メサジェとフランス的美と人の評判と

Annette Messager: the Messenger
(メサジェ展入り口:これ以後の写真は本展とは関係ありません)

森美術館で始まった(11月3日まで開催)「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」を見てきた。
素晴らしかった!
いつも評価が厳しい正徳円生土さんも展覧会場を逆順で巡回してきてバッタリあったところ「いやぁ、これはおもしろいね」と漏らしていた。

 メサジェの作品は、どこかダークで悪魔的(故にキリスト教的)な雰囲気がただよっているように見えるものが多いが、実は注意深く見てみると、その中にウィットに富んだユーモアや、現代社会や日常生活での不安といった感情が、答えもなく込められている。そして、何よりも作品が人にみられるようにきれいに美しくまとまっていて、観るものをよろこばせる。
 ダークな雰囲気、オカルト的なもの、ゴシック的なものは、世の中に溢れているが、美しくないばかりか、ただスタイルだけの表層的なものも多い。
 しかし、メサジェの作品は、その点について「本物」と思わせる存在感の強さを感じさせるし、一切の妥協を許さない「美」へのこだわりを感じさせる。

 メサジェの作品は、写真、絵、裁縫、文字(言葉)、ぬいぐるみ、そして剥製、そして展示室の壁、そうしたものすべてを巧みに組み合わせて、作品が描き出す影までも計算して1つの世界観を描き出す。いったい一つ一つの作品にどれだけの手間をかけているのかを想像すると気が遠くなるが、それだけに展覧会場に一歩、足を踏み入れると、まったく別の世界へトリップしたかのように楽しめる。

 メサジェの美しく、どこかノワール(ダーク)な雰囲気は、ヨーロッパ、それもとりわけフランス独特なものだと感じる。
 そして、彼女がこうした美しさをつくりだせる背景には、やはりフランス人が歴史的に持つ「美」へのこだわりがある気がしてならない。
 パリ在住の元版画家の友人が、現在、骨董屋をやっていて、ブログで骨董品の一部の写真を公開しているが、やはり、歴史的にこうした美しいオブジェに囲まれたフランス人だからこそ、「美」に対してあれだけのこだわりを持てるのではないかと思えてならない。

atelier KANAI: パリ古物雑記帳

Table for Noël
ところで、展覧会の記者発表会がおもしろかった。スイスのジャーナリストだったかが、メサジェに「あなたは常に物議をかもすようなスキャンダラスな作品をつくりつづけてきたのに、今回の展覧会は子供も連れて来れるくらいに大人しいしあげりになっているけれど、これは日本の来場者を考えてのことか」と質問。

 メサジェは「私は私」であって、そんなことは特にしていないと答えていた。
 展示されている作品の1つが「Rumeur(噂)」というのだが、これもメサジュのこの外的イメージとの葛藤を表した作品なのかもしれない。
 

 展覧会の最後の部屋では、この展覧会ができるまでの様子を写した「Making of ...」のビデオが流れていて、その中でメサジェがインタビューされているが、このビデオをみて、メサジェのあの答えは、本当なんじゃないかなと、思えてきた。

 展覧会のポスターには黒い服をきて現れるメサジェだが、作品をつくっている間は、もっと明るい色の服をきて、時には笑みを混ぜながら楽しそうに作品を、そして彼女の世界観をつくっている。

 特定の作品が与える世界観が強かったりすると、人はその印象によってステレオタイプされてしまうところがある。
 世の中で「あの人は怖い」と言われているアーティストの人も、実際に社交の場であって話をしてみると、やさしい、温和な普通の人が多い(おそらく作品づくりは別人になるのだろうが)。
 これはIT業界の有名人では、もっともアーティスト的なあのスティーブ・ジョブズも同じで。怖いとか、「わがまま」だとか言われるが、確かにそういう面もあるが、世の中の人が持っているジョブズのわがままで怖い印象の半分くらいは、(私がジョブズを一番よく理解していると思い込んでいる彼の)取り巻きが「ジョブズはこう思っているに違いないから、こうしろ」といって広めているものなんじゃないか、と私は思っている。

 私も「熱心なアップル信者」と言われることが多いが、実際には「アップル熱」では取材をしている他の方々にぜんぜん負けていることが多い。

もっとも、そうしたステレオタイプをよしとしないというなら、前言も、フランス人だから「美意識」が高いとか、そういった意味にとられないように注意しないとならないと。
 フランス人すべてが美意識が高いわけでもなければ、そもそも「美」の定義は人によってさまざまだ。
 以前、このnobilog2ができる前、nobilog1でも、電線が美しいか、否かで大きな議論となった:
nobilog1:「道の景観を考える

 ステレオタイプは、「この人は、こういう特徴を持っているから、あのグループに属している可能性が高い」という分にはあっていることがあるが、「この人は、あのグループに属しているから、こうに違わない」というと間違いの元になる。
 
 話しをメサジェの展覧会に戻すと、とにかく、どの作品も素晴らしいが、やはりなんといっても圧巻は、今回の展覧会の目玉である「CASINO」。
 この「CASINO」という題名1つにも、あまりにもいろいろな意味が込められているのでびっくりした(小さな家=CASSINAじゃなくって、CASINOもたしかにそうかもしれない。そしてCASINOは勝負の場で、アートの展覧会はアーティストにとっての勝負の場、etc.、etc.)。
 ピノキオが飲み込まれたクジラのお腹の中の様子をイメージしたという同作品は空気の波と機械仕掛けによる15分間隔の作品だが、見た人は少なくとも2回は、違う角度から楽しみたくなることだろう。
 最後にピノキオの顔が降りてくるというのだが、このピノキオのイメージが、日本人が持つアニメ的なピノキオのイメージとはかけ離れていて、性的な暗喩も感じられずにいられない。

Pinocchio
(この写真はミラノでみかけたピノキオ人形)

森美術館では、この「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」展と同時開催で、「MAMプロジェクト08:荒木珠奈」も開催している。
 メキシコを舞台に活躍している荒木さんの作品には、カラフルな作品も多いと聞いているが、今回は白一色の蜜蝋でできた作品。メサジェの作品同様、シルエットまでが作品の一部となっていて美しい。

 メキシコと言えば、やはり独特の進化を遂げたキリスト教文化が根付く国だが、手塚治虫の「ブッダ」を読んでいる影響か、今回の珠奈さんの作品には何か仏教的な雰囲気も感じた。

 内覧会でハッピーだったのは、メサジェさんと少しだけ(かたことの)フランス語で話し、珠奈さんと少しだけスペイン語で話せたこと。

 両展覧会には、少なくともあと3回ずつは足を運ぶことだろう...
(入館無料のMAMC会員なので、できるだけすいていそうな時間を狙っていくつもりだ)

投稿者名 Nobuyuki Hayashi 林信行 投稿日時 2008年08月10日 | Permalink