あけましておめでとうございます(2009年)ーー熟成肉普及の年を目指して...
皆さん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
Google検索「あけましておめでとうございます」で上位だったのに気を良くして、
昨年の自分のブログを踏襲してみました。
さて、丑年のお正月、食いしん坊の筆者が思い浮かべるのは牛肉です。
昨年、宮崎の尾崎牧場でいただいたおいしい肉のことが忘れられません。
(サーロイン1、サーロイン2、ハンバーガー)
そんな丑年のお正月に思うのは、今年は日本でも熟成肉が流行って欲しい、ということ。
熟した果物がおいしいのと同様、肉もしばらく熟成(エージング)させた方が、やわらかくおいしくなってきます。
究極においしいのは、腐るか腐らないかのちょっと手前くらいということも聞きます。
普段はその場では食べさせてくれない尾崎牧場さん、宮崎のアップルユーザーグループの特別なコネで食べさせていただいたバーベキューの中でも、やはりおいしいのはよく熟成させたお肉でした。
実はつい最近、家の近所に「中勢以」さんという京都に本店を持つ熟成肉専門のお店が支店を構えました(下の写真)。店内に用意された特別な冷蔵庫や照明、そして素敵なカウンターだけでも訪問する価値があるお店です。同じKEYAKI GARDENにはイギリスのバースに本店を持つチーズ屋さんの「The Fine Cheese Co.」や上野万梨子さんの食のギャラリー「rizble」もあります。
さて、私が日本で熟成肉が受け入れられるようになって欲しい、と思っているのは、何も食いしん坊だからばかりではありません。
もしかしたら、そうなることが、日本の社会にとって、あるいは起業家にとってもいいんじゃないかと思うからです。
熟成肉が、どうして社会に?疑問に思う人もいるでしょう。
熟成肉を売る側には常にリスクが伴います。
買った相手がちゃんと食べごろを見計らってくれないと、
腐った肉を買わされてお腹を壊したと顧客にクレームをつけられる可能性もないとは言えないからです。
でも、買う側が熟成肉とはそういうものだと知った上で、
そのおいしさと価値を認めて、それなりの対価を支払う。
これって非常に正しくて真っ当なことだと思うのです。
最近、世の中はなんだか変な方向に進んで
「誰も教えてくれなかったから〜〜が悪い」、「注意書きがなかったから〜〜が悪い」
「責任を取って!」といった方向に進みつつあります。
でも、よく考えたら、エスカレーターの周りを縁取る黄色い線は
Crocsを履いている人だけでなく、誰にとっても危険があるからこそ黄色く縁取られているのです。
エレベーターのドアもしかり。
昔、ある尊敬する工業デザイナーの方とメールをやり取りしたときに、こんなことが書かれていました。
「景観は美しいけれど見るからに危険でもある観光地。海外だと結構、そのままの自然を残していることが多いけれど、日本だと『危険』、『気をつけろ』だのの看板が多過ぎて、せっかくの景観を台無しにしてしまっていることも多い。」
これって正しいことなんでしょうか。
確かに、何らかの注意は必要だと思いますが、その一方で看板がない場所でも、
個々人の側でも、自分の肌や頭で危険を察知する能力も放棄してはいけないんじゃないかと思います(酔っていたり、眠かったり、判断力が鈍ることがあるのは百も承知ですが...)。
最近は、それを放棄するのが当たり前で、そうした人達に後から責任追及されないように、という「コトナカレ」的な発想で、なんでもかんでも立て札をたてたり、法律をつくったりして、世の中がガチガチに固められてしまっていますが、どんなにガチガチの保護体制をつくっても、抜け穴はあるし、危険がなくなることはありません。
かえって、ガチガチ保護に身を任せて、
自分の直感力や本能を放棄してしまっている方が、
危ないんじゃないかという気すらしてきます。
今の複雑になり過ぎた世の中のしくみをもう1度リセットして、
ルールの1つ1つ、看板の1つ1つの向こう側にある本質を、考え直すきっかけと余裕ーー今の時代には、本当はそんなものが必要なんじゃないかと感じています。
そして1人1人が、誰かの責任の保護の下ではなく、
自分の責任に於いてRiskを取り道を斬り開く。
時にはそうした挑戦で失敗することもあるけれど、
「本当は失敗した人こそが強いんだ」という目で周りがそれを寛容に受け入れてくれる。
「今年は裁判員制度が始まる年」ということも
「今年こそが本質を見つめ直すのにいい年」という気持ちを強くさせています。
お正月早々からwordy(言葉だらけ)なブログ記事を書いて、
果たして林は本当に粋な人間になれるのか、という心配はありますが、
二千一桁台最後の年は、自分自身ももう少し、いい感じでエイジングして、
年末にはおいしい熟成肉をワインと食べながら年の瀬を迎えられればと思っています。
2009年元旦