2012年振り返り:触手拡大の年だった
最近、学生など若い人に向けた講演では2つのことを言っている。
「1カ所に留まらずに視野を広げること」そして「リアルな生活を重視すること」。
「視野を広げること」は、企業向けの講演でも、密かに混めているメッセージだ。
同じような大学の同じような部門を出て、同じ会社で十数年やってきた人たちで、ずっと話し合っていても出てくるアイディアは行き詰まるだけ。これは新年のブログ記事でも書くつもりだが、今は我々の想像をはるかに超えた、まったく新しい21世紀の世界がつくられようとまさにし始めているところ(鍵を握るのはスマートデバイス、ソーシャルメディア、そしてこれらを手に触れられる実体とつなぐ3D造形の技術だと思う)。
その重要さを知ってもらうために、よく引き合いに出させてもらうのが今はなき三洋電機の事例だ。三洋電機では野中ともよさん時代に工業デザインの位置づけの見直しが行われ、すべての製品を串刺し横断するデザイン部門を設立。これによって、それまでずっと1つの製品を作り続けていたデザイナーが、それまでやっていたのとは違うジャンルの製品に取り組もうとすることで、さまざまなイノベーションが生まれた。例えば掃除機の世界で、他社でもなかなか解決できずにいた排気をきれいにする問題が、エアコンに関わっていたデザイナーやAV機器に関わっていたデザイナーの知恵が入ることで解決できた。
1つの業界、1つの部署と1カ所に留まっていると、視野がどんどん狭くなり、先細りの発想しか出てこなくなるが、これまで自分が触れたこともなかった新しい人種や、その考えに触れ合うことで思わぬインスピレーションを得る、というのはよくあることだ。
すべての業界が、この数十年で凝固した形から、まったく未知の不定形に変化しようとし始めているこの時代、こうした外からの血の受け入れこそが、閉塞感を救う最大のヒントではないかと思っている。
これは製品の可能性についても同じで、男性ばかりで企画し、開発し、営業された製品に、女性の視点がごっそり抜けていて、市場機会が半分未満になっているのはよくある間違いだが、より多様な人々の視点が入った製品ほど、視点の抜けが少なく、市場にも根付きやすいことは想像に容易い。
そのためにも、1個の業界に固守するのではなく、他分野でプロを目指すまではいかないまでも、共通の趣味などを通して、異分野にも人脈をつくり、見識を広げることは、これからの時代を生きる上で必須のことではないかと思う。
裏を返せば、皆と同じように決まった大学、決まった学部、決まった分野の知識や人脈しか持ち合わせない人は、類似の経歴を持つ他の誰とでも交換可能なパーツにしかなりえない、ということでもある。
ただ、こうしたことを学生達に言っているだけでは、説得力がない。そのため、この数年、(実際に自分が好きなこともあるが)さまざまな現代アートのイベントやデザインのイベント、そして2012年は特に3Dプリンターなどの3D造形関係、医療分野の最新トレンドのイベントに足を運んだ。そうした結果がついてきたのか、2012年は、それまでとは違う多彩な場にお招きを頂いた。
書籍を執筆すると大量の時間が奪われて活動できる時間が減ってしまうが、「今年は本は書かない」と決めたおかげで自由な時間をたくさん捻出できたことも一因かも知れない。
なんといっても筆頭にあげるべきは、Google社のGoogle.orgで山路達也さんと共著と言う形で連載「東日本大震災と情報、インターネット、Google」を書く機会を頂いたこと(まだの方は、最初の一、二編でも読んでみて欲しい)。
2011年3月11日は悲惨な日ではあったが、土壇場での日本人の機転や踏ん張りを垣間みて希望が持てた日でもあった。しかし、地震から3〜4週間目の月曜日を迎えた時、東京の空気感が変わって、そうした希望が、いつもと同じ仕事、生活、官僚主義、マニュアルの中に埋もれ絶望を感じる一面もあり、何か行動を起こさなければならないと思っていたところ、Googleに相談を頂いた。連載はそろそろ一段落させなければならないのだが、終わらせたくないという思いもあり、私の執筆の腰が重くズルズルと引きずってしまった。今、このプロジェクトも次のフェーズに向けて動き始めている(ほとんど山路さん任せで申し訳ない)。
東日本大震災関係では会津泉さんらが大分のハイパーメディア研究所と組んで開催したワークショップにも参加し、おにぎりだけしか食べない状態で、大規模災害のロールプレイが行えたのも貴重な体験だった。
2012年は、こうした大規模自然災害関係の活動をする一方で、クリエイティブなコミュニティーと接する機会も非常に多かった。2013年も1月末に開催されるeat KANAZAWAに参加し、金沢の素晴らしい旦那衆と知己を得て、日本中のトップクリエイターと交流させてもらったのも良い機会だった。
一方で、自動車とモバイルの接点を模索するMobile IT Asia、Smart Mobility Asiaにも企画委員の一人として関わらせてもらった(このモバイル x ITの2軸と、そこから見た新しい社会の形成についての視点は神尾寿さんが本当に素晴らしいものを持っている)。
さらにTOKYO DESIGNERS WEEKでのDesignNext展にも関わらせてもらった。
もちろん、相変わらずのIT仕事もたくさんしている。相変わらず多いのがiPadをどのように仕事に活用していくかというもので、1000社以上のiPad 2次代理店を持つダイワボウ情報システムさんのイベントでは本当に全国をまわらせてもらい、それぞれの地域で工夫してiPadの導入を提案しようとするベンダーさんと触れ合うことができた。
iPad関連の講演で言えば、特定の業界にフォーカスしたものも多かった。放送業界の業界団体でも講演をしたし、医療分野でのタブレットの活用の事例を紹介する講演も行った、豊かな時間探しをしているアラフォーの女性向けのイベントでも簡単なプレゼンテーションをさせてもらったし、ファッション/アパレル業界におけるタブレットの可能性についての講演も行った(女性の聴講者が過半数だった講演は、残念ながらこの2つだけだ ;-)。
活動をつづけることによって、それぞれの分野での新しい知り合いも増えてきた。まだ明かすことはできないが、来年も引き続きいくつか工業デザイン関連の分野での講演や審査員の仕事をすることが決まっている(そのうちの1つは、ストイックに課題解決、という意味でのデザインだ。この仕事を機会に、世の中にはこびっている「デザイン=装飾」という考えを少しでも変えられるよう貢献できればと思っている)。
来年の豊富については年が明けてから、改めて書くとしたいが、それでも今年、触手(職種?)を伸ばして、足がかりをつくったそれぞれの分野で、何か形となるモノをつくっていければと思う。
常に世の中に作品を遺し続けているアート、デザインという分野のクリエイターと接していると、自分が世の中に何も生み出していないことに対して強いコンプレックスを感じている。
そんな中、2012年にトリニティーの星川代表と、年頭から2、3の記事(2/19のサイゾーの記事、5月末掲載のLinkedInの記事-4ページ目-)で予言していた通り、今や時代の寵児となったケイズ・デザインラボの原雄司さんを引き合わせたことで誕生したiPhoneケース、「JIGEN」は、その誕生のきっかけをつくることができた、という意味で非常に思い入れがある製品だ(リンク先のプロジェクトというページにいきさつが書いてある)。