勢の人に触ってもらい、それぞれの視点で一言言ってしまうことだ。
 実際に一部のパソコン雑誌が、これを行っているが、これが素直な多視点的レビューになればいいが、予定調和的になるとおもしろくない。
 ただ、編集者という人間は、「この製品のレビュー、他の3人の方がいいこと書いているんで、〜〜さんは、ちょっと悪い点も指摘してくださいよ」といった具合に「調整」をしがちなものだ。
 こうなってしまうと、とたんに「嘘」が入ってしまい、おもしろくなくなる。
 
 実はこちらもITmediaで書かせてもらった記事だが、これは多視点的レビューを、思いっきり稚拙な方法で実現したものだ:
トップブロガーたちによる「新MacBook Pro」速攻&即興レビュー

 多視点的レビューの最終的な目的は、読者のうちの5%か10%くらいにヒットするかもしれない「視点」を届けることだ。
 あとは、その視点をどのような形でパッケージ化するかが問題で、客観的レビューを装ってパッケージ化する方法が一般的だろうが、上の記事で意見を求めた人は、圧倒的にMacユーザーが多くて、およそ客観性を演出できる状況ではなかった。
 そのため、ならばいっそ「お馬鹿な読み物」風に仕立てた方が読みやすいかな、と思ってあのような形にした。




投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年02月14日 | Permalink