サンプロ「敗者復活」をみて
久々にサンデープロジェクトを見た
政治家同士の討論は相変わらずの足のひっぱりあいみたいで
真剣に聞こうという気すらあまりおこらなかった
気になったのは「敗者復活 〜倒産経営者の苦闘と逆襲〜」という特集だ
日本では失敗すると、2度と立ち上がれない、という現実を取材した内容で
3つのースを紹介していた
いずれの経営者も銀行に担保や連帯責任を求められて、
自分はおろか家族にまで大きな負担をかけて自殺も考えるほどまでに落ち込む
銀行は、敗者復活には一切手を貸さない
会社更生法適応も大企業にはいいのかもしれないが、中小企業の場合には債権者がいるにも関わらず大きな税の負担を招き、せっかく復活しかけても銀行の協力が取り付けられずやはりあきらめるしかなくなる
3つ目のケースの人は唯一の成功例
成功の秘訣は銀行に頼らないことだった
彼の考えは銀行はお金を預けるところ、借りるところではない
そして投資家達に増資を求めた。
健全な投資家がいて、ちゃんとした再生プランがあるなら
やはりこれが最良のプランかもしれない
最後に元銀行の人がでてきて、失敗した人に融資をして万が一のことがあったら自分が責任を問われる。「なんで「過去失敗を見落としたんだ」と言われる」とコメント。
これが日本の私を失望させる側面をうまく表していた
番組ではここでアメリカはどうかという例がでてくる
アメリカでは、もちろん、国は国民の権利を守ることが最優先課題だ。
が一、失敗しても何から何まではぎ取るのではなく
、最低限の生活はできるうに保証されている
番組をみて思ったことをいくつか書く
日本は責任逃れの国だと思う。政治家とか銀行とか大企業とか、とにかく責任を追及されたくない。だから、弱者とかの権利はおざなりにしても、とにかく自分に危険の火の粉が降り掛からないようにする。そう思えてならない。
もっとも、何かあるとすぐに「一体誰が責任を取ってくれるのか?」と怒る人が多いのも事実で逃げたい気持ちがまったくわからないわけでもない。でも、逃げたいのは個人的責任であって、国なり企業としては責任をまっとうして被害にあった人を救済するゆとりが必要なのでは。
もしかしたらここにも「敗者復活」問題が潜んでいるのかも。一度、責任追求の矢面に立たされ、マスコミにたたかれまくって、悪者になった人には、敗者復活のチャンスがないのでは?だから、責任を取りたくなくなる。だから、ツケが回ってくる。悪循環。
私はあまりに無知すぎて想像でしか書けない。
以下は、関係なさそうで実はあるんじゃないかといういくつかの話。
ノートブックの熱問題。PowerBookは日本製のノートに比べて熱くなる。ある優秀な工業デザイナーとその話をした。確かにそうかもしれない。でも、PowerBookには日本のどのパソコンも追い付けない美の魅力がある。日本のメーカーではあれはまずつくれない。「熱い」とユーザーにクレームをつけられた責任者が、責任逃れを求めてくるからだ、という。
実際のところはバランスをどこに置くか(所有する満足感か使っていての快適さか)の問題で、どちらが正解というものではないかもしれない。でも、責任者のバランスは誰にも責められない妥協点にある。
日本に帰ってきた直後に驚いた。ATMにいっても金がおろせない。日が暮れる頃にはATMの前にシャッターが降りている。今ではコンビニにATMが設置されるようになりかなり状況が改善されたけれど、それでも私の銀行の場合は日曜日の夕方の成田空港でお金がおろせず途方にくれることがよくある。この銀行にしてよかったと思うことは一度もない。不満だらけだ。口座をつくる時だけは石けんくれたりとか熱心だけれど。一度、口座を開設すれば、あとは勝手にしろってことか。たまに海外などで聞く「とりあえず自分の女にしたから、あとは用なし」という日本人男性の風評と重なるものがある。宝くじの販売には熱心みたいなんだけれど...
問題は責任逃れだけなのか。もしかしたら、そもそも銀行に復活をかける経営者の才覚や有望さを見抜く眼力、それにかける度胸がないだけなのでは。日本の学歴社会と就職についても同じ思いがある。ずっと問題視されながら一向に改善の気配が見えないここいらへんの問題は、結局、人事部の人間に大学名とか履歴書とかでしか人を判断する素養がないのも一因では?だから、人間としての中身は二の次で、とりあえずブランド大学入学だけが最大の命題のようになる人がいる。ようやくこうした構造も改善しようとする意志でよくなったのではなく、どちらかというと歪みが大きくなりすぎて「崩れ」始めた感があるけれど。まだまだこういう考えが日本では主流の気がする。
結局、いきつくのは教育問題?いい大学にいける教育よりも、もっと俯瞰した位置や長期的な視野、人を見る目や大胆に楽しむ度胸とかを養うことが大事、そしてブランド品とブランド大学よりもそうした中身の方を重視する親の目が育つことが大事な気がしてならない。
な〜んて、暑くすぎで外にでれないので考えてしまった...
政治の方はというと、どっちが悪い、どっちが正しいなんてやってみなきゃわからないんだし、もっと、早く改善が進むようなしくみを導入することに主眼をおいた方がいいように思えてならない。
きっと、世界トップクラスの天才が5年間ねりあげてつくった経済再生手法だってタイミングが悪ければ失敗する。問題は完璧なプランの提示ではなくって、プランの問題を素早く察知し、それを認めて、改善する行動力の迅速さ。「〜〜〜大臣」なんて言われてからノソノソとマイクのところにいって意見を述べあう国会では改善をしようと思った時には手遅れだ